LIFE WITH MARS

ジャンルを飛び越す才能
俳優:ジェームズ・マースデン

November 2022

text tom chamberlin
photography kurt iswarienko
stylist ilaria urbinati

コート 参考商品、ジャケット 参考商品、ニット ¥158,400、トラウザーズ 参考商品 all by Brioni

型にはまらない生き方を求めて 彼の芸歴は、ちょうどソニックのゲームが発売された1990年代初頭から始まっている。当時オクラホマに住む若者だったマースデンはこう振り返る。

「至って普通の家庭で育ったよ。バスに乗って学校へ行き、友達もいたけれどみんな普通。有名人も金持ちもいなかった。そこから皆だいたい決まった人生を歩むんだ。21歳くらいで高校時代からの恋人と結婚して、まっとうな仕事に就く。でも、子どもの頃に周りにいた人たちは、僕がその型に合わないと気づいてくれた。僕のことを信じてくれたんだ」

 型にはまらないからといって、彼が学校で除け者だったわけではもちろんない。オクラホマの普通の子どもになろうとしなかっただけだ。やがてマースデンは演劇にのめり込むようになる。

「高校ではひょうきん者だった。よくダナ・カーヴィやマイク・マイヤーズのモノマネをしてた。これを何か将来に生かせないかと思ったんだ。いつかロサンゼルスに引っ越して挑戦してやろうという野心と自信はあったよ。今だったらそんな無謀なことはできなかっただろうね」

 彼は『サタデー・ナイト・ライブ』の出演を夢見て、LAへと移り住んだ。

「自分が主役を張れるような人間だとは全然思っていなかった。オクラホマで、チビでドジなガキとして育ったからね」

 両親はマースデンを応援し、1年分の経済的・精神的な支援をくれた。しかしそれは1年後には大学に戻らなくてはならないということを意味していた(結果、彼は大学を中退している)。分岐点となったのは、昼枠の長寿ドラマ『デイズ・オブ・アワ・ライブス』(1965年–)のオファーが来て、「3年分の収入になるかもしれない」と聞いて父親が飛んできたときだ。だがエージェントはその役を断るように助言した。マースデンと父親はかなり困惑したが、他のいろいろな出演作に対する評価がよかったので、長くキャリアを続けるためには今の路線を追求したほうがいいとエージェントは判断したのである。マースデンにとっては大きな賭けだったが、それが功を奏し、28年経った今でも彼はある特定のジャンルのみに自身を押し込めることを拒み続けている。

「信頼される仕事人。そうあることを誇りに思ってる。何かに秀でているわけではないけど、いろんなことが得意なんだ」

本記事は2022年7月25日発売号にて掲載されたものです。
価格等が変更になっている場合がございます。あらかじめご了承ください。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 47

1 2 3

Contents