身長182センチのイケメン・ディレクター
小林順平さん
Saturday, September 25th, 2021
小林順平さん
ビームス ブリッラ ぺル イル グスト ディレクター
text kentaro matsuo photography natsuko okada
遠目には、まるでファッション撮影でした。
身長182センチ、(体重73キロ、股下82センチ、ウエスト31インチ)そしてご覧のようなハンサム・フェイスで、モデル顔負けの存在感を放っているのは、ビームスの小林順平さん。カメラを担当する岡田ナツ子先生も、シャッターを押す指に力が入ろうというものです。
小林さんは、この度ビームス ブリッラ ペル イル グストの“ディレクター”に任命されました。ブリッラ ペル イル グスト(私はこの言葉をスラスラ言えるようになるまで、3年かかりました)は、ビームスの中でも遊び心のある大人をターゲットにしたラインで、ビームスFを正統とするならば、ブリッラは艶っぽさを特徴としています。人事的には大抜擢と言ってもいいのではないでしょうか?
「実は私にはバイイングの経験がないのです。それでディレクターを任せられたのですから、とても驚きました。ブリッラはオリジナルもありますが、多くの買い付けブランドで成り立っているレーベルですから、これから諸先輩方に教わって、猛勉強しなければなりません。まさに責任重大です」
どうして、任命されたのでしょう? との問いには、
「これからはどんなモノを作るかだけではなくて、どうやってその魅力を伝えていくかまで考えて、商品作りをしていかなければなりません。そこで私のPRとしての経験が注目されたのでしょうか・・。基本的にはシンプルな装いが好みの自分にはブリッラはあっていたのかもしれません。あとはビームスのなかにブリッラっぽい人は、あまりいないなぁとも思っていました」
それはどういうことですか?
「ビームスには超ハイレベルなファッション・テクニックを持っている人がたくさんいます。南雲(南雲 浩二郎さん・ビームスクリエイティブ ディレクター)や西口(西口修平さん・ビームスFディレクター)は、その代表格ですね。私も一時はそういったテクニックや時代性を誰よりも先に取り入れたいと思ったこともありましたが、いつも女性の上司には似合わないと言われてました。そこでシンプルに徹して、自分の個性を活かすようなお洒落を心がけることにしました。私はアクセサリーもほとんどつけません。いまだにこんなに細いパンツを履いているのは、ビームスのドレスの中では私だけかもしれません。しかし、そういうシンプルさは、ブリッラのスタイルに通じるものがありますし、そんなスタイルが好きだと言ってくれるお客様も多くいるのです。顧客の方とはSNSを通じて、いつもやりとりをしています」
今やビームスのインスタグラムでは、オフィシャルをフォローするだけでなく、ひとりひとりのスタッフをフォローして、より濃密なコミュニケーションを求めるファンが増えているのだそうです。セレクトショップも“推しメン”の時代ですね。
今日の装いも、この上なくシンプルです。
ジャケットは、デ・ペトリロ。
「ビッグなグレンプレイドに惹かれました」
こういった大柄なチェックは、背が高い人が着ると、本当に映えますね。
シャツは、ボルゾネッラ。
「ウエスタン・シャツが好きなのです。ウエスタンといえば、ラングラーやロックマウントでしょうが、白いウエスタン・シャツというのは、なかなか見つからない。これは襟も小さく、一見ドレスシャツのように見える。普通の白シャツだと面白くないし、ボタンダウンだとマジメすぎる。その点このシャツだとちょうどいいのです。これにニットタイをすることもあります」
お話を聞いているうちに、こだわっていないようで、実はものすごくこだわっている小林ワールドが見えてきました。
ジーンズは、フォロー。2000年代初頭にデニムで一世を風靡したメゾンブランドのジーンズを手掛けていた井出裕之さんが立ち上げたブランドです。
「フェードの効いたブラック・デニムを探していたのですが、古着だとなかなかこのテイストが手に入らない。501だと野暮ったいし、505でマイサイズはほとんど見つからないのです。これは展示会で見つけて即買いしました。綿100%でストレッチが入っていないので穿き易くはないですが、しかしそこがいい」
