The Test Driving-Ferrari 296GTS

フォルテ・デイ・マルミに似合う
いちばん疲れないフェラーリ

October 2022

text KENTARO MATSUO

 

 

 

 

 

 “夏にはフォルテ・デイ・マルミによく行きました。その家には庭があり、正面には松林があり、その先が海岸で、松林の真ん中には砂利道がありました。緑色の木のゲートを開けると、そこには灰青色の大草原に覆われた平らな砂丘の前に、海が広がっていました”

 

by スザンナ・アニェッリ

『Vestivamo alla marinara (昔はいつもセーラーの服を着ていた)』より

 

 地中海とアプアンアルプスに挟まれたトスカーナ沿岸に位置するフォルテ・デイ・マルミは、イタリア随一の高級リゾートだ。あたりにはヴィッラと呼ばれる壮麗な館や五つ星ホテルが建ち並び、海岸にはそれぞれのホテルが持つプライベート・ビーチが広がっている。デザイナーのジョルジオ・アルマーニや、有名テノール歌手のアンドレア・ボチェッリなど、多くのセレブリティがセカンドハウスを持っている。小さいながらもブランド街があり、ルイ・ヴィトンやフェンディ、ヴィルブレキンなど、一流ブランドのブティックが軒を並べている。

 

 ここがリゾートとして発展するきっかけとなったのは、1926年にエドゥアルド・アニェッリ(1892〜1935年、THE RAKEと呼ばれたフィアット元会長ジャンニ・アニェッリの父)が別荘を購入したからだという。かつてはうら寂しい漁村だったフォルテ・デイ・マルミは、アニェッリ家お気に入りのリゾート地として名を馳せていく。

 

 冒頭の一文は、彼の娘スザンナが当時の模様を綴ったものだ。エドゥアルドは1935年に43歳という若さで亡くなったが、それはフォルテ・ディ・マルミからジェノバへの帰路、水上飛行機の事故によるものだった。

 

 現在のフェラーリ会長、ジョン・エルカーンは、エドゥアルドの曾孫にあたる。だから一族ゆかりのこの土地で、ブランニュー・フェラーリの華やかな国際試乗会が開かれることは、自然な成り行きだったのかもしれない。

 

 

 

 

 試乗当日、フェラーリ296GTSは、海岸沿いのプロムナードに沿って停められていた。車体色は真っ青な空の色をそのまま映し込んだようなメタリック・ブルーである。長い伝統を紡ぐフェラーリのミドシップ・オープン2シーターの最新モデルだ。人気車だったF8スパイダーの後継にあたるが、何より話題となったのは、傑作の誉れ高かったV8エンジンを捨て、V6ターボ+モーターのハイブリッド仕様としたことだ。

 

 

 

 

 エクステリアはF8スパイダーをさらにアグレッシブにした印象だ。サメのように口を開けたフロントバンパーに目を奪われる。これはエアインテークともなっており、空力にも効いている。296シリーズのためにまったく新しく設計されたシャーシは、先代と比べホイールベースが50mm短く、クルマの全長も短くなった。一見して小さく、ロー&ワイドなプロポーションだ。これはクイックな運動性能を追求した結果だという。

 

 全体のデザインは1962年発売の名車250LMにインスパイアされている。エレガントでスリークなシルエット、リアホイール上部の吸気口、コーダトロンカと呼ばれるスパッと切り落としたリアなどがそれだ。車体下部にはカーボン製のアンダーボディが取り付けられ、スポーティネスを強調している。

 

 

 

 

 アルミ製のリトラクタブル・ハードトップは70kgと軽量で、オープンするのに14秒しかかからない(しかも時速45kmまでは開閉可能)。屋根を開けるとフライングブリッジと呼ばれる橋梁部があらわとなり、電動のエアスクリーンを下げるとコックピット後部は筒抜けとなる。その後ろには透明カバーに覆われたV6エンジンが鎮座している。

 

 リア側から見ると、リアテイルの中央に集められたセントラル・エグゾーストが迫力である。ジェム(宝石)形のリアランプともマッチしている。車速に応じて上下する可動式のアクティブ・エアロスポイラーも備えていて、250km/hで100kgという強烈なダウンフォースを生じさせる。

