From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

どん底で書いたブログが、人生の転機に:東徳行さん

Monday, April 25th, 2022

東徳行さん

サルトリア ラファニエロ

 

text kentaro matsuo 

photography tatsuya ozawa

 

 

 

 

 

 美しくコンケーブした肩、緩やかなカーブを描くフロントライン、一直線に入ったクリース・・まさに完璧といえるスーツ姿です。

 

「松尾さんのブログに出るので、新しく仕立ててきました。今朝アイロンを当ててきたばかりです」と嬉しいことを仰るのは、いま最も注目されているテーラー、東徳行(ひがし・のりゆき)さんです。

 

 主宰するサルトリア ラファニエロは、大阪に加えて東京にもサロンを開き、最近では既製服のラインもスタートさせました。まさに上昇気流に乗っているサルトです。

 

 よく知られていることですが、東さんはかつてリングヂャケットで働いていたことがあり、そのときの同僚にはサルトリア チッチオの上木規至さんやコルコスの宮平康太郎さんなどがいます。どちらも今や超有名テーラーとなっています。この頃のリングは、金の卵でいっぱいだったのですね。

 

「リングヂャケットで働いていたのは、皆いい人ばかりでした。若い男は珍しくて、よくオバちゃんたちにかわいがられていましたね(笑)。宮平さんのお洒落に対する情熱は人一倍で、『その靴エエなぁ、どこで買うたん?』なんてよく聞かれたものでした」

 

 チッチオの上木さんとは不思議な縁があるそうです。

 

「ある日上木さんに、『ところで下の名前は何というのですか?』と聞いたら『のりゆきです』という。『いやいや、ぼくの名前じゃなくて、上木さんの名前ですよ』、『だから、のりゆきですって!』。そう、ふたりとも同じ名前だったのです。それから、実は私には双子の妹(二卵性双生児)がいるのですが、彼女と上木さんの奥さんの名前も同じ。しかも妹の旦那と上木さんは、同じ大学の同窓生で友人でした」

 

 それって、ものすごい偶然ですね。もちろん、ふたりは意気投合したそうです。

 

「同じ年でもある彼は親友、そして心から尊敬するサルトでもあります。リングにいたころから、抜きん出た存在でしたね。アイロンを当てたり、服を縫ったりする“所作”が、いちいちキレイなのです。仕事だけではなくて、何気なくコップを持ったりする所作もいい(笑)。これは同僚に同じことを言ったら、皆『そうだそうだ』と頷いたので、私だけが思っていたことではありません」

 

 東さんいわく、いいテーラーというものは、必ずいい所作をするらしく・・。

 

「ストラスブルゴ時代に知り合ったヌンツィオ・ピロッツィやオラツィオ・ルチアーノ、ティンダロ・デ・ルカなどは、チャコやハサミを使う姿が実に絵になりました。ただ布を広げるだけでもカッコいいのです。さすがマエストロといわれるだけのことはあります。私はどうもこの点、自信がなくて・・。よく人から『YouTubeに出れば?』といわれるのですが、今のところ止めているのです」

 

 

 

 

 しかし、東さんにも、一般人から見たら、まるでマジックのような特技があります。

 

「人の体型は、ひと目見れば大体わかります。ある時、職人仲間にスーツを頼まれたのですが、採寸した後、そのデータをなくしてしまって・・。でも、多分これくらいかなと見当をつけて作ったら、ぴったりだったことがあります(笑)。小澤さん(当日のカメラマン)は、サイズ46、バスト94〜95cm、難しい体型ではありませんが、ちょっと猫背です。松尾さんはバスト98cm、いかり肩ですね・・」

 

 はい、仰る通りです。ピロッティ・クラスになると、仮縫いをする前に「お前太っただろ・・」と唸って、着せもせずに直しに戻ったりするそうです。

 ちなみに私のようないかり肩は、洋服がぜんぜん似合わないのですが、パターンとアイロンワークで、なで肩に見せることが可能だそうです。

 

「もっと難しい体型の方もいますよ。肩の高さが左右で2cmも違ったりとか。ハト胸体型も難しい。中でも一番困るのは、採寸から仕上がりの間に筋トレして上半身が変わってしまうこと。お腹が出るのはまだなんとかなるのですが、肩と胸だけはカンベンして下さい・・(笑)。しかし、当店のお客様には会社経営者が多く、そういった方に限って、集中力と継続力がハンパないのです(苦笑)」

 

 

 

 

 スーツは、もちろん自ら仕立てたもの。

 

