From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

文字通りのミスター・セレクトショップ
重松理さん

Monday, June 8th, 2015

重松理さん

株式会社ユナイテッド アローズ名誉会長

interview kentaro matsuo photography tatsuya ozawa

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今回から、THE RAKEのサイトにて、毎回ニッポンのお洒落な方を紹介するブログを始めさせて頂くことになりました。

日本人は、本当にお洒落だと思います。ピッティやミラコレの会場へ行っても、日本人のバイヤーやショップスタッフは、際立ってスタイリッシュです。確かに欧米人は、背も高いし、スタイルもよく、プレゼンテーションがうまいので、一見華やかに見えますが、ディテールに目を移すと、日本人のほうがサイズ感とテクニックに関しては上で、決して負けているとは言えないと思います。

さて、そんなブログのスタートを切るにあたって、最も相応しいと思ったのが、(株)ユナイテッド アローズの名誉会長、重松理さんです。重松さんと言えば、かつてはビームスの創業メンバーで、その後、(株)ユナイテッド アローズを興した、文字通りのミスター・セレクトショップです。草分けであり、セレクトの歴史は、この方と共にあったと言っても過言ではありません。

日本においては全国を網羅するセレクトショップですが、実は海外だと、ああいった形態の店はあまりないのです。クラシックを中心に、基本的なワードローブから流行のものまで、バランスよく揃えてあって、予算に応じてチョイスできる。そんな店は、本場ミラノでも、数えるほどしかありません。セレクトで、お洒落の基本と応用を学べたからこそ、日本人は、ここまでファッショナブルになれたのだと思います。そしてそれは、重松さんのお陰であったと言えるでしょう。

ジャケットは、ユナイテッド アローズ(UA)がよく発注している、大阪のメーカーI.J.I unitにオーダーして作ってもらったもの。

「ここではもう、20着くらい作りましたが、ダブルはこれが初めてですね。ジャケットの形が気に入っているんです。UAで展開するカモシタ ユナイテッドアローズのアイテムも、一部I.J.I unit製です」

パンツも同じく、I.J.I unitで作ったもの。裾幅は25センチ、ダブル幅は6センチもあります。こういったワイドパンツは、重松さんのトレードマークです。

「以前はいわゆる細身のパンツも履いていたのですが、もう飽きてしまって。ここ15年ばかりは、70年代のサンローランが作っていたような、パンタロン風のパンツばかり履いています。これは彼へのオマージュなのです」

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 シャツは、やはりUAでお付き合いのあるファクトリー、トーホーシャツ有限会社製。色違い素材違いで、20枚ほどオーダーしたそうです。

「首が長いので、台襟の高いものでないとダメなんです。しかしそういうシャツは、今流行っていないので、どうしても誂えることになります」

メガネは原宿のオプティシアン・ロイド。同じ形の素材違いで、10本くらい持っています。

時計はカルティエの、タンク ルイ カルティエ サファイア スケルトン。2014年のジュネーブ・サロンにて発表された新作です。

「展示会で、一目見て気に入った」そうですが、「見た目だけで買いました。キカイのことは全然わからない」とか。

リング類は、すべてオーダーメイド。自分で買って来た石を、株式会社柏圭にて仕立ててもらいました。一番大きい指輪に使われている双子のダイヤは、かつてはイヤリングに使われていたものだそうです。

ストールはドリス ヴァン ノッテン。ストールは大好きなアイテムで、400本ほど持っているそうです。

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シューズは、マックス ヴェッレ。彼はグッチやトム・フォード、セルジオ・ロッシなどのデザインを手がけていた、注目のシュー・デザイナーです。

「マックスヴェッレのことは、もともとぜんぜん知りませんでした。しかしある日、自分が好きで買っていた靴は、ほとんど彼がデザインしていることがわかったのです。そこでその後、彼の工場まで行って、オーダーをしてきたんです」と惚れ込んでいるご様子です。

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ちなみに、スーツとジャケットは150着、シャツは300枚、タイは200本、靴は「かつては400足持っていたけれど、今は当社の資料室に大半を寄付したので」150足ほどお持ちだそうです。やっぱり只者ではないですね。

「今日は繊研新聞主宰の“繊研賞”の選考委員を務めてきたため、フォーマルな、きちんとした格好を心がけてきました。さっきまで、これにネクタイを締めていたのです」と。重松さんクラスでも、やはりTPOは大切です。

「70年代のサンローラン的なものを、今の感覚で置き換えたようなアイテムが好きですね。しかし、そんなモノはどこにも売っていないので、自分で作っているのです」

1949年、逗子生まれの重松さんにとって、ファッションの“めざめ”は、やはりアメリカだったそうです。

「8歳年上の姉がアメリカに住んでいたので、よくいろいろなモノを送ってもらっていました。細身のジーンズにハッシュパピーやコンバースを合わせるのが定番でしたね。バイトして稼いだお金も全部洋服につぎ込んでいました。払いがよかったので、土木作業員やダンプの運転手までやっていたことがあるんですよ」とは、驚きです。

「その後、サンローランに出会って、ヨーロッパ風のものに夢中になりました。自分はビームススタート時も当初はヨーロピアンだったんです。自分の中では、いつもアメリカとヨーロッパが半々という感じでした」

そんな重松さんが、今一番力を入れているのは“日本”ということです。

「例えば日本が誇る伝統工芸、大島紬の織り手も、最盛期の5%まで減ってしまった。なので奄美大島に手織りの工房を持って、そこで織られた生地で、ジャケットやパンツなどの洋服を作って売るつもりなんです。また京都では、伝統的な建築技術を使って、茶室や能舞台などを備えた多目的スペースを建てるプロジェクトも進んでいます」

日本のお洒落文化、セレクトショップ文化を牽引して来た第一人者は、その原点に、もう一度立ち返っているようです。