From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

ジャーナリストとしてピカイチ:広田雅将さん

Friday, June 10th, 2022

広田雅将さん

クロノス日本版 編集長

 

 

text kentaro matsuo

photography natsuko okada

 

 

 

 

 

 シムサム・メディアの看板雑誌『クロノス日本版』の編集長、広田雅将さんのご登場です。GQや朝日新聞をはじめ数々のメディアに寄稿し、日本全国でのトークショーやYouTubeなどにもご出演なさっていますから、ご存知の方も多いでしょう。日本の時計ジャーナリズムはこの人を中心に回っているといっても過言ではありません。

 

 確かにジャーナリストとしての実力はピカイチだと思います。膨大な時計の知識に加えて、流暢な英語力、抜群のコミュニケーション力をお持ちです。海外からやってきた時計師やブランドの重鎮たちと親しく会話されている様を、いつも眩しく拝見しています。

 

 普通、編集長というものは、会社から人事的に任命されて就くことが多く、時計雑誌の編集長だからといって、必ずしも時計に詳しいわけではありません。また反対に頭でっかちになりすぎて、コミュ障に陥っている人が多いのも事実です。

 

 その点広田さんはどちらにも長けており、自らの実力で現在の地位を獲得した稀有な存在です。彼は私より9歳年下ですが、心から尊敬している編集者のひとりです。

 

 

「中学生の頃、光文社が出した『腕時計』という小さな本にパテック フィリップの96が載っているのを見て、なんて素晴らしいんだろうと思い、時計が大好きになりました。それからはひとりでアンティーク時計店を巡り、お小遣いをためて少しずつ時計を買い始めました。当時は機械式時計といえば、アンティークしかなかったのです」

 お生まれは大阪ですが、ご商売を営まれていたお父上のご都合で千葉や埼玉へお引っ越し。

 

「高校生から山登りを始め、全国を旅するようになりました。私は今でも冒険旅行といったものが大好きで、時計の趣味にもそれが現れていると思います。大学生の頃にはバイトしてアンティークのオメガを買って、修理に出したりしていました。時計を買って、直して使うのは当時も今も同じです。そうやってモノと付き合うのが楽しく、ますます時計が好きになっていきました」

 

 

 

 しかし就職は、時計とも雑誌とも関係ない外資大手メーカーの日本法人へ(いわゆるエリートですね)。得意の英会話はこの時代に覚えたそうです。

 

「国内の営業を担当していました。大口の顧客へ、搬送機(物を運ぶ機械)を売っていたんです。そこに数年間はいました。しかしやっぱりそういった会社は向いていなくて……」

 

 その後、医療系のITベンチャーに参加したり、お父上の会社へ勤めたりしますが、どれも長続きはしませんでした。やはり時計への情熱が捨てきれなかったからです。

 

「30歳のときに『TIME SCENE』という時計雑誌へ原稿を書かせてもらえるようになり、フリーライターになると決めました。しかしこの本は年3回しか出ないので食えるわけがなく、いろいろなバイトを掛け持ちしました。辛かったのはスーパーでの野菜の仕分けの仕事です。ジャガイモやら玉ネギやらを選り分けるのですが、大きな冷蔵庫の中での作業なので、もう寒くて……、それはもう地獄でしたね(笑)」

 

 

 驚いたことに、上野でキャバクラの呼び込みの仕事もしていたそうです。

 

「呼び込みでは、いろいろなことを学びました。その人にお金があるかどうかを一瞬で判断しなければならないので、この時ほど他人のしている腕時計を真剣に見たことはなかったですね。例えば、誰でも知っている一流ブランドの有名時計を自慢している人は、実はお金はあまり持っていないのです。お会計のときに金融系のATMまでご案内したことが度々あります(笑)。ちょっと変わったメーカーのものや、金無垢のシンプルな3針をしている人が本当のお金持ちです。また革靴の踵(かかと)もよく見ました。一見身なりがよくても、ヒールがすり減っている人はダメですね。ギョウザ靴を履いている人もNGです(笑)」

 

 

 瞬時に時計を判断する能力、抜群のコミュニケーション力はこの時代に磨かれたようです。

 

「呼び込みにはコツがあります。お客さんは本当は遊びに行きたいけれど、料金が不明瞭なので躊躇しているんです。だからそこをきちんと説明することが大事です。税金・サービス料は何%で女の子のワンドリンクがいくらだから、これくらいのお会計になりますよ、と伝えると安心して来店してもらえます。ただ『安いですよ!』と言っているだけではダメなのです。ええ、意外と成績はよかったんですよ(笑)」

 