 

 

 

 

 ボディ内側に倒れ込むハンドルに指を入れ、ドアを開け内部に目を転じると、インテリアはレザーとカーボンを主体としたシンプルなものだった。シートやダッシュボードには、上質なイタリアン・レザーが張られている。ドライバー・オリエンテッド・コンセプトのもと、すべての操作系がパイロットを中心にまとめられている。

 

 細かいところは丁寧にリファインされている。例えばシート表面には細かい穴が開けられ、空調を通すブレッサブル構造になっていたり、オープン時に首元を温められるエアー吹き出し機能が備わっていたりと、デイリーフェラーリとしての快適性が追求されている。

 

 

 

 

 F1ライクなステアリングホイールには、おなじみの回転式運転モード切り替えスイッチ、「マネッティーノ」が取り付けられている。反対側にはタッチ式のeマネッティーノが追加されており、新しく、H*ハイブリッド)やeDriveなどのモードが加えられている。後者にセットすると100%モーターのみでの走行となる(MAX25kmまで航続可能)。P(パフォーマンス)に加え、最も過激なQ(クオリファイ)モードも備えるが、面白いのはQモードにして、ゆっくりと走るとバッテリー充電に効果的なこと。従来のマネッティーノとは一線を画するシステムとなっている。

 

 ドライバーにとって僥倖なのは、F8スパイダーと比べ、ハイテク関係、特にナビゲーション・システムが大きく見やすくなったことだ。ステアリングに備えられたタッチパネルを操作すると、メーターパネルいっぱいにナビ画面が映し出され、格段にわかりやすくなった。これはヨーロッパで作られたものが、そのまま日本地図・日本語対応になるという。

 

 

 

 

 ステアリングに設けられたスタート/ストップスイッチもタッチ式だ。Hモードでスイッチをオンにしても、何の音もしない。そのままアクセルを踏むと、クルマはモーターによってスルスルと走り出す。これが並み居るスポーツカーの頂点に君臨するフェラーリのニューモデルとは思えない静けさだ。

 

 V6エンジンは走行中、「グオン!」という咆哮とともに、突然目覚める。いつものフェラーリ・サウンドが帰ってきた。新開発の120度V6ツインターボ・エンジンのコンセプトは「リトルV12」だという。コンパクトで低重心(先代V8より-30kgの軽量化)、そして強大なパワーと艶めかしいエンジン音を発生させる。

 

 

 

 

 エンジン音を楽しむことは、フェラーリをドライブするにあたって大きなウエイトを占めている。ハイブリッド化で、ファンがいちばん心配したのはそこだ。フェラーリ側も、いかにしていい音を届けるかに腐心している。「ホットチューブ」と呼ばれる官能サウンドをコクピットに還流するための装置が採用され、エンジンで生み出された豊かな倍音が室内に響き渡る。

 

 

 

 

 高速道路でフルスロットルを試みると、「シュパーッ」という吸気音に続き、「クォーン」という甲高い叫喚が耳をつんざく。このサウンドの演出は先代以上だ。同時に圧殺されるがごとき加速が得られる。総合出力830ps、0-100km加速2.9秒、0-200km加速7.6秒、最高速度330km/hのスペックは伊達ではない。

 

 とにかくめちゃくちゃに速い。バッテリーによる重量増を微塵も感じさせない。パワーウエイトレシオは1.86kg/psと抜きん出た数値をマークしている。PやQモードにしておけば、この音と速さをいつでも味わうことができる。

 

 

 

 

 ところで・・、前述のジョン・エルカーンはステランティスの会長でもある。ステランティスは2021年にFCAとPSAが合併してできたグループで、世界第4位の自動車販売台数を誇る巨大コングロマリットだ。傘下には、アバルト、アルファロメオ、クライスラー、シトロエン、フィアット、ジープ、マセラティ、プジョーなどのブランドを擁している。

 

 当然フェラーリもステランティスの一員かと思いきや、これが違うのだ。フェラーリは完全に独立した会社で、ステランティスとの資本的、技術的シェアは一切ないのだという。売上云々について、とやかく言われることもないらしい。

 

