Exclusive Interview: THE LAST SAMURAI
俳優:真田 広之
その男、ラストサムライ
January 2025
photography brian bowen smith
fashion direction grace gilfeather
special thanks to the georgian hotel, santa monica
Hiroyuki Sanada / 真田 広之1960年、東京生まれ。5歳で子役デビュー。国内で時代劇からトレンディードラマまで幅広く演じて活躍後、1999年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台『リア王』に東洋人として初出演。2003年、映画『ラスト サムライ』で存在感を発揮してハリウッドへ進出。2024年、『SHOGUN 将軍』でエミー賞ドラマシリーズ部門主演男優賞を日本人で初受賞。
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真田広之について、ぜひ探して観てほしい動画がひとつある。それは1999年の英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)による『リア王』の舞台を撮ったもので、彼は道化を演じている。リア王に対して「道化のとさか帽だ、取っておけ」と話す1幕の場面だ。真田は箱の向こうから飛び出てきて、バレエダンサーのようにくるりと回転すると、本来の対話ではなく、モノローグのようにセリフを繰り出していく。これが実に素晴らしいのである。英語の世界に住む者、そしてこの舞台のチケットを手に入れた幸運な観客にとって、このときが真田広之を目にする最初の機会だった。リア王の舞台に上がるまで、真田は国家機密のような存在だった。日本が彼を独り占めにしなかったことをありがたく思う。昨年大きな話題を呼んだDisney+オリジナルドラマ『SHOGUN 将軍』において、真田は主演とプロデューサーを務めた(詳しくは後述する)。
真田は今、現代の三船敏郎として重い役割を引き継ごうとしている。三船は単なる俳優ではなく、いわば文化大使だった。黒澤明監督の作品では、伝統を尊重しつつも圧倒的な迫力で演じて示し、日本を世界に伝えた。三船はまさに、ジョン・ウェインのようなアクションヒーローだった。しかし、公民権運動が始まる前の、まだ第二次世界大戦の記憶が生々しく残る1950年代や60年代の西洋社会では、日本の文化をステレオタイプにはめ、蔑視する傾向が強かった。情報がより豊かになった現代、日本の歴史への関心がますます高まるにつれ、偏見という壁は消え去った。少なくとも映画『ラスト サムライ』(2003年)以降の20年間、真田はハリウッドにおいて日本の伝統や文化を伝える一種の広報大使として活躍してきた。その功績は認められて然るべきである。小誌でフォーカスするような職人たちと同様、彼の物語は作品だけでなく、芸を極めるために費やされた長い時間と多大な労力にもある。
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予定外に突然訪れたチャンス「俳優になる前に映画を観たことはなかった」という彼の言葉に一瞬驚いたが、映画に初出演したのが5歳なのだから、もっともである。『浪曲子守唄』(1966年)で博打打ちの息子役としてデビュー。当然ながらその頃の動機は単純だ。
「撮影現場が好きでした。上手く演じると周りの大人たちが拍手をして褒めてくれる。遊んでいるような気分でしたね。でも次第に、もっと演技が上手になりたい、と思うようになりました。現場で出会ったたくさんの役者たちが、いい手本にも悪い手本にもなりました」
スタジオの試写室で自身の出演作を観たことが、人生初の映画鑑賞となった。そして映画の世界に魅せられた真田少年は、今後も芝居を続けていこうと決意した。以来、「ほかの仕事に就くことは考えなかった」と言う。実際、真田は日本では極めて出演作が多い俳優として知られ、ハリウッドに目を付けられるまでに59本もの映画に出演しているのだ。
子役としての真田はもちろんまだ半煮えで、プロの俳優として熟成するまでに長い道のりを歩んだ。その過程で、日本の演劇文化への理解を深めていった。
「初めての演劇の仕事は、12歳から始めた日本舞踊です。14歳のときに初めて舞台に立ち、観客の前で踊りました。初めてのミュージカルは20歳のときでした。少しずつ学んでいきました」
真田は懐かしむように、ゆっくりと語る。どの職業でも一人前を目指す新人が抱く不安を、思い起こすのだろう。
彼の挑戦のハードルは確実に上がっていった。そしてついに、シェイクスピアを演じるチャンスが巡ってきた。当時の彼の英語は必ずしも流暢とはいえなかったが、日本語によるシェイクスピア劇の出演経験はいくらかあった。1986年にロミオ、1995年と98年にハムレットを演じている。そのときの演技が評価され、RSCが英語での『リア王』上演に向けて真田に白羽の矢を立てたのだ。
「人生最大の挑戦で、オファーをもらったときは怖気づきました。すぐには答えられず、返事をするまで数カ月かかりました。英語という言葉の問題、スケジュールの問題、すべてが不可能だった。映画の撮影が複数控えていたし、既に舞台でハムレットをやっていた。どうやって時間をつくるのか。現代英語だって自分には難解なのに、どうしたらシェイクスピアを英語で学べるのか思い悩みました」
本記事は2025年1月27日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 62