ROGUE ONE: HARRISON FORD
最も成功した俳優:ハリソン・フォード
August 2023
ハリソン・フォードは、『スター・ウォーズ』、『インディ・ジョーンズ』のシリーズに主演し、空前のスーパースターとなった。2001年には最も収入の多い俳優として、ギネスブックにも掲載された。なぜ彼は、これほどの大成功を収めることができたのだろうか?
by ben st george
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)のハリソン・フォード。Photo by Lucasfilm Ltd/Paramount/REX/Shutterstock.
ハリソン・フォードは、まさに不世出の役者である。大工として10年以上働いた後、俳優として成功。出演した映画が立て続けに大ヒットし、同世代で最もアイコニックな役者となった。アメリカ史上最高の興行収入を記録したスターであるだけでなく、影響力のある慈善家であり、熟練したパイロットであり、航空機コレクターでもある。フォードにちなんで名付けられた、新種のアリ、クモ、ヘビさえいるのだ。乾いたウィット、ぶっきらぼうな語り口、そして圧倒的な存在感……。フォードは今日に至るまで、スクリーンの内外で巨人であり続けている。
シカゴで生まれたフォードは、俳優を目指していたわけではない。ただ、父親のようにオフィスで働くことは避けたいと思っていた。フォードはこう語っている。
「私の学校での成績を表現するのに、最も適切な言葉は“怠惰”だった」
しかしながら、彼はボーイスカウトのリーダーとして熱心に活動し、最終的にウィスコンシン州のリポン・カレッジに進み哲学を専攻する。カレッジでは、内気な性格を克服するために演劇のクラスを取った。ここで演技にハマったフォードは、カリフォルニアに移り住み、コロンビア ピクチャーズと契約を結んだ。
当初、彼の名前が初期のサイレント映画のある俳優と同じであることが問題となった。
「コロンビアと契約したときに改名するように言われたから、『Fuck You!』と言い返したんだ。でもよく考え直して、翌日に、『わかった、カート・アフェアーにするよ』と返事をしたら、彼らは『もういい、気にするな』と言ってくれた」
契約後はいくつかの小さな役を得たものの、安定した仕事はなかった。妻と幼い子供たちを養うため、独学で大工仕事を学び、副業とした。ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』(1973年)で役を得るまでの約12年、主な収入源はこの大工仕事であった。
ルーカス監督は次の長編映画―大ヒットを記録した『スター・ウォーズ』(1977年)―のキャスティングを始めると、フォードをハン・ソロ役の“セリフ読み”としてオーディションに呼んだ。ハン・ソロ役にはアル・パチーノ、クリストファー・ウォーケン、ニック・ノルティ、シルベスター・スタローン、カート・ラッセル、スティーヴ・マーティン、バート・レイノルズ、ビル・マーレイといった錚々たる俳優たちが候補として上がっていたが、ルーカスは最終的にフォードのカリスマ的演技力に気がつき、そのまま彼を本採用したのだ。それが彼のその後の人生を大きく変えることになったになったのはいうまでもない。『スター・ウォーズ』とそれに続く3部作は大成功した。
以降、フォードは『地獄の黙示録』(1979年)、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)、『ブレードランナー』(1982年)など、多くの作品に立て続けに出演した。
中でも、ハン・ソロと並んで彼の代名詞となった考古学者インディ・ジョーンズは、幸運によって手に入れた当たり役だった。スティーヴン・スピルバーグ監督はジョーンズ役にフォードを希望していたが、プロデューサーのジョージ・ルーカスはトム・セレックを起用したがっていた。セレックがこの役を断ったため、フォードが呼ばれたのだ。
このシリーズもやはり大成功を収め、フォードは正真正銘のスーパースターとなった。彼が演じるキャラクターは、生意気で威勢よく、タフで狡猾だが、意外に繊細な一面も見られる。明らかに過ちを犯しやすいのだ。彼は自分の役についてこう語っている。
「ハリソン・フォードになることに興味はない。マイク・ポメロイ、インディ・ジョーンズ、ジャック・ライアンといった役になることに興味がある。“ハリソン・フォードのような仕事”はしたくない。仕事は真剣にやるけど、自分のことは真剣じゃないんだ」
演技以外にもうひとつ、フォードが真剣に取り組んできたことがある。航空への情熱である。彼は大学時代に操縦を学び始めたが、わずか3回のレッスンで金が底をつき、50代になるまで再開することはなかった。
「歳をとってもう何も学べないんじゃないかと心配したよ。多くの人は空を飛ぶことを危険なことだと思っている。でも私にとっては危険を減らすことなんだ」
彼はその航空技術を活かし、これまで2度の人命救助を成功させている。また、2010年に起きたハイチの大地震では、壊滅的な被害を被った地域に医療物資を届けた。
また、彼はパイロットになって以来、新鋭機とヴィンテージ機、その両方の羨ましいコレクションを揃えている。サイテーション・ソヴリン・ジェット、1929年製ワコー・テーパーウィング複葉機、ベル407ヘリコプター、そして第二次世界大戦時の戦闘機ライアン PT-22 リクルートなどだ。
2015年にPT-22を操縦しているとき、空中でエンジンが停止し、カリフォルニアのゴルフコースへ緊急着陸したこともある。フォードは重傷を負ったが、その後完全に回復した。
「とてもシンプルだが、大きな問題だった。エンジンが完全に止まったんだ。空港まではたどり着くことができず、どこか着陸できる場所を探さなければならなかった」
彼は注意深く訂正した。
「私は墜落していない。飛行機が墜落したんだ」
81歳となったフォードだが、その活躍はとどまるところを知らない。2023年には最新作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』が公開された。
「まだここにいる理由? 私がファッショナブルじゃなかったからだろう。だから、新しいものに取って代わることもなかった。流行の波に乗ったことがない、古い靴みたいなもんだ」