「生地はドーメルのアマデウス365、260gです。これはいい生地ですね。光沢があって華やか。柔らかいのにハリやコシもある。名前の通り、一年中着られます。見ていただきたいのは、胸のドレープや肩付けのあたりでしょうか? ウチのスーツは細くみえるけれど、ラクに着られるよう設計してあります。リングの福島社長が『いい服は左右ではなくて、前後に広がるものだ』と仰っていたのを実践しているのです」

 

 ちなみに、東さんのところでスーツを1着作るとおいくらくらいですか? との問いには、「ビスポークで¥352,000〜、MTMだと¥143,000〜、既製品なら¥110,000〜となっています。MTMと既製品は岩手の東和プラムにて縫製しています。ここはいい工場ですよ。私的には東の東和、西のリングといったところです」。

 

 

 

 

 東さんといえば、“センツァ・マッキナ”が有名ですよね、ブログで見ましたよ、というと、「センツァ・マッキナとは直訳すると“機械なし”という意味で、普通のサルトならミシンを使うところを、全部手縫いでやる仕様です。多分に自己満足的な部分もありますが、気持ちがこもるので雰囲気はあると思います。ジャケット1着縫うのに、100時間くらいかかります。これはリクエストがあれば、ジャケットで4~50万円程度でお受けしています。昨年はセンツァ・マッキナのポロコートを仕立てたのですが、これは大変でした(笑)」。

 

 

 

 シャツは、レスレストンの別注。

 

「襟型から起こしてもらいました。タイの収まりがとてもいい」

 タイは、タイ・ユア・タイに別注したもの。

 

 

 

 

 ヴィンテージの時計は、1970年代のオメガ・コンステレーション。

 

「これ止まっているんです(笑)。2年前にオーバーホールしたのに、最近また動かなくなってしまった。携帯があれば困らない、ですって? しかし、私には腕時計は必需品です。仕事中にひとつの工程を何分何秒でできるか、素早く確認するためです」

 

 さすが一流サルトは、日々の鍛錬が違います。

 

 

 

 

 シューズは、イル クワドリフォリオのビスポーク。やはりイタリアで靴作りを学んだ久内淳史さんが手掛けたもの。「独特のトゥと凝った金具がいい」と。

 

 ちなみに上木さんをはじめ、他の職人たちとは、よく食事をしたり、飲みに行ったりするそうです。

 

「日本の職人たちは、皆仲がいいと思います。ここがお互いに悪口ばかり言い合っているナポリとは違うところですね(笑)」

 

 

 

 

 さて、東さんは1979年、広島県・庄原市で6人兄弟の4男として生まれました。前述のように双子の妹さんがおられます。

 

「父は公務員で、上の兄二人も公務員になりました。だから他はもうどうでもいいと思ったのか(笑)、進路については好きにさせてもらえました。ちなみにもうひとりの兄は料理人になって、山口県・周防大島で石窯調理の店を開いています。石窯を使って料理すると、例えばサワラなんかふっくらと炊きあがって美味しいんですよ」

 

 お兄様の店は『さぶろう亭』という名で、テレビの取材なども入り、繁盛しているそうです。

 

 

 大学は美術系を選び、デザインを学びます。そしてその頃から自分で洋服を作っていたそうです。

 

「私は身体がとても細いのです。イタリアサイズだと42くらい。デニムは27インチです。そんな服はなかなか売っていないので、自分で作るようになりました。シャツやデニム、カットソーなどいろいろ自作しました。その頃、神戸ファッション美術館で『ポール・スミス展』というのをやっていて、初めてジャケットの内側を見て驚いたのを覚えています。『紳士服って、こんな構造になっているんだ』と感動して、見よう見まねでジャケットを作り始めました。接着芯にハ刺しをするなど、今から考えると意味のないことも多かったのですが・・(笑)」

 

 とにかく「着ることよりも、作ることのほうが好きだった」そうですから、テーラーはまさに天職ですね。しかしその天職に就くまでには、随分と回り道もされたようです。

 

「当時は就職氷河期と言われ、求人が少なく、なんとかレディスのアパレルメーカーに潜り込みましたが、任されたのは希望していたパタンナーではなく、生産管理でした。そのうち新聞でリングヂャケットの存在を知り、その門を叩いたのです」

 

 ここから波乱万丈の人生が始まります。先にイタリアに行った上木さんの服を見て衝撃を受け、自分もイタリア行きを決意し、しかし夫婦での渡航直前に奥様の妊娠がわかり・・と、この辺の話はとてもおもしろいのですが、その詳細は以下のページに譲ることに致します。

