HEART OF A WARRIOR

武士の心を持つ男、三船敏郎

August 2022

黒澤明監督の記念碑的作品『七人の侍』(1954年)。

 

 

 

 スクリーンの外でも、三船は伝説的な人物であり、戦後日本の力強く明るいイメージを再構築するのに貢献した。セスナ機を操縦して、息子が通う小学校の中庭を低空飛行し、妻の女優吉峰幸子や他の母親たちのために、赤いカーネーションを窓から投げた。1958年には、人命救助のために、自らのモーターボートで台風の中に飛び込んだ。イタリアのナイトクラブでは、女優ジーナ・ロロブリジーダにフラメンコを披露した。また、MG-TD(1962年にはロールスロイス・シルバークラウドも所有していた)を運転する際には、ダッシュボードの上に侍の刀を置いていた。

 

 三船はマックイーンやニューマンと並ぶ、映画界の偉大なファッショニスタのひとりでもあった。彼のリラックスかつシャープなスタイルは印象的だった。1961年に映画『用心棒』でヴェネツィア映画祭の最優秀男優賞を受賞した際に、白いニットのポロシャツにチノパン、コンビシューズを履いて、ヴェネツィアのグランドカナルのゴンドラに乗っているショットは、シンプルでありながら考え抜かれたクールの手本となっている。また、オーバーサイズの裾に裸足で履くメッシュローファー、白いシャツに合わせた白い花柄のネクタイ、Vネックのニットの下の無造作な襟など、ディテールにも天才的な才能を発揮した。今日では、鴨志田康人氏と、ユナイテッドアローズの彼のブランド“カモシタ”のクラシカルで控えめなところなどに、彼からの影響が見られる。

 

 1965年の時代劇大作『赤ひげ』の後、三船は自分のプロダクションを設立し、黒澤監督とは袂を分かった。ジョン・ブアマン監督の『太平洋の地獄』(1968年)では、リー・マービンと一緒に環礁に取り残された日本人船員を演じ、スピルバーグ監督の『1941』(1979年)では、無知な潜水艦司令官として第二次世界大戦をドタバタ劇として再現した。

 

 ジョン・ベルーシが『サタデー・ナイト・ライブ』で三船が演じた侍をパロディ化したために、彼のTVシリーズ『将軍SHOGUN』(1980年)でのスター性は損なわれてしまったかもしれない。しかし、センチュリー・シティで行われたパーティでは、少なくとも2時間は立ちっぱなしで、チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、グレン・フォード、ロバート・ミッチャム、ロバート・ワグナー、ナタリー・ウッド、ジェームス・シゲタなど、次々と登場するセレブリティから敬意を表されていた。

 

 三船が亡くなる3年前の1987年、ある日本の雑誌が“日本の男らしさを象徴する人物は誰か”を読者にアンケートした。答えはひとつだけだった。

 

“武士の心で行動せよ”

 

 この言葉が三船敏郎を象徴している。彼の人生は、重厚さと優しさを兼ね備えたものだった。

 

 

シャープなカッティングが映えるピンストライプ・スーツに身を包んだ三船。ザ ビバリーヒルトンホテルにて(1982年)。

 

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