‘VIRTUAL REALITY IS BEING REALISED - EVERYTHING WE WERE PROMISED... BUT IT WON’T MATCH THE REAL THING’

マイケル・フリードマン氏インタビュー
時計が芸術作品と同様に認められるべき理由

December 2021

マイケル・フリードマン氏は、独自のレンズを通して時計を見ている。

さあ、時間と人生についての哲学を語っていただこう。

 

 

text christian barker

 

 

 

Michael Friedman/マイケル・フリードマン

アメリカ出身。学生時代から時計と多様な文明との関係性に魅了され、大学卒業後に国立時計博物館の学芸員としてキャリアをスタート。その後数年間、ニューヨークのクリスティーズで時計部門の責任者兼副社長を務めたのち、2013年に歴史研究家としてオーデマ ピゲに入社。2019年にコンプリケーション部門責任者に就任。

 

 

 

 オーデマ ピゲのコンプリケーション部門責任者であるマイケル・フリードマン氏は、いつの日か時計が人類史上最も重要な発明のひとつとして評価されることを願っている。フリードマン氏によると、時計の物語とは「時の物語であり、文化において時間が意味することの物語」であるという。最高レベルのクラフトマンシップを備えた時計とは、単なる高級品ではなく独立した思想の表れであり、流行り廃りのサイクルが加速するこの儚い世界において、記憶に残る「永続的な作品」であるとフリードマン氏は信じている。

 

 

 

 スタイルとは単なる選択ではありません。我々の内にあるものであり、それが外に現れるのです。そしてそれは、時を経て変化したり、改良されたりします。私にとって真のスタイルとは、(ラッパーの)メソッド・マンの言葉を借りれば「steez」、つまり「ease(気楽さ)」のあるスタイルです。選択するものではなく、流れの中にあるものであり、内なるダイナミクスを外に向けて表現するものなのです。一方で、ファッションは選択です。外側の要素であり、取り入れるかどうかを選択できます。あるファッションの要素を採用すれば、それがあなたの一部分となり、時を経てスタイルになります。けれど決定的に違うのは、スタイルはタイムラインを切り取るものであり、ファッションは一瞬のものであるということ。ファッションはスタイルになり得ますし、そのファッションが生まれた瞬間よりも大きな存在になることもあります。しかし、本質的には一瞬のためのものなのです。

 

 

 タイムラインを切り取るという永遠性は、私にとって不可欠です。仕事やすべての行動において、過去・現在・未来の意識的な出会いを楽しんでいます。タイムラインを超えていくものが好きなのです。レトロで、現代的で、未来的―それらすべてが混ざり合っているものに魅力を感じます。服や時計、もしくは音楽や映画において、「それ以前に何があったか」、「何に導かれたのか」、「どうやって辿り着いたのか」、「将来どのように解釈されるのか」といったことを意識します。例えば、メトロポリタン・オペラでは140年前に作られたオペラが今も選ばれています。あるいは、ある映画は公開当時と変わらず人々から称賛されています。これらがなぜ今も愛され楽しまれるのか、そしてなぜ古さを感じさせないのか、といったことです。一時はファッショナブルだったものでも、時を経ても色褪せないものがある一方で、酷く古びてしまうものもあります。あまりにも旬になり過ぎたために、もう引用できなくなってしまうのです。

 

 

 

昨年発表された「リマスター 01 オーデマ ピゲ クロノグラフ」の着想源となった、1943年の手巻きクロノグラフ「Ref.1533」。36mmのステンレススチールケースと、ベゼルやリュウズ、プッシャーにゴールドを採用したバイカラーだ。

 

 

 

 1972年にオーデマ ピゲが発表したロイヤル オークは、コンテンポラリーな文化的対話の一部でした。しかし同時に、その後に続く新しい文化の前触れでもあったのです。1960年代のカウンターカルチャームーブメントなしに、ステンレススチール製のロイヤル オークを世に出すことができたでしょうか。私はそうは思いません。ロイヤル オークは、70年代の初頭に起こった、ポストブルータリズムの一部といえます。それと同時に、慣習に反し、新たな可能性に挑戦した文化的な転換点でもありました。音楽、美術、建築、デザインなど、あらゆる分野で型破りな試みが始まっていた時代です。

 

 

 最も優れた未来主義者が、最も優れた歴史家だと思います。自分自身の人生を含め、あらゆる局面で進むべき方向を見いだすような研ぎ澄まされた感覚を持つには、ここまで辿ってきた道や今いる場所をよく理解していなければなりません。それから「ああすべきだった、こうできたのに」という後悔をしないこと。物事はありのままを見ればいいのです。そして一番大切な教訓だけを得られれば、前に進むための最善の決断ができるのです。

