Exclusive Interview: BENICIO DEL TORO

俳優ベニチオ・デル・トロ:デル・トロの伝説

June 2022

text nick scott
photography greg williams
fashion direction jeanne yang
special thanks to The Maybourne Beverly Hills

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ラテンの血 デル・トロの経歴は、少し変わっている。少年時代の彼はプロを目されるほどの腕前のバスケットボール選手で、パフォーマンスアートのようなものを見た経験といえば、テレビ番組くらいだった。

 その後彼は、カリフォルニア大学サンディエゴ校で経営学を学ぶが、選択科目で受けた演劇の授業で才能が開花する。そこで彼は大学を中退し、マーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロらを輩出したメソッド演技法の指導者、ステラ・アドラーの演劇学校の奨学金を得た。

 そことは別の演劇学校である、ニューヨークのサークル・イン・ザ・スクエアのある教師は、彼にこう言った。「演技を仕事にする気なら、普通の人の倍は頑張らないとね」。その教師がラテン系だったことを考えれば、言葉の主旨は明らかだった。彼を特別に選んでそう言ったのは、驚くに値しない。デル・トロの父方の曾祖父はカタルーニャ人、母方の曾祖母はバスク人で、特にはしばみ色の目も相まって、ラテン系に見えるからだ。

『マイアミ・バイス』などのテレビ番組でのちょい役や、マドンナのMV出演など、80年代末のほんの小さな仕事は、件の教師の予言を裏付けている。スクリーンデビューとなる『ピーウィー・ハーマンの空飛ぶサーカス』(1988年)では民族的にステレオタイプな役をすり抜けたものの、翌年のティモシー・ダルトンがジェームズ・ボンドを演じた『007 消されたライセンス』では、麻薬王の部下を演じる彼の姿を見ることができる。

 それ以降デル・トロは、ハリウッドがメキシコにまつわる月並みなネタとして麻薬を取り上げるとき、麻薬カルテルやアジトの親玉、無慈悲な殺し屋の役として起用された。『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)の後に彼のキャリアに火をつけた『トラフィック』(2000年)では刑事役を、『ボーダーライン』(2015年)と続編『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(2018年)では復讐に燃える暗殺者の役を務め、『エスコバル 楽園の掟』(2014年)では史上最大の麻薬王、パブロ・エスコバルを演じている。

「ジャンキーも、たまに薬をやるヤツもやったし、業者も、後に死んでしまう売人もやった。あらゆる役をやったよ。『ラテン系の役ばかりで嫌にならない?』って聞かれたら、こう答える。『じゃあ何をやれって言うんだ?』って。それが自分にできる最高の役どころなんだ。大事なのはその役がステレオタイプにならないよう立体的に演じて、自分にしかできないことを精一杯やるだけ。民族で出演作を選ぶようなことはしないよ。基準になるのは、作品に関わる人々と、ストーリー。監督や他の役者、あるいは撮影監督が決め手になることもある。『ボーダーライン』では、ロジャー・ディーキンスが撮影監督だとわかって嬉しかった。ジョシュ・ブローリンやエミリー・ブラントと仕事ができることも大きかったよ」

本記事は2022年1月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 44

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