GETTING DOWN’N DIRTY: THE INEOS GRENADIER

泥だらけになれる道具、イネオス・グレナディア

September 2025

いつからオフロード車は軟弱になったのか?そう嘆いた英国の大富豪ジム・ラトクリフ卿は、自らクルマを作ってしまった。それが「イネオス・グレナディア」だ。「道具としてのクルマ」を取り戻すことが目的である。

 

 

text simon de burton

 

 

INEOS GRENADIER

英国の億万長者、ラトクリフ卿によって立ち上げられたイネオスがリリースした新型車。オフロード性能に特化した究極のユーティリティ・ヴィークル。耐久性と機能性を兼ね備え、過酷な地形や極限環境でも走行できるように設計されている。全長×全幅×全高:4,895×1,930×2,050mm、エンジン:BMW製 3.0L 直列6気筒ターボ(ガソリン / ディーゼルの選択肢あり)、最高出力:285PS(ガソリン) 249PS(ディーゼル)£51,930~(ベース車両価格)※日本の正規輸入代理店はありません。

 

 

 

 スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル(SUV)は、もともとオフローダーから派生したものだが、快適性を追求するあまり、普通のクルマと何ら変わらなくなってしまった。本来の姿である頑丈で実用的な道具からは、遠く離れた存在になってしまった。犬や子供、薪を後部に投げ込んで、泥だらけになろうがホイールが傷つこうが気にせず、荒野を走り抜ける……、そんな使い方ができるクルマはもうないのだろうか?

 

 そんな声に応えたのが石油化学業界の大物であり、億万長者のジム・ラトクリフ卿(資産は4兆円以上)である。彼が手がけた「イネオス・グレナディア」は、2016年に生産終了となったランドローバー・ディフェンダーのスピリットを引き継ぐ一台である。

 

 初代ディフェンダーは、まさに伝説的な存在だ。1948年、アムステルダム・モーターショーで「ランドローバー・シリーズ1」が発表され、90年には「ランドローバー・ディフェンダー」として命名し直された。その頑丈さと修理のしやすさから、軍事、農業、探検など多岐にわたる場面で使用され、災害救助やアフリカなどの僻地にも最適だった。68年間にわたり200万台以上が製造された名車である。

 

 

イネオス創業者のジム・ラトクリフ卿は英国を代表する実業家で化学企業「INEOS」のオーナー。スポーツ分野にも積極的で、「マンチェスター・ユナイテッド」やプロサイクリングチーム「INEOSGrenadiers」を支援。

 

 

 

軟弱化していったオフローダー

 

 オフロード車の「軟弱化」はいつから始まったのか? その源流は「ウィリス・ジープ・ステーションワゴン」にある。このクルマは1941~45年に製造された第二次大戦用ジープに屋根を付け、後部をワゴン化したものだ。その後ジープは1963年に「世界初のラグジュアリーSUV」を発表した。「ジープ・ワゴニア」である。トラックのシャシーをべースにしたステーションワゴンで、独立サスペンションを持ち、乗用車のような乗り心地が自慢だった。

 

 1966年発売の「スーパーワゴニア」にはプッシュボタン式ラジオ、天井灯、電動リアウインドウ、調整可能なステアリング、さらにはクラブチェアをも凌ぐ快適な座席が与えられていた。

 

 一方英国では、1970年に「レンジローバー」が発売された。快適でスムーズで、なおかつ馬やボートのトレーラーを楽々牽引できる能力を持ち、SUVの新しい基準を確立した。1990年代初頭には、どの自動車メーカーもSUVをラインアップに加えるようになった。車体はますます長く、高く、重く、そして幅広くなり(ある意味では人間社会全体の発展と似ている)現在のような姿に進化していった。

 

 現在では、SUVは日常で使うクルマとして人気が定着した。RACが発表した「2024年版・英国ベストセラー車TOP10」のうち、7台がSUVであった。

 

 ユーザーはSUVの見晴らしのよいドライビングポジションや安全性、歩道の段差やスピードバンプ(減速帯)を難なく越えたりできる能力を好んでいる。インフォテインメント・システムも万全で、人間との会話までこなしてくれる。しかし、リアゲートを開けてフェンス用の柱や病気の羊、肥料の袋を放り込んだりすることはできなくなった。都会人にとっても、無骨なオフローダーを運転する、ある種マゾヒスティックな楽しみは奪われてしまったのだ。

 

 

左:1948年の発表、世界中で200万台が生産されたランドローバー・ディフェンダーシリーズⅠ。右:1941~45年、米ウィリス・オーバーランド社によって製造されたジープ。

 

 

左:世界初のラグジュアリーSUVとされる「ジープ・ワゴニア」(1962年)。右:快適装備とタフネスを両立させた英国発「レンジローバー」(1970年)。

 

 

 

旧ディフェンダーを引き継ぐ存在

 