 おやおや、当代一の時計誌編集長にこんな過去があったとは……。しかし、若くしてデビューした天才肌の作家が書くものよりも、さまざまな社会経験を積んだ遅咲きの作家の文章のほうが結局は面白いように、広田さんのさまざまな人生体験は、現在の時計評論に結実しているのだと思います。

 

 

 

 

 そんな広田さんに、愛用のモノたちを見せてもらいました。まずはファッションから……。

 

 ジャケットは、イタリアのチルコロ1901。

 

「これは織物のように見えますが、実はジャージなのです。表面の模様はプリントでつけられたものです。とにかく着心地がラクなところが気に入っています」

 

 ポロシャツは、鎌倉シャツ。

 

「シャツは消耗品だと割り切っています。袖丈の調整はアームバンドでしています」

 

 メガネは、テン アイヴァン。指輪は、ティファニー。

 

「太って抜けなくなってしまった(苦笑)」

 

 左手にしている時計は、マラソン。

 

「カナダ製の手巻きのミリタリーウォッチです。70年代のシェイプをそのまま保っている。36ミリという小振りなサイズもいいでしょう?」

 

 右手にしているのは、アップルウォッチ。

 

「時計はいつも2本していて、そのうちの1本は必ずアップルウォッチです。カロリーや心拍数が計れたり、LINEが使えたり、アップルペイが財布代わりになって便利です」

 

 ジーンズは、ユニクロ。

 

「ユニクロのジーンズはいい。色落ちの感じとか、よく考えられていると思います」

 

 実は私・松尾も、ユニクロのジーンズ愛用しています。いくつか「名作」と言われるものがありますが、これもそのうちの1本でしょう。

 

 

 

 

 靴は、ハインリッヒ・ディンケラッカー。1879年創業のドイツの老舗です。

 

「いわゆるブダペスト・ラストといわれるモデルです。ソールはレンデンバッハ製の分厚いものですが、とても返りがよく歩きやすい。ただ昨年ブダペストの工場は閉鎖されてしまい、スペイン製になったと聞いているので、最近のもののクオリティはちょっと心配です」

 

 広田さんは、スニーカーは決して履かず、もっぱら革靴専門だそうです。

「時計や鞄もそうですが、修理できるものが好きなのです。革靴は履くと壊れるものですが、それを直してさらに使い続けると愛情が深まるのです」

 

 同じく革製であることにこだわった、鞄のコレクションも拝見することにしましょう。

 

 

 

 

 左の3気室のブリーフケースは、シュレジンジャー。アメリカの鞄です。

 

「アメリカの鞄が好きで、シュレジンジャーは6つ持っています。これはヤフオクで買いました。修理はユニオンワークスでやってもらいました」

 

 手前の薄マチのブリーフケースは、エルメス。

 

「1990年頃の“キリウス”というモデルです。華奢に見えるけれど、実に丈夫なバッグですね。それに革質がとてもいい。エルメス、さすがです」

 

 右上の2気室のブリーフケースは、ラザフォード。

 

「これは現在でも手に入るブランドです。かつての名品シャトルワースの工場だったところで作られています。現代では革鞄を使う人がめっきり減ってしまったので、働いている職人への支援だと思って買い続けています。実は私は、鞄に使われている金具だけを何十個も買ったことがあります。鞄メーカーは衰退してくると、汎用性が高いレザーよりも、まず金具類の質が落ちるからです。購入した金具は、鞄をオーダーしたり、修理するときに使っています」

 

 フィッシャーマンズ・バッグは、SLOW(スロウ)。

 

「日本のブランドですが、そうは見えないですよね。アメリカのウィケット製の革を使ったヘリテージ・コレクションのひとつでしたが、もう生産中止になってしまった。革鞄の鉄則は、いいものを見つけたらすぐに買うことです。日本にはいい鞄メーカーがたくさんあります。スロウの他にも、ヘルツ、林五、青木、トフ&ロードストーン、万双、土屋などなど……。直しながら長く使うことができる革鞄には、絶対に絶滅してほしくない」

 

 さて、皆様お待ちかねの時計コレクションを見せて頂きましょう。もちろんほんの一部ですが……

 

「入手先はコレクターや友人から譲り受けたり、ネットオークションで落札したりとさまざまです。そうやって手に入れたものを、修理するのが面白い。修理店は、京橋のゼンマイワークス、奈良のクロノドクター、厚木のダイワ時計店などを目的によって使い分けています。7〜8万円程度でピカピカになりますよ。裏をスケルトン仕様にすることも可能です。同じ時計を何個も買ってしまうこともよくあります」

 

 

 

 

 左の折りたたみ式のトラベルクロックは、アンジェラス。

 