 その代わり、フェラーリ社内での人事的交流はさかんで、例えば昨日までF1に携わっていたエンジニアが今日から市販車を担当したり、その逆もあるという。デザイン、エンジン、シャーシなどそれぞれの部門の距離も近く、毎日エスプレッソを飲みながら、議論を繰り返しているとか・・。彼らのすべてが「世界一のスポーツカーを作っている」との自負に溢れ、「いかにしてオーナーを楽しませるか」に心を砕いているという。こういった人々が作っているクルマだから、ファンがフェラーリに何を求めているのか、よくよく、わかっているのだ。

 

 まぁ、いろいろな意味で、フェラーリは「特別」なのだ。

 

 

 

 

 さて、その後、筆者はちょっとしたアクシデントに見舞われた。フォルテ・デイ・マルミを出発し、当日の目的地であるモデナ郊外、フェラーリの本拠地マラネッロへ向かう途中、トスカーナの山中で迷子になってしまったのだ。

 

 キャンティやブルネッロ・ディ・モンタルチーノなどの銘醸ワインで知られるトスカーナ地方では、緑の丘陵が終わることなく続き、その中に赤茶色の古いヴィッラが点在している。どこを切り取ってもまるで一幅の絵のような風景である。ワィンディングロードのメッカとしても知られている。

 

 映画『トスカーナの休日』(2003年)では、主演のダイアン・レインがトスカーナの美しさに一目惚れして家を買ってしまうが、私も景色に見とれていたら、そして296GTSのハンドリングに心酔していたら、自分がどこにいるのか、まったくわからなくなってしまったのだ。

 

 ナビゲーションをセットし直すと、目的地までの道は、高速道路ではなく、グニャグニャに曲がった下道(したみち)のようだ。仕方なくナビに拠って走り出したが、ここからが少々ハードであった。

 

 延々と続くワインディングへ導かれ、それはときに農道のように狭くなる。幅2m近い296GTSを操るのは殊のほか気を遣う。もはやカーブを楽しむ余裕はなく、対向車が来ないよう祈るばかりである。街中では道を間違え、デッドエンドに突き当たり、大勢のイタリア人が注視する中で、何度も切り返しを余儀なくされた(フェラーリに対するイタリアオヤジの視線は、まさに極上の女を舐め回すごとくである。こういう時、ハイブリッドは静かでいい)。そのうちあたりは暗くなり、心細いことこの上ない。ようやく「MODENA」の標識を見つけたときは、胸をなでおろしたものだ。

 

 彷徨すること5時間以上、一切の休憩なしで、ようやくマラネッロに到着した。クルマを降りると、足はガクガク、腰はギックリかと思いきや・・これが、なんともないのだ。思った以上に疲れていない。これには驚いた。

 

 歴代のフェラーリのなかで296GTSは、いちばん速いフェラーリかどうかはわからないが、確実に言えるのは「いちばん疲れないフェラーリ」だということだ。シートの出来のよさ、空調の快適さ、運転のしやすさ、ハイブリッドであることの静けさ、そういったものが総合的に効いているのだろう。特にハイブリッドであることは重要かもしれない。フェラーリのエンジン音は素晴らしいが、ときにエンジンのスイッチをオフにできることは、緊張を解き、大きなリラックス効果を生むようだ。

 

 フェラーリが296シリーズになぜ「GT(グランツーリスモ)」の文字を冠したか、改めて理解した。296GTSは、フォルテ・デ・マルミのような陽光輝くリゾートによく似合う。そしてそこへと至るミッレ・ミリア(1000マイル)の道も、鼻歌まじりに駆け抜けることができるのである。

 

 

 

 

 フェラーリはクルマではない。それは一種の麻薬だ。一度経験すると、それなしではいられなくなる。ハイブリッドになっても、その中毒性はまったく変わりがない。

 

 異国で道に迷った心細さのなかで、唯一頼れるのは、紺碧の跳ね馬だけだった。5分程度の試乗なら、まだ現世に戻ってこられるが、5時間以上、濃密な時を共に過ごしてしまうと、それ以降は、いつもフェラーリのことばかり考え、渇望してしまう。

 

 帰国してからの、この喪失感を、どう埋め合わせればいいのだろう。もはや家を売り、フェラーリを買うしかないのか・・そう考えている今日この頃である。