APPETITE FOR CONSTRUCTION: LE CORBUSIER
建築への欲望:ル・コルビュジエ
May 2025

Le Corbusier / ル・コルビュジエ1887年スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれ。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。フランスをはじめ、世界各国で活躍した建築家。モダニズム建築の巨匠といわれ、無駄な装飾を排した機能的な建物を次々と発表、近代建築の歴史に大きな影響を与えた。代表作に「サヴォア邸」(1931年)、「ポルト・モリトー」(1933年)、「ユニテ・ダビタシオン」(1952年)などがある。1965年没。
クリエイティブな仕事に携わる人々の間でよく囁かれるのが、「作品がすべての人、あるいは大多数の人に喜ばれるようであれば、それは失敗作だ」という考え方だ。多くの人々から一様に拍手を送られるのは、平凡なものだけだから、という理屈による。
確かに、その通りかもしれない。アヴァンギャルドな人々が、批判を恐れて一線を越えることをやめ、常識に従うようになったら、進歩は止まってしまうだろう。変化をリードする人間がいなくなれば、現状維持が続くばかりだ。
想像してみてほしい。19世紀後半のパリで活躍したフランス退廃派の詩人たちが、「ブルジョワを驚かせる」ことをやめて「ブルジョワにおもねる」ことを選んだとしたら。戦前のハーレム・ルネサンスが、「服従」を促していたら。あるいは、ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで演奏したアメリカ国歌が、愛国主義への賛歌として再解釈されたとしたら。
このような例が示すのは、挑戦的な表現がなくなると、文化や社会は可能性を失うということだ。創造への衝動を抑えることは、進化を止め、停滞を招くのだ。
だからこそ、1887年生まれのシャルル=エドゥアール・ジャンヌレは、20世紀建築界のゴッドファーザーと呼ぶにふさわしい(彼の通称「ル・コルビュジエ」は母方の祖父「ルコルベジエ」の名前をもじったもの)。彼は1965年、地中海での日課の水泳中に心臓発作で亡くなったが、それから60年近く経った今でも、その建築は人々の意見を二分している。彼の作品が単なる建築の枠を超え、文化や社会に大きな影響を与え続けている証拠である。

ル・コルビュジエとイタリアの美術史家、ジュゼッペ・マッツァリオール(左端のストライプのコートを着ている人物)。ベネツィアにて(1965年)。
ル・コルビュジエは多才な人物だった。その肩書は「画家」「理論家」「作家」「都市計画家」といった言葉がハイフンで繋がれていた。彼が最初に物議を醸したのは1922年、パリのサロン・ドートンヌで「プラン・ヴォワザン」を発表したときだった。この都市計画は、パリ右岸の中心部を取り壊し、18の十字形の高層タワーをグリッド状に配置するという大胆なものだった。260ヘクタールの土地に78,000人の居住者を収容する予定だった。一方、市街地としての過密を避けるよう、建物の間隔やオープンスペースは広くとられていた。
言うまでもなく、この提案は古い遺産を愛する人々からも、未来的なユートピア主義者からも散々にこき下ろされ、実現することはなかった。しかし、ル・コルビュジエはこれにひるむことなく、高層の構造を基盤とし、装飾を排する都市再生のビジョンを追求し続けた。そのビジョンは1925年、パリで開催された万国博覧会のために、従兄弟のピエール・ジャンヌレと共同設計した「レスプリ・ヌーヴォー館」で具現化された。これは立方体を基本とするモジュールに居住空間が機能的に配置された住宅であった。この建築物は1年後に取り壊されたが、ボローニャに再現されたレプリカは、今日ではル・コルビュジエの信奉者たちの巡礼地となっている。
THE RAKE JAPAN EDITION issue 62