 我が家にはランドローバーが二台ある。一台は1964年製のシリーズIIで、屋根がなく、塗装もほとんど剥がれてしまっている。20年以上もの間、トレーラーや干し草、薪、ボート、さらには花崗岩の塊を引っ張り続け、文句ひとつ言わない。

 

 そしてもう一台は、1987年製の元RAF(英国空軍)仕様のディフェンダーで、ヒーターや2段階式のワイパー、フォグランプといった装備が付いている。ダートムーアの天気が荒れたときや、川を越えて10人を運ばなければならないとき、さらにはハイウェイを使わずにパブから帰るときの足としている。

 

 どちらのクルマも遅く、快適さとは無縁で、非常に騒がしい。しかし、そのキャラクターのおかげで、どんな旅も冒険に変わる。チャンスがあるとついつい運転したくなってしまう。しかし、旧ディフェンダーの生産終了に伴い、その伝統的な魅力は永遠に失われるかと思われた。それを守ろうと、ラトクリフ卿はランドローバーに「改良版を造る権利を売ってくれ」と懇願したが、返答は「ノー」だった。そこで億万長者である彼は、自ら自動車ブランドを立ち上げることにしたのだ。

 

 このプロジェクトは2017年に、ロンドンにあるラトクリフ卿お気に入りのパブ「グレナディア」でぶちあげられた。この歴史あるパブはもともと将校用の食堂で、グレナディア・ガーズ=近衛兵にちなんで名付けられた。

 

 

グレナディアの発表イベント「EXPEDITION 1」にて雪原を疾走する筆者シモン・ド・バートン。

 

 

フランス、ハンバッハに位置する元スマートを製造していた工場で水深テストを受けるグレナディア。

 

 

 

 2023年にはフランスのハンバッハにある元スマートの工場でイネオス・グレナディアの生産が開始された。この工場は2020年末、ラトクリフ卿がメルセデス・ベンツから稼働中の状態で買い取ったものだ。ちなみにラトクリフ卿はライダースウェアで有名な英国ブランド「ベルスタッフ」も買収している。

 

 グレナディアの発表イベントは、スコットランド最北端のメイ城から、プロジェクト発案の地であるロンドンのパブまで、リレー形式で走破するというものだった。私はインヴァネスからグラスゴーまで、厳寒の中を走る第二区間に参加した。そしてこのクルマが雪や氷の過酷な環境をものともしないことを実感した。

 

 全体のプロポーションは旧ディフェンダー、フロント部分はメルセデス・ベンツGクラスを思わせる。しかし、過去の車両をコピーしたわけではない。それは一から設計されたものなのだ。巨大なラダーフレーム・シャーシ、頑丈な2本のビームアクスル、そして古きよき時代のコイルスプリングを採用している。さらに、フロント、中央、リアの三つのディファレンシャルロックを備えており、険しいオフロードでも4輪すべてに動力を確実に伝えることができる。

 

 エンジンはBMW製でガソリンとディーゼルがあり、強大なパワーはZF製8速オートマチックトランスミッションを通じて地面に伝えられる。ハイギアとローギアの選択も可能である。

 

 車内は実用的かつ快適。ダッシュボードは上下に分かれており、上部にはナビゲーション、下部には大きなノブやボタンが配置されている。航空機を思わせるオーバーヘッドコンソールが設けられており、さまざまな機能を操作するスイッチが配されている。このコンソールには多くの予備スイッチがあり、オーナーが追加したアクセサリー(追加のライト、ウインチ、外部電源など)に対応することができる。頑丈なルーフには固定用ポイントが設けられテーブルやテントなどのアクセサリーを取り付けることができる。カーゴエリアは2,000Lの容量を誇っている。

 

 

グレナディアのインテリア。スイッチ類はグローブをしたまま操作できるようすべて大きめにしてある。まるで飛行機のコクピットのようなオーバーヘッドコンソールにはデフロックなどのスイッチがまとめられている。

 

 

 

 私はグレナディアでスコットランドの荒野を走行し、このクルマにすっかり惚れ込んでしまった。岩だらけの荒野、氷で覆われた斜面、渡河、轍(わだち)のついたオフロード、さらにはローモンド湖での水深走行さえも難なくこなした。

 

 そして今回、グレナディアの「ベルスタッフ・トライアルマスター・エディション」を試乗した。1週間にわたって「通常の条件下で」生活をともにしたが、私の熱意は少しも冷めることはなかった。

 

 グレナディアは真に万能なクルマだ。実用的で順応性が高く、高速性能もそこそこあり、過剰に気取っていない。そして何より、オフローダーとしての骨太なキャラクターを持っている。そこが他のSUVと、大きく違うところだと思うのだ。

 

 

「クォーターマスター」と呼ばれるピックアップトラック形状のボディをチョイスすることもできる。

 

 

「THE RAKE 日本版」Issue65から抜粋