80年代を席巻したデザイナーは、カントリーライフを満喫
今西祐次さん
Thursday, March 24th, 2022
今西祐次さん
プラネット プラン主宰
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
今は昔の1980年代、私がまだ学生だった頃、唯一作ることができたカードは、某社の“赤いカード”というものでした。バイト代の9割を洋服につぎ込んでいた私は、セールの度に赤いカードを握りしめ、後先考えず、限度額いっぱいまで買い物をしたものです(その後、ついに自分ではどうしても支払えなくなり、親に泣きついてこっぴどく叱られたことを覚えています)
当時は、いわゆるDCブームの真っ只中で、数え切れないほどのデザイナーズ・ブランドが、その魅力を競い合っていました。その中で、私が一番好きだったのがメンズ ビギです。あのタケ先生(菊池武夫さん)が立ち上げた、DCの領袖ともいえるブランドで、トラディショナルとモダンをほどよくミックスした意匠は本当に素敵でした。
私も(赤いカードで)スーツやネクタイ、タック入りのトラウザーズなどを買い込み、宝物としていました。そして、そのデザイナーをなさっていたのが、今回ご登場頂いた今西祐次さんなのです。かつての私にとっては、雲の上の人でした。
「実は私も学生だった頃、赤いカードで同じ目に遭いました(笑)。ショーケンさん(萩原健一さん)がドラマ『傷だらけの天使』でメンズ ビギの服を着ていて、それは格好よかった」
広島県で生まれた今西さんは、1977年に憧れのメンズ ビギに入社し、買い手から作り手に回りました。最初はアシスタントとしてスタートし、先生に師事しつつ、日々精進する毎日だったといいます。しかし、84年にタケ先生がブランドを離れることになったとき、いきなりチーフ・デザイナーに抜擢されたのです。
「大変なことになったと思いました。それまではメンズ ビギ=(イコール)タケ先生であったのに、そうではなくなってしまった。ブランドの個性を伝承しつつ、自分の好みも反映させていかなければならない。とても苦労したことを覚えています」
しかし、当時世の中はバブル景気に沸いており、皆がファッションに熱狂していた時代で、売上げは右肩上がりでした。
「自分でコレクションを組み立て、ショーで発表するということが楽しかった。それに当時は、何もかもが出尽くしてしまった現在と違って、実験的なことがいろいろとできました」
ファッション・ブランドなのに、オリジナルのレコードを作ったこともあったそうです。
「ツートーンやレゲエにハマっていて、わざわざジャマイカまでレコーディングに行きました。有名なチャンネル・ワンというスタジオに、現地のミュージシャンを呼んで演奏してもらったのです。そこはずいぶんと危険な地区にあり、『夕方になると、マシンガンを持った奴らがウロつき始めるから、早く帰ったほうがいいぞ。警察も嫌がって来てくれないんだ』などと言われたこともあります。出来上がったレコードは、ニューヨークのFMレゲエチャートで、1週間1位だったんですよ。日本では買い物をしてくれたお客さんに、オマケとしてプレゼントしてしまいました」
なんとも鷹揚な時代ですね。しかし80年代も終わりになると、ブランドが大きくなり、「作りたいものだけを作っていたのでは、運営が難しくなったから」という理由でブランドを離れ、90年に自分自身のレーベル、プラネット プランを立ち上げたのです。
「当初はスーツ中心のブランドでした。平行していろいろなブランドのディレクションも手掛け始めて、そちらのほうが忙しくなってしまった」
そのリストには、バーバリー、リアルマッコイズ、カールヘルム、メルローズ、パパスプラスなど、往年を知る人からすれば、きら星のごときブランドが並びます。イトーヨーカドーのコンサルタントをしたこともあるそうです。
「アジアの工場で、莫大なロットで作られる洋服は、今までやってきたものとはまったく違う世界でした。お客さんも担当の方も、服の捉え方がぜんぜん違う。彼らを相手に、縫製や素材についてアドバイスをしました。これは自分にとっても勉強になりましたね」
転機となったのは、2018年の西日本豪雨災害だったといいます。
「私の故郷である広島をはじめ、岡山や兵庫が大きな被害に遭ってしまった。そこで“服幸支援”と題して、デニムなど西日本製の素材を使って、洋服を作ろうと考えたのです」
そうして生まれたのが、ワークウエアをベースにしつつも、独自のヒネリとディテールへのこだわりを満載した、現在のコレクションです。
カバーオールは、プラネット プラン。
「細かいところをよく見て下さい。胸についたライターポケットは熱くなったジッポーを入れてもいいように、浮かせてあるのです。ペンポケットや携帯電話を入れるモバイルポケットも備えています。肩はスプリットラグランになっていて、後身だけラグラン仕立てになっています。いろいろなところに補強のステッチが入っているでしょう? 襟やポケットフラップ、袖の裏には別布があって・・」