「現在では、こういった機械式のトラベルクロックは見かけなくなりましたが、私は大好きで10個ほど持っています。これとウイスキーフラスク持って東北のひなびた温泉などへ、ふらりと旅に出かけるのです。枕元で時計がカチカチと音を立てているのは、とてもいいものです。一回巻けば、8日ほど動いていますしね。どこの温泉か、ですって? それは目的によって違います(笑)」

 

 スクエアなデザインのデスククロックはeBayで入手したもの。メーカー不明。

 

「日付、月、曜日がシンプルに表示されていて、美しいでしょう? こういったものには誰も注目していないので、とても安く手に入れることができます。これは確か120ドルだったかな」

 

 スリムな時計付きライターは、エリアキムというジュエラーのもの。

 

「これは1930年頃に、エリアキムというエジプトのジュエラーが特注したものです。ムクのラピスラズリをくり抜いて、中に時計とライターが仕込まれています。かつて王政だったエジプトにはお金持ちがたくさんいたのでしょう。持ち主の女性はタバコを吸うフリをして、帰る時間を気にしていたのかもしれません(笑)」

 

 右のシルバーのライターは、1920年代のアメリカのダグラスライターを、日本の東京パイプという会社が復刻生産したもの。

 

「同じモデルを15個買いました。ジッポーのようなオイルライターですが、手が汚れないような工夫がされていて見事です」

 

 

 

 

 裏スケのゴールドとムーブメント、SSケースは、すべてIWC。

 

「私はIWCのRef.810という時計とそれに搭載されているCal.89というムーブメントがとても好きで、このシリーズだけで20個位買いました。ゴールドの時計は裏スケ仕様にしてあります。買って直して、売ったりあげたりの繰り返しです。最近だと、ちょっと程度がいいなと思うと、かつて自分が手掛けた個体だったりするので、もう止めようと思っているのですが(笑)」

 

 

 

 

 左のシンプルな三針は、ゼニス2000。

 

「典型的なオッサン時計ですが、中にはCal.135というF1カーのような機械が入っています。クロノメーターを取得するために、とにかく精度を追求したムーブメントです。大きなテンプが見ていて飽きないでしょう? これも裏スケにしようと思っています」

 

 中のトリプルカレンダームーンフェイズは、トライアンフ。

 

「トライアンフはスイスのメーカーです。月・日付・曜日の3つのカレンダーと月の満ち欠けを表示するムーンフェイズが付いています。バルジュー90というムーブメントが搭載されていますが、私はこの機械が大好きなのです。もちろんガシガシ使える時計ではありませんが……」

 

 黒文字盤の24時間表示の時計は、ゾディアック。

 

「これはスイスのゾディアックの“エアロスペース”という時計です。私は24時間表示の時計が好きなのですが、この時計は誰も直すことができませんでした。奈良のクロノドクターへ持って行き、初めて修理することができたのです。これも白と黒の文字盤で2本持っていますが、1本は部品取り用です。クラシックカー・マニアが同じクルマを2台買うのと一緒ですね(笑)」

 

 

 

 

 ストップウォッチは、ブライトリング。

 

「昔のブライトリングは、ストップウォッチも有名だったのです。文字盤がエナメル製で真っ白でしょう? これも奈良のクロノドクターで直しました。ストップウォッチは講演をするときに使います」

 

 広田さんからは時計の薀蓄が、まさに泉の如く湧き出てきます。私がまったくついていけず、トライアンフって英国製ですか? などと間抜けな返事ばかりするのに呆れ果てたのでしょう。

 

「松尾さん、1本いかがですか?」とタバコを勧めてくれました。

 

 私は普段は吸わないのですが、貰いタバコは頂戴するというセコいポリシーなので、是非にといいつつ二人でクロノス編集部のベランダで喫煙したのですが、広田さんの吸っているタバコの濃かったこと! 彼が愛する銘柄は、アメリカンスピリットのメンソールで、タールは12mgもあります。1本吸い終わった後にはめまいを覚え、危うく転倒しそうになってしまいました。

 

 しかし、よく考えてみると、このナチュラルでクラシックなタバコは、広田さんによく似合っているような気がしました。時代に迎合せず、自らいいと思ったものを追求する。これはまさに「ダンディズム」というものです。

 

 

「モノそのものよりも、それを通じて人と繋がるのが面白い。修理をして長く使うなかで、出会う人とパッションを共有したいのです。時計でもクルマでもスーツでも靴でも何でもいいから、そういうものを見つけると人生が豊かになると思います」

 

 そう言いながら、悠然と紫煙をくゆらせる広田さんは、確かにダンディな人なのでした。