かつての「変わった新人」は敏腕編集者に
小曽根広光さん
Sunday, May 10th, 2020
小曽根広光さん
編集者、ライター
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
ついに出てしまいました! フリー編集者・ライターの小曽根広光さんです。メンズ・ファッションに対する深い造詣と、飄々とした人柄がウケて、THE RAKEをはじめ、メンズ・イーエックス、メンズ・プレシャス、エスクァイアなど、多くのメンズ誌で活躍しています。
私が出版社、世界文化社でメンズ・イーエックスの編集長をやっていた頃に、新入社員として入ってきたのが彼でした。それまでしばらくの間、M.E.には新人の配属がなかったので、“最近の若いヤツはどうなんだろう?”と興味を持ったことを覚えています。
そうしたら、クルマの免許は持っていないし、片道2時間以上かけて実家から通うっていうし、海外には行ったことがないし、「あ、今彼女はいませんが、そっちのほうは困っていません」などとワケのわからないことをいうし、本当に今どきの若いヤツは変わっているなぁ、と思ったことが忘れられません。
ある日、大阪まで出張に行ってもらおうと思ったら、今まで新幹線に乗ったことがなく、どうやって切符を買ったらいいのかわからない、という始末。
「あの時初めて、東京駅発の新幹線のチケットが、(会社があった)市ヶ谷の駅でも買えることを知りました・・」
そうです。今どきの若いヤツが変わっていたのではなく、“小曽根だけが変わっていた”のです。
そんな小曽根くんも、今では一人でイタリアまで取材旅行に出かけ、立派な記事が書ける敏腕ジャーナリストとなりました。
「海外のホテルだって予約できます」
まぁ、自慢することじゃないな・・
スーツは、サルトリア・チッチオ。ハリソンズのプルミエ・クリュを使ったもので、もう4着目のチッチオです。代表の上木規至さんとは、仮縫いの後、ふたりで飲みに行く仲だとか。
「これは松尾さんのアドバイスを取り入れたんです。昔はコスタンティーノやソリートなど、海外のサルトで作っていましたが、いまいちコミュニケーションがとれなかった。『テーラーは近いところのほうが、気軽に相談できていいよ』と言われ、日本人にしました」
そうそう、テーラーとは長い付き合いになるし、サイズ直しなどもあるから、近場のほうがいいのは事実です。私はしょっちゅう太ったり痩せたりするから、足を運ぶ度に嫌な顔をされますけどね(笑)
それにしても、小曽根くんも少し太ったような・・
「ここ2〜3年でものすごく太りました。サイズも以前は42だったのが、48になってしまいました。原因ですか? 酒です(笑)。会社の悪い先輩たち、SさんやHさんと凄い頻度で飲みに行っているうちに、すっかり酒の味を覚えてしまいました」
やれやれ・・。小曽根くんの名刺の裏側には、有名イラストレーターSlowboyが描いたイラストが添えられていますが、明らかに痩せているもんなぁ。
「この時のスーツもチッチオだったんですが、すでに着ることができません。上木さんにお直しをお願いしたら、一言、“無理です”といわれました・・」
タイは、ドレイクス。
「ドレイクスが好きで、20本くらい持っています。生地のセンスがいいですね。これも普通のストライプなんだけど、ちょっとだけ今っぽい」
シャツは、レスレストン。
「ネックサイズが37cmと細いので、あまりチョイスがないのです」
メガネは、モスコットのバルバスというモデル。
「メガネ担当だったのに、メガネにはあまり興味がなく、1本を折れるまで使います。ええ、僕のメガネはよく折れるんですよ。ブリッジの真ん中からポッキリと折れます。いつもお風呂の熱気に当てているからかなぁ?」
あ、こういう首をかしげてしまうような発言をするところは、昔から変わっていないですね。
時計は、ジャガー・ルクルトのレベルソ。
「1970年代後半〜80年代くらいのモデルだと思います。1931年に出た、オリジナルのレベルソと同じく、文字盤はバーインデックスです。松山猛さんも同じモデルを持っているんですよ」
シューズは、ストラスブルゴで購入したサン クリスピン。
「履き心地はやや硬めですが、土踏まずのカーブが足に沿っており、フィッティングがぴたっと決まります」
彼が生まれたのは、埼玉県の杉戸町というところ。
「実家は田んぼの中にポツンと1軒だけあるのです。最寄りのコンビニまでは歩いて45分くらいかかりました。父はフツウのサラリーマンだったのに、なぜあんなところに家があったんだろう?」
その後、メンズ・イーエックスの編集部に入ってからも、片道2時間をかけて通勤していましたが、ファッション評論家、池田哲也さんのページの担当となり、それが引っ越しの契機となります。
「池田さんが、僕のために物件を探してくれたのです。そして最終的に、森下で池田さんがやっているピザ屋さん“ベッラ・ナポリ”の上に住むことになりました」
メンズ・イーエックスでは、副編集長に任命されましたが、その後、しばらくして会社を辞めてしまいます。その理由を聞くと・・
「フクヘンになったら、上と下との板挟みになり、“なんだか大変だなぁ”と思って辞めてしまいました」と、どこまでも飄々としています。
「スーツやジャケットは、会社を辞めてからのほうが着るようになりました。ビスポークのスーツを着ると、気持ちがきちんとしますから。昔から、スーツは好きだったのです。姉の結婚式や大学に入学する際に、スーツを選ぶことがとても楽しかった。だからM.E.はけっこう読んでいたんです」
突然ですが、昔から私は、小曽根くんを見ていると、ススキを思い出します。ほっそりと立ち、ゆらゆらと風に揺れている様が、なんとなく似ている気がするのです。日本的で、ちょっと高貴な感じがするところも、そっくりです(かつて清少納言は「秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ」と綴りました)
しかしススキは丈夫な植物で、どんな強い風にも折れるということがありません。小曽根くんも、気弱そうに見えて、意外とタフなのではないかと思います。
いずれにしても、かつて私の部下だった人間が、皆に愛され、メンズ・ファッションを生業としているのは、何よりも嬉しいことですね!
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