 

https://muuseo.com/square/articles/523

(これはこのブログにも以前ご登場頂いたシューシャイナーの石見豪さんが手掛けられたものです。靴磨きで日本一を極められた石見さんですが、文章の方もプロ顔負けで、こういう人が出てくると、もう私なんかいなくていいのでは? と頭を抱えてしまいます)

 

 ナポリの巨匠、アントニオ・パスカリエッロ氏に師事したのは90日間でしたが、得たものは大きかったといいます。帰国後、ついにサルトとして羽ばたくと思いきや・・。

 

「リーマンショックの真っ只中で、『ハンドメイドのスーツが縫えます』といっても、誰も相手にもしてくれませんでした。しかし、その頃には子供もいましたから、とにかく稼がなくてはならなかった。まずやったのは電話関係の営業です。『通話料が、お安くなりますよ』とかいうやつ・・。しかしこれは、まったく向いていなかった。それから、大手電機メーカーの工場ラインで働いたこともあります。『カイゼン、カイゼン』とつぶやきながら(笑)。でもこっちは、割と興味深い部分もあって、本当に改善点をまとめてパワポで発表したら、会社から表彰されました」

 

 そんなことをしている間も、細々とテーラーの仕事はしていたそうです。

 

「コッチネッラから丸縫いの仕事をもらっていました。しかしそれも一時パタッとなくなってしまい、もう、自分はテーラーとしては誰にも知られずに、消えていくのだとうなだれていました。そんなときに、ふとブログでもやってみようかと思ったのです。自分はダメだったけれど、読んでくれた人がモノ作りに興味を持ってくれるかもしれない・・そんな気持ちでした。そうして書き始めたのが、『サルト・ドメニカ』(日曜日のテーラー)でした」

 

 内容は、工場が休みの日曜日に続けた、手作業による服作りを、詳細に綴ったものでした。

 

 ここで運命の女神は、ついに東さんに微笑みかけます。

 

「これがバズった(笑)。ブログを見た人がメールをくれて、注文も入るようになりました」

 

 その後、ストラスブルゴの専属テーラーとなり、大坂〜福岡〜東京ハウス テイラーズ ラボを歴任、2017年8月独立し、大阪・船場にサルトリア ラファニエロを開いたのです。

 

 今では、4人の子宝にも恵まれました。上から男男女男で、12歳から5歳まで。リビングは、さぞやにぎやかなことでしょう。最近、東さんがテレビを見ながら、地球温暖化対策について、「そんなん、無駄やろ」とツッコむと、息子さんに「パパ、それでもやらないよりマシじゃあないかな」と諭されたそうです。

 

「中学生になった上の子は、いろんなことでギロンをふっかけてくるようになりました(笑)」と目を細めます。

 

奥様はピアノの先生をしておられ、家の中は鍵盤の音色で満たされているそう。幸せな東家の様子が目に浮かぶようです。

 

 

 さて、地球温暖化の話が出たので、ひとつ・・。

 

 実は私は前出のテーラー、上木至規さんと宮平康太郎さんに、同じ質問をしたことがあります。それは、暑い夏でも着られるスーツやジャケットはないか? というもの。

 

 上木さんは、この問題に対して、以前からものすごく真面目に考えていたようで、「地球温暖化によって、夏はどんどん暑くなっています。このままでは、スーツやジャケットが着られなくなる日が来てしまう。そこで私は素材を替え、芯地や裏地をなくし、少しでも涼しい服が仕立てられないかと、日々研究を続けているのです」と応じてくれました。

 

 対して、宮平さんの答えは、「夏は暑いもんです。まぁ、我慢するしかない」というもの(笑)。

 

 これはどちらが正解ということではなく(私はどちらの服も大好きで愛用中)、同じイタリアで修業したサルトでも、いろんな考え方があるということです(そこが面白い)

 

 そこで東さんにも同じ質問をぶつけてみると・・

 

「先日ラファニエロの既製ラインで出した、コットンリネンのジャケットはいかがでしょうか? 製品洗いをかけており、家の洗濯機で洗うことができるんですよ。しかも洗えば洗うほど、味が出てくる。おすすめです」と。

 

 なるほど・・、東さんはナポリに学び、センツァ・マッキナの徹底した手仕事で知られるようになりましたが、リング時代や“カイゼン”時代の経験をプレタに生かし、活動の幅を広げているようです。3人の中では、一番守備範囲が広いプレイヤーかもしれません。それだけに最も大きな将来性があるかも・・。

 

 いずれにしても、東さんが、これからの日本のテーラー界を牽引していく存在であることは、間違いないといえるでしょう。