RAKISH ICONS: TOM FORD

レイキッシュ・アイコン:トム・フォード

November 2022

THE RAKEインターナショナル版の表紙(ISSUE7)を飾ったこともあるトム・フォード。その後の偉大な業績を考えると、キャリアのスタートはかなり地味なものだった。彼がスター・デザイナーになるまでの流れを追ってみた。

 

 

by CHRIS COTONOU

 

 

 

 

 1961年生まれのトム・フォードが、今日のスーパースター・デザイナーになるための一連の出来事は、大学進学のためニューヨークへ移ることを決めたときから始まった。やがて彼は特徴的なスリムカットのテーラリングを生み出し、ファッション界で最も有名で象徴的な人物のひとりとなった。

 

 郊外での快適な生活から離れることは、フォードがその長いキャリアの中で冒した最初の大きなリスクだった。ニューヨーク大学の美術史で1年学び、一時は俳優を志していた。パーソンズ・ザ・ニュースクール・フォー・デザインで1986年までインテリア・アーキテクチャーを学ぶ一方、スタジオ54に通い詰め、当時のディスコシーンにどっぷりと浸かっていた。このことは今でも彼のグラマラスなデザインに影響を与えている。

 

 マンハッタンでクロエやペリーエリスといったブランドで仕事をしながら、1990年に、ブランドとしてはどん底にあったグッチへ移籍した。当時のグッチのクリエイティブ・ディレクター、ドーン・メローは、「多くの人に声をかけたが、ほとんどの人がグッチの仕事をしたがらなかった。彼にとって、それはリスキーだった」と語っている。

 

 

 

 

 

 しかしフォードはその年の9月にミラノに移り住み、デザイナーとしての役割を着実にこなしていく。やがて、メンズウェアやシューズにまで職責を広げ、1994年にはグッチのクリエイティブ・ディレクター、1999年にはサンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任した。

 

 フォードのグッチグループにおける15年間の活躍により、ファッション界はアルマーニのようなオーバーサイズのメンズウェアやグランジ・ファッションから、90年代初頭を特徴づける、より華やかで、ありのままを生かしたスタイルへと変化した。そのムーブメントは、今でも大きな影響力を持っている。

 

 ハイライトは、ヌードのソフィー・ダールを起用したサンローランの香水オピウムの挑発的な広告キャンペーンや、トリッシュ・ゴフが着用して伝説となった、レッドのベルベットのスーツを発表した1996年秋冬のショーだった。このレッドのベルベット・スーツは、グッチのソフトで官能的なテイストを象徴するアイテムとなり、グウィネス・パルトローが同年のMTVミュージック・アワードにて、ゴフのルックを真似てこのアンサンブルを着用しており、さらに後にグッチの創立100周年コレクションにおいて、現クリエイティブ・ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレによって再現されている。フォード自身も2019年の自らのコレクションで再び発表している。

 

 

 

 

 もうひとつの象徴的な瞬間は、97年のミラノ・ファッション・ウィークでグッチのTバックを発表したことだ。ヴォーグ誌はこのコレクションを、“一夜限りのスタジオ54に相当するもの”と書いている。このTバックは現在、ニューヨーク近代美術館の永久所蔵品となっており、アレキサンダー・ワンやジバンシィによって再解釈されている。

 

 フォードは、物議を醸しながらもセックスを肯定するキャンペーンやコレクションでファッション界を揺るがした。彼は反抗的かつ文化的であり、Y2K(2000年)のファッションを特徴づける、エロティックでありながら高貴なスタイルの雛形を築いた。

 

 彼が入社した2年目の1995年から96年の間に、グッチの売り上げは90%も増加した。しかしその後、創業者一族マウリツィオ・グッチや、フォードのデザインを嫌っていたイヴ・サンローランとの間に不和が生まれ、グッチでの立場は悪化の一途をたどった。

 

 2004年にフォードが去った時、グッチのブランドとしての価値は100億ドルになっていた。彼の仕事量の多さは圧倒的だった。彼の抜けた穴を埋めるために4人のスタッフを雇わなければならないほどだった。

 

 

 

 

 そして2年後、彼は自分の名を冠した新しいレーベルを立ち上げ、ファッション界に戻ってきた。2006年以来、“トム フォード”はラグジュアリーとグッドセンスの象徴となっている。フォードは、グッチ時代に成功を収めた、官能的でグラマラスなデザインのコレクションを発表し続けている。役員会や同僚との不和に悩まされることなく、彼自身の言葉でクリエイトしているのだ。

 

 トム・フォードがテレビ局CNBCに語った“トム・フォード・マン”のイメージは、インターナショナルで、文化的で、旅慣れていて、十分な可処分所得を持っていることだった。だからこそ、007シリーズのプロデューサーであるバーバラ・ブロッコリから、世界で最も有名なスパイ、ジェームズ・ボンドの衣装を依頼されたのだ。

 

 フォードのスーツの豊かなビジュアルは、ディテールへの徹底的なこだわりに起因している。大量生産とは真逆のアプローチを行っており、熟練の職人による膨大な数の手作業によって作られているのだ。

 

 ラペルのボタンホールはシルクのステッチ、ラペルの裏側には手縫いのループ(ラペルフラワーのための水の入った瓶を入れるため)、手縫いによる袖のボタンホール、ハンドカットされ手縫いされたウェルトポケットなど、ハンドメイド・スーツならではのディテールを備えている。また、トラウザーズの折返しは、クリーニングのためにボタンを外すことができるようになっている。トム・フォードのスーツを特徴づけるのは、ブランドネーム・タグ(これも手作業で折り返し、縫製されている)よりも、こうした職人技やディテールなのである。

 

 ダニエル・クレイグの映画『007』のスーツをデザインし、ブランドと映画との結びつきが始まると、フォードの名はファッション界以外にも広く知られるようになった。同時に、ジェイ・Z、トム・ハンクス、ミシェル・オバマなどのセレブリティが彼の服を着用し、クラシックでありながらもトレンドをさりげなく取り入れたトム・フォードルックを世に広めた。

 

 

 

 

 96年に発表した伝説的な赤いベルベットのスーツは、今でも彼のコレクションの定番であり、トム・フォードの代名詞ともいえるアイテムだ。ピークドラペルやセンターベント(エアーベント)など、テーラリングへの深い理解を示す彼のタキシードは、メンズの高級ワードローブには欠かせないものとなっている。

 

 常にチャレンジを続けるフォードは、2007年に“トム・フォード・マン”の精神を表現したフレグランスを発表し、コレクションに加えた。

 

 さらに彼は映画監督にも挑戦し、2009年、クリストファー・イシャーウッドの小説を原作とし、コリン・ファースが主演を努めた映画『シングルマン』を発表した。この作品はアカデミー賞主演男優賞にノミネートされるなど高い評価を得て、フォードは映画監督としても名を馳せた。このヒット作を放った後も、フォードは2作目となる『ノクターナル・アニマルズ』(2016年)を製作。この作品はヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞を受賞するなど、彼の映画界への進出が観客だけでなく、批評家からも受け入れられていることを証明した。

 

 ニューヨークに移り住み、グッチに移籍し、そして独立して自分のブランドを立ち上げたフォードが証明したのは、「安住しないこと」の重要性である。街行く人の多くは、巨大ラグジュアリー・ブランドの服を誰がデザインしているのか知らないだろう。しかし、トム・フォードは有名なブランドであると同時に、有名人であり、アイコンだ。他の多くのアイコンと同じように、彼の偉業は同じところに立ち止まっていては決して成すことが出来ないものだったのである。