APPETITE FOR CONSTRUCTION: LE CORBUSIER
建築への欲望:ル・コルビュジエ
May 2025
ベルリンで開催された国際建築展の会議に出席した際の、建築家ヴァルター・グロピウスとル・コルビュジエ。
理解しがたい人物像 彼は正式な建築教育を受けたことはなかった。13歳で学校を辞め、スイスのジュラ山脈にある故郷近くのラ・ショー・ド・フォンにあるエコール・デ・ザール・デコラティフ(装飾美術学校)に通った。
そこで彼は、父親が従事していた時計の文字盤彫刻の技術に加え、美術史を学んだ。また、若い頃にはアール・ヌーヴォー運動を模倣して鉛筆で描く技術を磨いた。
その後、ヨーロッパを旅する中で出会った建築家オーギュスト・ペレの下で学んだ。ペレは鉄筋コンクリート建築の先駆者であり、「コンクリートの父」と呼ばれる人物で、ル・コルビュジエにとって重要な師のひとりだった。
また、1918年にパリで出会った画家アメデエ・オザンファンは、彼にとってもうひとりの師となった。彼らは、ピカソやブラックが創始したキュビスム(立体派)が方向性を見失ったと考え、『キュビスム以降』というマニフェストを共同執筆し、幾何学的で簡潔なピュリスム(純粋主義)を提唱した。また、建築雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』を創刊するなど、ともに創作活動を行った。
ル・コルビュジエは、レオナルド・ダ・ヴィンチの黄金比やフィボナッチ数列に魅了されていた。また、ルネッサンス期の建築家レオン・バッティスタ・アルベルティや、古代ローマの建築家・技術者ウィトルウィウスの幾何学的な理念にも影響を受けた。
そして、建築における基準寸法「モデュロール」を発表。この基準寸法は、人間の体型(「ヨーロッパ型」の場合226cm)を黄金比で分割して設計に応用するものであり、彼の数学や幾何学への傾倒を象徴している。このような性質は、前述した自閉症スペクトラム障害に関連する噂を再び思い起こさせる。
また、彼の個人的な生活についても、心理学的な分析がなされている。ニコラス・フォックス・ウェーバーの2008年の伝記によれば、彼は24歳まで禁欲的だったが、その後、定期的に娼館を訪れるようになったという。
1930年にはモナコ出身のファッションモデル、イヴォンヌ・ガリと結婚したが、フランスのエンターテイナー、ジョセフィン・ベーカーやスウェーデン系アメリカ人の未亡人マーガリート・チャーダー・ハリスとの不倫関係も持っていた。