シューズは、ジーロッドソン。
「もう7年も前に買ったものです。当時は黒のスエードのサイドゴアというのは、あまりなかった。シルエットも細すぎず、太すぎず、ちょうどいい」
本当に時計もアクササリーもしていないのですね、というと
「アクセサリーはともかく、時計は40歳の誕生日には何か買おうと思っています(小林さんは現在38歳)。しかしこの会社にいると、変なモノに手を出せないのです。『へ〜、それ買ったんだ〜』と冷たい眼差しを投げかけられますから(笑)。特に時計とクルマは、手を出しづらい。しかし最近、クルマは入手しました。中村(中村達也さん・ビームス クリエイティブディレクター)に相談したら、その日の夜に中古車サイトのリストが、どっさりと送られてきましたよ(笑)。結局、スカイブルーのVWポロにしました」
さすが、衣食住のすべてにこだわるビームスらしい逸話です。ちなみにポロを選んだのは、2年前に結婚なさった奥様も運転するから。女性読者の皆様はがっかりですね。
さて小林さんは、ビームスに入社する前に、なんと“洋服の青山”に務めていたそうです。
「滋賀に生まれて、大阪の大学を卒業した後、洋服の青山に入社しました。ビームスには前職が青山という人は、自分は知る限りは一人もいませんね。最初は飛騨高山店、それから岐阜県庁前店というところに勤務していました。新入社員には接客技術を厳しく教える会社で、店員とお客様に分かれてのロール・プレイングなどもよくやりました。その時の経験が、いまだに役に立っています。お客様がどのタイミングで声をかけて欲しいのかをしっかりと観察することを学んだ気がします。例えば、お客様に入店してすぐに声をかけるのではなく、同じモノを2回触ったときはその商品が気になっていることが多いのでそのタイミングで声がけをしたり、「よければご試着下さい」という言葉ではなく、その商品の説明やコーディネイトの話からするように心がけていました。ビームスの販売力の高い同僚から教わったスキルもたくさんあります。『Mサイズはありますか?』と聞かれて、在庫がなくても手ぶらで帰って来るのではなく、似たようなものを色違いで持ってきて、『Mサイズはお取り寄せになりますが、こういったものはいかがでしょう?』とおすすめするのがいいのです。こういった細かいテクニックはたくさんあります」
その後、関西のビームスにバイトで入り、正社員となって、32歳のときに、突然東京本社のプレス担当に抜擢されます。
「東京で働くのは生まれてはじめてでした。ずっと関西だったので、周りの同僚にも知り合いがおらず、とても心細かった。東京の雑誌関係の人なんて、見たこともありませんでした。実は私が初めて展示会でプレゼンテーションしたのは、松尾さんだったんですよ。前日は、一人で何回もロープレしました。THE RAKEはなんか敷居が高そうな雑誌だし、初っ端にしては、任が重いなぁと思いながら(笑)」
7年前にもかかわらず、その時のことはよく覚えているそうです。まぁ、最初のプレゼンの相手が、18歳年上の強面坊主だったら、引くよな・・
「私はどうも“経験がないところに行く系”のようです。どうにかやってこられたのは、諸岡(諸岡真人さん・ビームス メンズディレクター)や安武(安武俊宏さん・ビームス プレスチーフ)をはじめとする上司と同僚、後輩に恵まれて、皆によく面倒をみてもらってきたからです。私は自分が出世したり、売れたものを『どうだ』と見せびらかしたりすることには興味はありません。ブリッラのディレクターというのも新しい挑戦ですが、お客様に楽しんで頂ける商品、そしてスタッフも楽しめる空間を提供したいと思っています」
この謙虚さが、周りから愛され、引っ張り上げられる理由でしょう。小林さんはすっかり私の“推しメン”になりました。
P.S. それにしても・・今回の取材では、ビームスの方々の実名が、数多く出ました。皆それぞれに素晴らしいファッショニスタで、こんなにお洒落な人たちが一堂に会する会社を他に知りません。偶然にもウチのフジタが、同日同時刻に、After Hoursのほうの取材でプレスルームを訪れていました。お洒落な人は、お洒落な人と惹かれ合う。その中心は、いまだにビームスなようです。
※当ブログは、B.R.ONLINEでも御覧いただけます!