 

 

 

1972年のロイヤル オーク「Ref.5402」は、ステンレススチールをゴールドと同格に昇華させた。

 

 

 

 私は若い頃からずっと慣例にとらわれずにやってきました。少し変わったやり方で学んできたのです。ある特定の分野をマスターしようとするよりも、いろいろなことがどのように繋がっていて、どのように関連しているのかに関心がありました。ですから、数学の教師が「数学はさまざまな分野で使うから重要だ」と言うと、私は「ではそれを教えてください。各分野での数学の使われ方を学びたいのです」と答えていました。自分に合った教師や指導者を見つけるのが難しいこともあったかもしれません。しかし、教師にかかわらず、友人や仲間など誰であれ、慣例にとらわれないやり方で物事を繋げられる人や、どのように物事が繋がっているのかがわかる人、そういった問いかけや創造的、批評的思考を楽しめる人、そういう人たちとの繋がりを私はいつも大切にしてきました。今でもそうしています。

 

 

 私は父から大きな影響を受けました。父が自分の好まない仕事に就いて、家族を養えるだけの収入を得てきてくれたおかげで、家族は何不自由なく暮らすことができました。これは本当に有難いことです。父から私への最も大切なアドバイスは、“情熱を持ったらためらわずに追求しなさい”というものでした。しかしある年齢を超えると、父のアドバイスは“夢中になっていることをどうやって仕事にするか考えなさい”というものに変わりました。私は、大学2、3年生の頃には時刻の理論や時計学の歴史に夢中になっていましたから、父からのアドバイスに従い、学術研究機関や博物館で働くという進路を決めました。まさにそれが私のキャリアの出発点となりました。

 

 

 

ル・ブラッシュに昨年オープンした「ミュゼ アトリエ オーデマ ピゲ」。スパイラル状の建物を支える曲面ガラスの壁。外壁に沿った真鍮製のメッシュが光を調節する

 

 

 

 世界の名だたる博物館ならどこでも、時計が芸術作品とともに展示されています。これには大きな意味があります。古代エジプトやギリシャのオベリスク、日時計から11世紀に中国で作られた水時計、そして初期の機械式時計を経て今日の腕時計に至るまで、歴史上のいついかなる場所でも、時を計る道具というのは、実用品の中で唯一、常に豪華な装飾が施され、装飾芸術や物語のためのプラットフォームとして提供されてきました。それらは非常に表現力に富み、語りかけてくる何かがありました。我々にとって、個人、家族、コミュニティとしての時間こそが意味を持つからです。だから時計は文化の鼓動です。あらゆるものの鼓動であり、原理なのです。時を計ることの歴史は、人類の歴史において他に類を見ないくらい欠かせないものといえます。

 

 

 私たちはデジタル時代に突入しました。理論上は、家から出なくとも知識や情報に触れることができ、世界を見て学ぶことができます。90年代に想像されたあらゆるバーチャルリアリティの世界が実現しつつあり、面白いことがたくさん起きています。でも、本物には決して敵いません。腕に着けた時計や、物質的な美術作品、あるいは生演奏のパフォーマンスを見ること、こういったことと比べれば、バーチャルなものは色褪せて見えるでしょう。もし世界中の芸術作品がオンラインで公開されたとしても、本当にアートを愛する人であれば関心を持たないでしょう。実際に足を運んでそれらを見て、質感に触れて、深いところまで観察することに敵うものはありません。神経学的にいえば、我々の脳が舞台上の演劇を処理する方法は、テレビや映画を処理する方法とは根本的に異なります。演劇を見るときの脳は舞台を三次元でとらえるため、現実に起こっている出来事を目の当たりにしたように処理するのです。つまり五感で体験しているのです。そのすべてが生の感情、情熱、表現に結びついています。デジタル化が進むほど、生の体験が求められるようになってきます。記憶とそれに結びついた永続的な作品は、これまでにないほど重要になるのです。

 

 

 

ル・ブラッシュに昨年オープンした「ミュゼ アトリエ オーデマ ピゲ」。ミュージアムの建物のユニークさは空撮でもよくわかる。

 

 

ル・ブラッシュに昨年オープンした「ミュゼ アトリエ オーデマ ピゲ」。ドイツのミュージアムデザイナー、アトリエ・ブルックナー氏が手がけた内部。