洋服の話になると、止まらなくなります。今西さんのお話を聞いていると、ひとつの服に対して、いかに愛情を注いでいるかが伝わってきます。思わず私も、1着注文してしまいました(あ、支払いは赤いカードじゃなくて、ちゃんと現金でしますよ)
アンサンブルのベスト、スター柄のジャカード・シャツ、パンツも、プラネットプラン。
「まず生地を見て、それからどんなものを作るのかを考えます。ワークウエアを基本としていますが、都会にも似合う、ハイブリッドなデザインを心がけています。また、すぐに着てもらえるよう、商品にはすべてワンウォッシュをかけています。ローデニムを着込んでいくのもいいのですが、縮んだ後のサイズ感が難しいでしょう?」
ハットは、バーンストック・スピアーズ。英国ロンドンのブランドで、クラブシーンや音楽にインスパイアされつつ、クラシックな製法で帽子を作っているところです。
メガネは、オリバーピープルズ。
ピアスと彫刻が施されたリングは、クロムハーツ。
ベルトは、J&Mデヴィッドソン。
シルバーのブレスは、ティファニー。
レザーブレスは、エルメス。
私が「ティファニーやエルメスもお召しになるんですね? ちょっと意外です」と伺うと、
「やっぱり“ブランド好き”なんでしょうね。歴史的裏付けがあり、結果的に長く使えるし・・」と苦笑い。
時計は、パテック フィリップのノーチラス。
「ずいぶんと前に買ったものです。現行品と違って、バックルにパテックのマークが、立体的に入っています」
私が「最近は中古市場で、ずいぶんと値上がりしているみたいですよ」と言うと、
「本当ですか? 一回値段をチェックしてみようかなぁ(笑)。実は10年ほど前に、ティファニーとのダブルネームのノーチラスを見かけたことがあって、すごく迷ったけれど、その日は買わなかった。そして後日、やっぱり欲しくなって店へ戻ったら、もう売れてしまっていたんです。惜しいことをしたなぁ。やはりいいと思ったら、すぐに買わないとダメですね」と。
ちなみに買い物は、「すごく迷う」ほうで、「バシッと決められる女性がうらやましい」そうです。
シューズは、レッドウィング。
「レッドウィングの他に、オールデンも好きですね。編み上げのブーツが多いかな。田舎に住み始めたので、ゴム製の長靴なども履いています。薪割りなどをすることも多いですし・・。ちなみに薪ストーブはいいですよ。遠赤外線で体の芯から温まる。たまに東京のホテルなどに泊まると、エアコンで乾燥していて、目や口が痛くなってしまいます」
今西さんはかつて、都心と田舎との二拠点生活でしたが、コロナをきっかけに、河口湖周辺へ完全に移ったそうです。
「なんというか・・東京の持つ“色”が自分の好みと違ってきてしまったのです。例えば、電車ひとつとってみても、古い車両はまろやかないい色をしていましたが、今の電車はパキッとした目にうるさい色をしている。たまに昔の塗装をした銀座線や海外の車両を見ると、やはりいい色だなと思ってしまいます」
私も、まったく同じことを感じていました。最近の都心は、まるで蛍光塗料を塗りたくったような街になってしまいました。私の周りでは、センスのいい人ほど田舎に移住する傾向があるのですが、その理由は、こんなところにもあるような気がします。
「田舎はいいですよ。自然があって、四季の移ろいを感じられる。自宅から歩いていけるところにアトリエも構えているのですが、デザインのパレットも自然から学ぶことが多いですね。また、私の趣味は写真なのですが、富士山や雪景色を撮影するのも楽しみです。以前はライカM型でモノクロフィルムを使っていましたが、最近はもっぱらiPhoneです。東京では、近くばかりを見ていましたが、田舎に来て、遠くを見ることが多くなった。そのせいか、目がよくなりました。クルマに乗るとき、いつもメガネを忘れてしまう(笑)」
河口湖周辺での生活はいかがですか? との質問には、
「河口湖は寒いですよ。東京とはマイナス5度くらいの温度差がある。でも、夏は5時半、冬は6時には起床します。そして散歩。犬を飼っていたので、そういう習慣になってしまいました。ところが愛犬の“ゴン太”は先日死んでしまった。しかし今でも、彼の首輪を手に散歩を続けているのです」
「新しい犬は飼われないのですか?」と問うと、
「もう飼いません。ゴン太くんはとてもいい子でした。だから、どうしても比較してしまう気がして・・」
私も愛犬を亡くした経験があるので、その気持ちは痛いほどわかります。
さて、散歩の後のお楽しみは、なんとスノーボードだそうです。
「スノーボードが好きで、もう28年も続けています。冬の平日の午前中は“ふじてん”(山梨県鳴沢村のスノーリゾート)でスノボです。ウエアですか? バートンやボルコムをよく着ています。湯沢などにも遠征するんですよ。続けていると、ベビーステップですが、去年より上達したのがわかるんです。それが楽しくてやめられません(笑)」
ああ、これもちょっと意外ですね・・。しかし、その笑顔を見ていると、この方は今でも、少年のようなチャレンジ精神を持ち続けているのだなと感心しました。
今西さんは、素晴らしいセンスと、服に対する徹底的なこだわり、そしてほっこりとしたお人柄を持つ、最高に魅力的なデザイナーです!