HERMÈS petit h EXHIBITION

さかさまのクリエーション、エルメスのプティ アッシュ

October 2023

使われなくなった素材を、新しいオブジェとして生まれ変わらせる……。今の時代にこそ求められる、エルメスのプロジェクトを取材した。

 

 

text kentaro matsuo

scenography nacása & partners inc.

portrait photography hiroaki kishima

object photography charly gosp

illustration by shinsuke kawahara

 

 

 

ゴドフロワ・ドゥ・ヴィリユー/Godefroy de Virieu(右)

1970年、パリ生まれ。1998年、国立高等工芸工業学校(ENSCI)卒業。写真家のリップ・ホプキンスとともに製造業の世界に足を踏み入れる。2009年、友人らとボタニカル・デザインの会社、BACSACを設立。同時に、妻であるデザイナーのステファニアとともに、エルメスのプティ アッシュに参画。2018年にメチエのクリエイティブ・ディレクターに任命された。

 

河原シンスケ/Shinsuke Kawahara(左)

武蔵野美術大学卒。パリ在住のマルチアーティスト。ブリュッセルeleven steens 個展、パリ造幣局博物館、パリ工芸美術館での展覧会で作品を発表。1994年よりエルメスの製品のデザインを手がける。2023年1月に発売したエルメスの香水『ローズ イケバナ』限定版のボトルをデザイン。これまでpetit hをはじめとする数多くのオブジェのデザインを担当。

 

 

 

 去る4月、大阪・中之島美術館にて「エルメスのpetit h―プティ アッシュ」展が開催された。プティ アッシュはエルメスのメチエ(部門)のひとつで、他のメチエで使われなくなった素材を用いて、新しいオブジェを製作している。エルメスでは生産工程で端材や社内基準に満たなかった品が必ず出る。それらを無駄にせず、創意工夫を凝らして別の製品に生まれ変わらせるのだ。

 

 メチエのクリエイティブ・ディレクター、ゴドフロワ・ドゥ・ヴィリユー氏とアーティスト、河原シンスケ氏にプロジェクトの始まりと創作について聞いてみた。

 

 

河原氏のイラストとプティ アッシュのオブジェが組み合わされ、ユーモラスで動きのある展示となっている。

 

 

 

―プティ アッシュのアイデアはどこから生まれたのですか?

 

ゴドフロワ(以下ゴ)「もともとはエルメスファミリーの一員、パスカル・ミュサールのアイデアでした。彼女は幼い頃からアトリエで遊んでいて、いろいろな素材を手にとって『これは何だろう?』と眺めていたそうです。だんだんとブランドが大きくなっていくにつれて、たくさんの素材が捨てられていることに気づきました。そこで『専門のアトリエをオープンしよう』と思い立ったのです。こうして2010年、プティ アッシュのプロジェクトが立ち上がりました。現在では30人ほどのチームに成長しています」

 

 

―どんなモノが素材になるのですか?

 

ゴ「ありとあらゆるものが素材となります。そして最初の目的とはまったく違ったものに生まれ変わるのです。例えば穴の開いたボタンはソルトシェイカーに、コーヒーカップはローソク立てや置き時計に、ネクタイはバッグのハンドルに、エルメスの象徴である馬の鞍はギターや椅子に変身します」

 

河原シンスケ(以下河)「エルメスのクオリティコントロールは、とても厳しいのです。欠損品のことをフランス語で“デフォー”といいますが、ひと目見ただけでは、どこが悪いのかわからないものもあります。表面のプリントを水圧で削り取って無地としたり、欠けた部分をカットしたりします。プティ アッシュはアイデア実験室のようなものです」

 

 

―プティ アッシュを表す“さかさまのクリエーション”とはどういう意味ですか?

 

ゴ「普通に製品を作るときは、まずアイデアがあって、それに合った素材を探します。しかしわれわれがやっていることは真逆です。まず素材があって、それからアイデアを考えるのです。そこではアーティストや職人との話し合いが欠かせません。よく食事をしながら皆でアイデアを出し合います。これは今の時代に合ったやり方だと思いますよ。何しろ私たちの回りはモノで溢れていますから。道を歩くときも、いつも辺りをキョロキョロと見回しています(笑)」

 

河「モノを見たら、何に使えるか考えるのがクセになってしまいました。昨日も心斎橋を歩いていたら、理科室に置いてあるような大きな骸骨標本が捨ててあったのです。そのまま持って帰ってしまおうかと随分と迷いました(笑)」

 

 

1875年創業、京都の茶筒の老舗、開化堂とコラボしたアイテム。銅の茶筒の持ち手として、エルメスのビット(馬銜)が使われている。精密な職人技で作られた蓋は、被せると空気圧によってゆっくりと沈むように閉まる。

 

大きな鯉のぼりの中にはパリのプティ アッシュのアトリエが再現されている。スカーフの残布やさまざまなレザーの切れ端などが並べられ、アーティストや職人は、ここから自由に素材を選ぶことができるという。

 

 

 

― 河原さんは、どのような形でプティアッシュに参加されたのですか?

 

河「私はラッキーな人間で、子供のように好きなことをしていると、いつも周りの大人たちがなんとかしてくれるのです(笑)。エルメスとは先代のジャン=ルイ・デュマ氏の時代から仕事をしています。今回はオブジェの製作と会場のデザインを担当しました。しょっちゅうアトリエに行って、職人たちに『これはできる? あれはできない?』と質問しています。エルメスの職人たちのことは、心底リスペクトしています」

 

 

―会場のコンセプトは何ですか?

 

河「今回は日本の鳥獣戯画を参考としました。ウサギ、カエル、馬にサルが出会うというストーリーです。サルは日本人にとっては当たり前の動物ですが、実はヨーロッパにサルはいないのです。だからフランス人にとってサルはとてもエキゾチックな動物なのですよ。それから歌舞伎の書き割りの手法を使って、美術館の真四角で無機質な空間を劇場のように演出しました」

 

 

歌舞伎の書き割りを取り入れた展示会場。訪れる人を劇中に誘う仕かけだ。大型のオブジェは、河原氏と京都芸術大学の学生との協業によって製作された。会期中に「子供の日」があったため、鯉のぼりもモチーフに。

 

 

 

―一番気に入っているオブジェは?

 

ゴ「これがベストというものは決められません。しかし試作品として自分で使っているものはたくさんあります。例えば馬具を使ったブランコ。これは娘のために家に持って帰ったのですが、よく座っているのは私のほうで、揺らしながらアイデアを思い浮かべたりしています」

 

 

 プティ アッシュについて話すふたりの顔は、まるでおもちゃを与えられた子供のように輝いていた。楽しく、ユーモラスで、地球にも優しい―プティ アッシュは、エルメスのサステナビリティを象徴するプロジェクトなのだ。