Rolls-Royce Spectre Test Driving in Napa Valley
ロールス・ロイスの電気自動車 スペクターをナパ・ヴァレーにて試す
July 2023
text kentaro matsuo
真っ青な空、燦々と輝く太陽の下に、まるで緑のコーデュロイ地を敷き詰めたように、ぶどう畑の畝(うね)が広がっている。両側を山々に囲まれ、地平線は大きなアーチを描いている。その中央を1本のハイウエイが貫き、道路脇にはところどころに壮麗なマナーハウスが佇んでいる。クラシックな建物もあれば、モダンなアーキテクチャのものもある。それらの看板には、ロバート・モンダヴィやオーパスワンなど、世界に名だたるワイナリーの名前が記されている。
7月のカリフォルニア州ナパ・ヴァレーは、天国に一番近い“谷”だ。ナパ川に侵食されてできたこの盆地は、サンフランシスコ湾へ流れ込む寒流のせいで、南ほど冷たく、北へ行くほど暖かくなっていく(あべこべなのだ)。
最北の街カリストガまで行けば、日中の気温は30度近くまで上がるが、乾燥しているので日陰へ入るとひんやりと涼しい。夜8時を回っても、あたりは明るいまま。空気はからりと澄み渡り、爽やかな風が吹いている。
カリストガの丘陵に一昨年オープンした最高のリゾートが、“フォー シーズンズ リゾート アンド レジデンシズ ナパ ヴァレー”だ。約2万7,000坪の広大な敷地のなかに、カリフォルニアの農家をモダナイズした建物が並んでいる。客室は全部で85室だというから、この広さを考えると実に贅沢な設計だ。自社で経営するワイナリーを併設する唯一のホテルでもあり、客室にいると、まるでブドウ農園の当主になったような気分を味わうことができる。
ロールス・ロイス初の電気自動車“スペクター”のテストドライブのベースとしてこのホテルが選ばれたのは、そのラグジュアリー性に通じるものがあったからだろう。さまざまなカラーを纏った20台以上のロールス・ロイス・スペクターが集められ、世界中から180名以上のジャーナリストが招待された。
ロールス・ロイス、ディレクター・オブ・グローバル・コミュニケーションズ、エマ・べグリー氏。
「世界初の超高級電動スーパークーペを発表するにあたり、どこで発表するかは大きな問題でしたが、カリフォルニアに決めるまで時間はかかりませんでした。アメリカはわれわれにとって最大の市場であり、カリフォルニアは電気自動車をいち早く導入した地域ですから」そういうのはディレクター・オブ・グローバル・コミュニケーションズのエマ・べグリー氏である。
「ナパ・ヴァレーを選んだのは、そこで歴史が書き換えられ、古い体勢が覆された場所だからです」
これは1976年に行われた“パリスの審判”を指している。当時は、アメリカ産ワインなど、フランス産の足元にも及ばないと考えられていた。しかし、パリのインターコンチネンタル・ホテルで行われたブラインド・テイスティングによる勝負で、ナパ・ヴァレーのワインが、仏ワインに圧勝してしまったのだ。この事件は世界中に衝撃を与え、カリフォルニア・ワインがマーケットで高い評価を得るきっかけとなった。
「この出来事は先入観を打ち砕き、古い世界の支配を永遠に終わらせました。スペクターはこれと同様に、過去との壮大な決別を象徴しているのです」
ロールス・ロイス創業者のひとり、チャールズ・スチュアート・ロールズ(1877~1910年)。
ロールス・ロイスと電気自動車の縁は深い。創業者のひとりチャールズ・スチュアート・ロールズは、1900年、「電気自動車はまったく騒音がなくて空気も汚さない。匂いも振動もない。定位置式の充電ステーションが整備されれば、途方もなく便利なものになるだろう」と予言した。
ロールス・ロイス創業者のひとり、フレデリック・ヘンリー・ロイス(1863〜1933年)。
また、もうひとりの創業者フレデリック・ヘンリー・ロイスは、9歳で父親を亡くし、新聞配達をしながら生計を支えた苦学生だったが、学んだのは電気工学だった。貯金20ポンドを元手に興した初めての会社、ロイス&カンパニーは、ランプホルダーやフィラメントなどを卸していた。
ロールズとロイスのふたりは、1904年に出会い、意気投合してクルマ作りを始めるが、最初の一台は10HPと名付けられたエンジン車であった。彼らの慧眼は、電気自動車はいまだ時期尚早であることを見抜いていた。その夢が叶うのは、それから120年後のことになるのだ。
ロールス・ロイス・モーター・カーズ最高経営責任者、トルステン・ミュラー・エドヴェシュ氏。
「これは本当に歴史的な瞬間です。なぜならスペクターは“すべてを変えるロールス・ロイス”だからです」
そういって、ロールス・ロイス・モーター・カーズ最高経営責任者、トルステン・ミュラー・エドヴェシュ氏は胸を張る。2010年以来のCEO就任以来、ラグジュアリー・ブランドとしてのロールス・ロイスを牽引し、2022年には過去最高の年間販売台数を達成した人物だ。彼もまた、早い時期からロールス・ロイスの電動化を夢見ていたひとりだ。
ファントム・エクスペリメンタル・エレクトリック(2011年)。
