IMMORTAL SIREN

妖艶な女流画家タマラ・ド・レンピッカ

July 2024

『ギターを弾く青衣の女』(1929年)。

男性とも女性とも関係を持つ モデル、街娼、社交界の淑女を描いたレンピッカの裸婦画は、冷淡でありながらも、官能的なスリルを宿している。その一方で、亡命中の王族やパトロンを描いた男性の肖像画は、いずれもたくましい肩とくびれたウエストを持ち、颯爽たる口髭をたくわえているのが興味深い。

 レンピッカが「何でもやってみた」という有名な主張をしたのは、この時期だ。「そうすることが芸術家としての義務だから」。ハリウッド女優のグレタ・ガルボと関係を持ったとか、アール・デコを独力で生み出したという彼女の大言壮語は額面通りに受け取れないが、彼女が戦間期の華やかさとデカダンスの体現者となったことは確かである。作品がドイツのファッション誌『Die Dame』の表紙を飾ると、レンピッカの名は一気に認知されるようになり、1927年には肖像画1点につき5万フラン(現在で約3万米ドル)で売れるまでになっていた。

 また、一流カメラマンたちのモデルを引き受けて、毛皮や真珠をたっぷり身に着けて尊大な態度を取ったため、彼女の知名度はますます高まった。そうしていくうちに、彼女は作家でレズビアンのナタリー・クリフォード・バーネイが主催するサロンに出入りできるようになる。当時の有力な知識人たちが一堂に集まるこのサロンで、レンピッカはジェイムズ・ジョイス、ジャン・コクトー、アンドレ・ジッド、イサドラ・ダンカンらと親しくなった。また、シャンソン歌手でキャバレーの経営者でもあった*シュジー・ソリドールと親密な仲になり、官能的な肖像画も描いている。

 類い稀な美貌を持つレンピッカは両性愛者として男女ともに交際を広げたことはよく知られている。あまりある彼女の放縦さに疲れきった夫のレンピッキは、1928年についに離婚に踏み切った。しかし、レンピッカには既に次の夫候補がいた。ハンガリーの大富豪でパトロンだったラウル・クフナー男爵だ。レンピッカは男爵の愛人、ナナ・デ・エレラの肖像画を描いたときに男爵と出会い、1928年には彼の絵も描いている。その5年後に男爵と結婚したレンピッカは、“絵筆を持つ男爵夫人”となり、真の上流階級のライフスタイルを手に入れた。

*シュジー・ソリドール = 1920年代を代表するシャンソン歌手。狂騒の時代のパリにおいて主要な知識人のひとりであり、有名なレズビアンでもあった。
THE RAKE JAPAN EDITION issue 25
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