THE TITANIC TENOR

太陽のテノール、ルチアーノ・パヴァロッティ

December 2024

ハンモックでくつろぐパヴァロッティ(1970年)。

 

 

 

 パヴァロッティはプロの音楽家としては数々の問題を抱えていたことは否めない。しかし、派手なシルクのスカーフと巨大なフェドラ帽に縁取られた笑顔は、いつも1000キロワットの輝きを放っていた。明るい逸話にも事欠かない。例えば、満員の客席に向かって、パンツ一丁でカーテンコールを受けたことがある。また、舞台上の椅子を鉄棒で補強しなければならなかったという話もある(パヴァロッティの最高体重は150kgもあった。ツアーには大量のモデナ産トルテリーニ、パルメジャーノ、プロシュートを持参していた)。

 

 アメリカン・エキスプレス・カードのテレビCMでは、星条旗の衣装をまとい馬に乗ってパレードを先導し、カーター大統領とハグをする映像の後に、カメラの前でこうつぶやいた。

 

「街では人々が私のことを知っている。しかし、家にいるときの私は何者でもない。ゼロの存在だよ」(何者でもなくても、アメックスさえ持っていれば安心というわけだ)。

 

 ロマンス・コメディの大失敗作『イエス、ジョルジョ』(1982年)では、性的欲求を抑えられないイタリア人男性の役をコミカルに演じ、こき下ろされた。彼は自伝の中でこの映画への出演を「人生最大の失敗だった」と語っている。

 

 バイアグラの効能について記者団にこんな冗談を言ったこともある。

 

「セックスはいつでもいいものだよ。女の子が求めてきたら、ショーの前だろうが、後だろうが関係ないだろう」

 

 そしてU2のボノの自宅にしょっちゅう電話をかけては、1990年代のボスニア戦争で被害を受けた子供たちのために曲を書くよう求めた(これはU2とブライアン・イーノとの共作『ミス・サラエボ』として結実し、パヴァロッティはボノと共演を果たした)。

 

 音楽のプロフェッショナルのなかには、パヴァロッティの能天気で無責任な一面に、顔をしかめる人たちもいた。シカゴ・リリック・オペラでは41回の公演のうち、実に26回もキャンセルがあったために支配人が激怒し、彼は劇場へ永久に出入り禁止となった。

 

 アカデミー監督・作品賞を受賞したこともある名匠ロン・ハワードによるドキュメンタリー映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』(2019年)では、1961年から2000年までパヴァロッティの妻であったアドゥア・ヴェローニが彼の思い出を語っている。

 

 パヴァロッティが不倫関係に陥った、彼より34歳年下のニコレッタ・マントヴァーニも登場し、許されざる関係がバレて、世間から冷たくされたつらい時期のことを述べている。

 

 実の娘たちも出演しており、父親に対する複雑な思いを吐露している。膵臓がんに侵された彼自身もカメラの前に姿を晒し、家族に心配をかけたことを後悔していると告白している。

 

 パヴァロッティは複雑な男である。言葉だけでは、彼の本当の人物像を浮かび上がらせることはできない。「マエストロ」、「イル・ディーヴォ」、「パヴロヴァ」、「キング・オブ・ハイC」など、彼の愛称は数あれど、それ以上のものではない。

 

 間違いなく、現代オペラの最高峰であった彼の本質をとらえようとすれば、ネッスンドルマの最も有名な台詞であり、彼のキャッチフレーズであるひと言が最もふさわしいかもしれない。

 

「ヴィンチェロ! ヴィンチェロ!(私は勝利する!)」

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