「私がロールス・ロイスの電動化を目指したのは、2011年の“ファントム・エクスペリメンタル・エレクトリック”までさかのぼります。スペクターは10年以上にわたる献身的な努力の結果であり、完璧さへの飽くなき追求なのです。このクルマはロールス・ロイスであることを第一に、電気自動車であることを第二に考えなければならないものでした。ヘンリー・ロイスは、『いまある最高のものを、さらによいものへ』という言葉を残しました。スペクターを作り上げることは、この言葉を体現したものです」
そう、エドヴェシュ氏は力強く言った。
ホテルのエントランスには、さまざまなカラーを纏った、数十台ものロールス・ロイス・スペクターが停められていた。これだけの高級車が一堂に会するのも珍しい。贅沢には慣れているであろうフォーシーズンズのゲストたちも、超高級車の群れに、驚嘆と羨望の眼差しを投げかけていた。
スペクターを目にして誰もが驚くのは、その圧倒的な存在感である。全長5,475mm、全幅2,017mmとクーペとしては最大級だ。スペクターは、ゴーストではなくひとクラス上のファントム・クーペの後継車という位置づけのため、この大きさとなったという。23インチの大径ホイールもクーペタイプとしては世界初らしい。しかし、全高は1,573mmにおさえられており、低くスリークなシルエットとなっている。
フロントのパンテオングリルは、歴代のロールス・ロイスのなかで最大の幅を持つ。しかし電動車なのでグリルに穴は空いていない。その代わり夜になると、内側からLEDライトによって照らされ、ライトアップされた神殿さながらとなる。
その上に羽を広げるマスコット“スピリット・オブ・エクスタシー”は空力を鑑み、少し前傾姿勢を強めたという。これだけ押しの強いフロントデザインながら、Cd値は0.25におさえられている。
サイドで目立つのは、1.5mもの長さを持つコーチドア(またはスーサイドドア)と呼ばれる逆ヒンジに取り付けられた扉だ。前から後に向けてオープンする。これはホテルや劇場などに乗り付け、ドアマンがドアを開いた際、降りる人をことさらエレガントに見せてくれる。
問題はドアを閉じるときにドアレバーが遠すぎて手が届かなくなってしまうことだが、スペクターのドアはボタンひとつで開閉可能なので心配ない。
天井から流れるように伸びたラインが、自然とリアまで続いている。Aピラーからテールランプまで、一枚の板でできており美しいアーチを描いている。
その下には、ドアノブを中心に車体を横に貫くストロークと、ボディ下部にふわりと上昇するようなラフトラインが入れられている。
ハンドペイントのコーチラインを入れるか、入れないかはお好みでどうぞ。
スペクターのデザインはモダニズム彫刻、船舶デザイン、テーラリング、現代アートなど、自動車の枠を越えたさまざまな世界からインスピレーションを受けている。特に、現代のレーシング・ヨットのスタイリングに見られる明瞭で正確なライン使いにヒントを得ているという。
外装色のバリエーションは44,000色もある。定番のネイビーやシルバーはもちろん、薄いピンクの貴石色(モルガナイト)、光り輝くリキュール色(シャルトリューズ)などのカラーは、他では見られないものだ。
またツートーン塗装をオーダーすることも可能で、エクステリアのシェイプに併せて、2つの色をコーディネイトすることができる。その組み合わせは無限といえよう。ロールス・ロイスを選ぶことが“ビスポーク”と表現される所以だ。
インテリアもまた、顧客とのビスポークで作られていく。ベースとなるのは最高級のレザーやウッドだが、それらをどう組み合わせるかで、オーナーのセンスを表現することができる。
基本的なデザインはクラシカルで、何より素材がいいものだから、何をどう選んでも軽薄な感じにならない。ここは当たり前の色合わせより、ちょっと変わったチョイスが面白い。
例えば、今回私が試乗車としてあてがわれたのは、前出のモルガナイト(サーモンピンク)にホワイトレザー、レッドのアクセント、ダークオークのトリムがあしらわれたものだったが、コイツは洒落ていた。他ブランドではあり得ないカラーリング・センスだ。
またクーペだが、後席が広々としているのにも驚いた。ショーファーとしても十分使える。ゴーストあたりと比べても、遜色ないスペースだった。
数千本の光ファイバーを使って満点の星空を表現する“スターライト・ヘッドライナー”は、ドア部分にまで拡大され4,796個もの光をちりばめた“スターライト・ドア”のオプションが選べるようになった。
両方を点灯させれば、まるで宇宙空間に浮かんでいるような錯覚が得られるだろう。時折、眼前を流れ星がよぎる演出もある。実際の星空を再現することもできる。例えば、自分が生まれた日時の星々の位置を復元することさえ可能だという。
ロールス・ロイス、デザイン・ディレクター、アンダーズ・ウォーミング氏。
「私がデザイナーとして常に意識していることは、ストーリーテリング、つまり触れるもの、感じるものすべてに重要な背景があるということです」
そういうのは、デザイン・ディレクターのアンダーズ・ウォーミング氏である。
