裏西麻布のサヴィル・ロウ:平野史也さん
Monday, June 10th, 2024
FUMIYA HIRANO BESPOKE代表
text kentaro matsuo
photography tatsuya ozawa
骨董通りと六本木通りの交差点に位置する富士フイルムの本社から、1本裏手の道へ入ると、都心の喧騒が嘘のように静かなエリアが広がっています。永平寺の東京別院である長谷寺をはじめ、古くからの寺院が点在し、その間には瀟洒な住宅や低層マンションが建ち並んでいます。今をときめくテーラー、FUMIYA HIRANOのアトリエは、そのうちのひとつに位置しています。初めての方は「こんなところに……」と思われるようなロケーションです。
FUMIYA HIRANOは、いま一番、波に乗っているテーラーです。フルビスポーク、MTMに加え、レディメイドやトラウザーズ専門ブランド「フミヤ ヒラノ ザ トラウザーズ」も展開しており、トゥモローランドやビームス、伊勢丹などに卸しています。今季はオリジナルの英国製ネクタイもスタートさせました。
「コロナ禍が明けてから、毎年売上が1.5倍になっています。取材もたくさんしていただいて……。THE RAKEをはじめ、MEN’S EX、OCEANS、UOMO、ブルータス、メンズクラブなど、多くの雑誌に取り上げて頂きました。ありがたいことです」
どうして売れっ子なのか? もちろん、英国サヴィル・ロウ最古のテーラー、ヘンリープールのカッターを務めていたという経歴が評価されてのことでしょう。しかし、もうひとつの理由として「若くてイケメンだから」というのも大きいと思います。スラリとした体躯とノーブルなハンサムフェイスに、英国風のスーツが完璧にマッチしています。テーラードとはいっても所詮はファッションですからね。ちんちくりんなジジイ(失礼!)にウンチクを傾けられるよりも、平野さんみたいなイケメンに接客されたほうが、気分も上がろうというものです。
しかしながら……、彼の経歴を詳しく伺ってみると、ルックスに似合わない苦労人だったことがわかりました。
「私は1985年、名古屋の大須に生まれました。小学生の頃から洋服が好きで、中学生の頃には古着にハマっていました。大須というところには古着屋がたくさんあったのです。SpyMaster(スパイマスター)という雑誌をよく読んでいました」
(SpyMasterという名前は聞いたことがなかったので、ネットで調べてみたら、東海エリア限定のファッション雑誌でした。「名古屋スナップ集」などの企画に人気が集まっていたそうです)
「高校生のときにクラシコ・イタリアを知り、『こんな世界もあるのか!』とクラシックに夢中になりました。MEN’S EXは年間購読をしていましたよ。大学を中退して、服飾専門学校に入り、トゥモローランドでバイトを始めました。服はベルベスト、イザイア、カルーゾ、靴はジョンロブ、クロケット&ジョーンズ、エドワード・グリーンなどを愛用していました。当時の名古屋にはグリーンを売っている店がなくて、深夜バスに乗って東京・青山のストラスブルゴまで買いに行ったことを覚えています。リボ払いで買って、また深夜バスで帰ってきました(笑)」
トゥモローランドでルイジ・パオロ・カペッリという職人のスーツを目にし、その作りの素晴らしさに衝撃を受けて、テーラーを志そうと決意します。
「ところが、専門学校の卒業旅行で行ったスノーボードで腕を粉砕骨折してしまったのです。数回にわたって埋め込んだプレートを摘出する手術を受けなければならず、海外は諦めざるを得ませんでした。そこで東京へ行って、西荻窪のリッドテーラーへ弟子入りさせてもらいました。21歳の時でした」
しかし、東京の家賃は驚くほど高く、テーラー見習いの給料はびっくりするほど安かったといいます。
「生活ができないので、西荻の居酒屋“魚民”でバイトをしていました。ハッピを着てビラ配りもやりましたよ(笑)。夜7時にテーラーの仕事を終えて、夜10時から朝5時まで居酒屋でバイト、そして11時にテーラーへ通うということを繰り返していました。昼飯は八龍という中華料理店が定番でした。千円札を握りしめて行って、950円の定食を食べていました」
その後、碑文谷のTHE KIRINTAILORS SHOPに移りましたが、貧乏生活は変わりませんでした。
「等々力渓谷のあたりから碑文谷まで、自転車通勤していました。あの頃住んでいたアパートの最寄り駅が思い出せません。なにしろ土砂降りの日も自転車でしたから、駅には行ったことがなかったのです」
2012年27歳の時に、爪に火を灯すようにして貯めた百数十万円を懐に、念願だったロンドンを目指しました。
「英語はまったく話せませんでした。持っていたお金はあっという間になくなってしまったので、仕方なくクレープ屋でバイトを始めました。いまだにクレープを焼くのは得意ですよ(笑)」
そんな折、千載一遇のチャンスが訪れます。
「来英した友人がヘンリープールで服を作りたいから、通訳をしてくれというのです。こんなチャンスは二度とないと思いました。英語は喋れないので、自分で作ったスーツを着て、カタカナで書いたアンチョコを片手に『とにかく雇ってくれ』と訴えました。そうしたら無給インターンとして通うことを許してくれたのです」
英語がまったくわからなかったので最初の2カ月は、何もかもがチンプンカンプンだったそうです。
「電話は『ハウキャンアイヘルプユー?』しか言えませんでした。あとはひたすら担当者の名前を聞き出して、その人に回すだけ(笑)」
とにかく一枚縫わせてくれと懇願し、眼の前で仕事を見せてから、彼らの態度が変わったといいます。
「言葉は違っても、やっていることは同じです。縫うことには自信がありました。私の仕事を見た上役のポールが『コイツは雇うべきなんじゃないか?』と言ってくれました。しかし、その時たまたまテーラーのポジションに空きがなかった。するとポールが『じゃあ、カッターでいいんじゃないか?』と推薦してくれたのです」
英国ではカッター(裁断士)とテーラー(縫製士)は完全に別の職業で、前者はパターンの作成と布の裁断を、後者は洋服の縫製をします。格が高いのは前者のほうで、そう簡単になれるポジションではありません。
「軽いノリで推薦してくれたんですよ」とおっしゃいますが、ヘンリープールは英国王室御用達で、名宰相チャーチルや昭和天皇も顧客だった名門です。平野さんの腕前がそのお眼鏡に叶ったということでしょう。
ここでサヴィル・ロウ仕込みの着こなしを拝見しましょう。
スタンドイーブンのウールモヘヤで仕立てたスリーピース・スーツは、FUMIYA HIRANO。
「ジャケットはシングル1つボタン、チェンジポケット付き、トラウザーズはインプリーツ、ハイバックタイプで尾錠が付く。典型的なイングリッシュタイプです」
平野さんはズボンのことを英国流に「トラウザーズ」と呼びます(実はTHE RAKE JAPANでも日本のファッション誌にしては珍しく、パンツではなくトラウザーズという言葉を使っています。私は普段の会話でも「トラウザーズ」といいますが、最初は口に出すのが、ちょっと恥ずかしかったことを覚えています)
また英国では、テーラーにも3種類あって、ジャケットだけを縫う人、ウエストコート(ベスト)だけを縫う人、トラウザーズだけを縫う人がいるそうです。
FUMIYA HIRANOのオリジナルタイ。¥36,000
タイは、今季新発売のFUMIYA HIRANOオリジナル。英国製50オンスのシルク地が使われています。
シャツも、オリジナル。トーマスメイソン社の生地がチョイスされています。
時計は、バセロン コンスタンタンのアンティーク。吉祥寺の江口時計店で購入したものです。お洒落な人は、皆ここで買っていますね。
「カルティエのタンクも同じ店で買いました。メンテナンスがしっかりしているから、安心なのです」
翡翠入りのリングは、Abe’s。
ウィングチップのシューズは、名古屋のボレロにてビスポークしたもの。
「英国風のシルエットが気に入り、3足オーダーしています」
将来の抱負は? との問いには、
「天皇陛下のお洋服を仕立ててみたい」ときっぱり。
「日本の皇室御用達ということになれば、日本のみならず、英国でも十分やっていけるでしょう」
確かに英国王室御用達で、昭和天皇も愛した店で腕を振るっていたわけですから、ぴったりかもしれません。どなたか皇室関係者の方がいらしたら、ご推薦をお願い致します。
FUMIYA HIRANOオリジナルのレディメイド、ウールリネン製ジャケット。¥134,000
チャーチルへのオマージュとして作ったサイレンスーツ(ツナギ)。¥337,700(2025年春夏発売予定)