「いつでもRRマークが正立しているセルフライティング・センターキャップやドアに仕込まれた傘など、細かいディテールにこそ、ロールス・ロイスの魂が宿っています。エアコンの吹き出し口が金属で出来ており、指で弾くと“キンキン”と甲高い音がなったり、ダッシュボードのアナログ式時計に繊細な装飾が施されていたり……。ロールス・ロイスはこんなところにまで配慮しているのか、と感動されるでしょう」
至高のドライブ体験へ
運転席に座って、シートポジションを合わせると、アイポイントが思いの外低いことに気づく。フロア下にはバッテリーが敷き詰められており、それは遮音材としても効いているそうだが、腰高な感じはまったくない。紛うことなきスポーツ・クーペの着座位置である。広々としたボンネット越しに、フライング・レディを拝むと、自然とエレガントな面持ちになってくる。貴族の仲間入りをした気分だ。
走り出すと、その圧倒的な静けさに驚く。まったくノイズが車内に入ってこない。エンジン音はそもそもないのだから当たり前だけれど、ロードノイズも上手にカットされていて、路面からのゴ―という音がまったく聞こえない。
ウインカーを出すと、カチンカチンと上質な金属音だけが車内に響く。カーオーディオ・システムにプリセットされていたのは、ラウンジ風のジャズやポップスだったが、ことさらボリュームを上げなくても、ヴォーカルのブレス音やギターのフィンガリングまでを拾うことができる。
車名としてファントムやゴーストといった言葉を冠し、静けさを追求してきたロールス・ロイスが、本当にやりたかったのはこれなのだと膝を打つ。荒れた路面からの突き上げも、完璧にやりすごしてしまう。本当にタイヤが地面と接地しているのか、不安になるほどだ。エンジン車において長らく追求されてきた“マジック・カーペット・ライド”は、電気自動車にしてついに完成をみたようだ。
ナパ・ヴァレーの中心を通るハイウェイ29号線を外れ、北東の山岳地帯へ向かうと、良質のワインディング・ロードを走ることができる。日本でも有名なカプコン創業者、辻本憲三氏がオーナーのケンゾーエステートなど、新興ワイナリーは山側にあることが多い。
ステアリング横のコラムシフターのBスイッチを押すと、回生ブレーキが強まり、アクセルに対するレスポンスが上がり、スポーティな走りが可能となる。ガソリン車のミッションをローギアに入れたような効果があり、大小のカーブをワンペダルでクリアすることができる。重心が低いので、旋回中も安定しており、思いの外取り回しは楽しい。
前後ふたつのモーター出力を合わせると、430kW(584hp)を発生、これはトルク900N・mの内燃機関に相当する。0-100km加速は4.5秒を達成している。踏み込めば、相当に速い。そして加速や旋回は恐ろしいほどスムースである。
実は、直線時もカーブを曲がるときも、ステアリング、ブレーキ、パワーなど20種類以上のパラメーターがセンサーによって監視され、絶えずサスペンションをコントロールしているという。スペクターは電子制御の塊でもあるのだ。
しかし好ましいのは、クルマ全体があまりハイテク感を押し出していないところ。電気自動車のなかには、数え切れないほどのタッチパネルやデジタル表示、SFチックな効果音で未来を演出しよう躍起になっているモデルもあるが、スペクターはそういうところは控えめである。メーターやスイッチはシンプルだし、効果音も(機能はあるが)かすかに聞こえる程度に留められている。
しかし造型の自由度は上がっていて、ビスポークの領域はデジタルにまで広げられ、例えばメーター文字盤のカラーを外装色とコーディネイトすることもできるようになった。
電気自動車としての使い勝手はどうだろう? 航続距離は530km(WLTPモード)となっている。これは日本なら東京から神戸までの距離に匹敵するので、実用上の問題はまったくなさそうだ。195kWの高速充電器を使用した場合、10-80%の充電時間はわずか34分であるという。問題はそれがどこにあるかだが……。このクラスのクルマのオーナーは、平均して6〜7台を持っているらしいから、そのあたりはどうでもいいのかもしれない。
ロールス・ロイス・スペクターは、現在最もラグジュアリーで、先進的なクルマであることは間違いない。その特徴を列記すると……、
・サヴィル・ロウのビスポーク・テーラーのように、顧客の好みを完璧に形できる。
・カラーリングが派手でも、素材がいいのでエレガントに見える。
・英国伝統のクラフツマンシップが多用されている。
・いざ踏み込めば恐ろしく速いが、普段はジェントルである。
・ハイテク満載だが、それをひけらかさない。
・卓越した存在感を持つが、どこかアンダーステートメントでもある。
まさに21世紀風にモダナイズされた英国貴族趣味を、そのままカタチにした一台、それがロールス・ロイス・スペクターなのである。
Rolls-Royce Spectre(ロールス・ロイス・スペクター)
全長×全幅×全高:5,475×2,017×1,573mm
車両重量:2,890kg
出力:430kW(584hp)
トルク:900N・m
航続距離:530km(WLTPモード)
¥48,000,000〜(ビスポークにつき顧客の要望により変動)
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