From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

当ブログ最年少のファッショニスタは20歳!
長谷川以世理さん

Tuesday, May 25th, 2021

長谷川以世理さん

ニューヨーク市立大学 在学中

text kentaro matsuo  photography  natusko okada

 先日アップした山田龍太郎さんに続き、またもやお若い方のご登場です。なんと20歳! 私も長い間このブログをやってきましたが、たぶん最年少だと思います。長谷川以世理(いより)さんは、以前ここでご紹介させて頂いたガジアーノ&ガーリングの長谷川雅一さんのご長男です。今回は親子にて取材・撮影させて頂きました。

 

  親子の会話は、驚いたことに英語です。雅一さんの英語がネイティブ・レベルなのは、以前から存じ上げていましたが・・

「以世理は、ずっと英語で教育を受けてきたので、日本語より英語で話すほうがラクなのです。ですから、家でもついつい英語で喋ってしまいます」と雅一さん。

 

「私はニューヨークで生まれました。子供の頃はニューヨークと日本を行ったり来たり。10歳のときに、英国オックスフォードにある“ドラゴンスクール”というプレップ・スクールに入学し、寮生活を始めました。凍えながら、サッカーやラグビーをやっていました」

 息子さんが寮生活を始めて、寂しくなかったですか? と父上に聞くと、

「実は寂しすぎて、家族でオックスフォードへ引っ越してしまったのです。寮から5分くらいのところに住んでいました。子離れできなかったのですね(笑)」と雅一さんは苦笑します。

 

 その後、ニューヨークへ戻り、エンパイア・ステート・ビルディングの真向かいに住まわれていましたが、ちょうどトランプ氏が大統領になって、デモ行進が激しくなり、爆弾騒ぎまで起こったので、今度は北海道のインターナショナル・スクールへ移ります。

「地震がない、環境がいい、ということで北海道・札幌を選びました。スクールには、ロシア、台湾、タイなど、いろいろな国の生徒がいました。皆で山登りをはじめ、アウトドア・スポーツを満喫しました」

 そういう以世理さんの話を聞いていると、北海道がオレゴンかどこかに思えてきます。

そして現在では、ニューヨーク市立大学に在学し、工学を専攻なさっています。

 

  以世理さんは、ファッションにおいても、サラブレッドです。

「初めてジャケットを着て、ネクタイを締めたのは、1歳になるちょっと前だったそうです。父が僕のためにラルフ ローレンのタイをバラして、縫い直してくれたのです。ジャケットのラペルには、父が自ら星ステッチを入れてくれたと聞いています」

 以世理さんの話を聞きながら、お父様は目を細めつつ頷いています。

 

「小さい頃から、父のワードローブを見て育ちました。ニューヨークのアパートメントには父の衣装部屋があって、いつもそこへ入っては、ジャケットやネクタイなどを引っ張り出して遊んでいました。初めて自分でネクタイを結んだのは、4歳のときです。これも父から結び方を習いました」

 プレップスクールは、まるでハリーポッターの世界だったそう。

 「全寮制のドラゴンスクールの制服はグレイのシャツにタイ、ブレザー、そして黒いオックスフォード・シューズというものでした。この時初めて、ガジアーノ&ガーリングでビスポーク・シューズを作りました」

 

 さて、そんな彼が纏っているのは・・

 スーツは、ペコラ銀座。

「これは実は、父が2002年に作ったものです。私と父は体型が似ているので、少しお直しをするだけで着ることができるのです。ウエストを少し絞って、パンツのウエストを直すくらい。いつも父のクローゼットを覗いては、次の獲物を物色しているんですよ(笑)」

 親子で服をシェアできるとは、うらやましいですね。それにしても、どう見ても20年前に作られたものとは思えません。私も、大昔にペコラ銀座で作った服を、今でも毎日のように着ていますが、まったく古さを感じません。やはりクラシックな服は、時代を超えた存在です。ちなみに父・雅一さんが着ているのも、ペコラ銀座です。

 

 シャツは、香港のシャツ工場でオーダーしたもの。雅一さん曰く、

「以前アスコット・チャンにいた職人に縫ってもらいました。実はこの生地は私のオリジナルで、ボンファンティに織ってもらったのです。こういうストライプは、ありそうでないのです。20着分も出来てしまったので、息子のために作ったものに加え、友人にあげたりもしました」

 生地からオーダーとは恐れ入りました。雅一さんが着ているブルーのストライプも、やはり“長谷川スペシャル”です。

 

 セッテピエゲのウール・タイは、加賀健二さんのところでオーダーしたもの。

 

 チーフは、エルメス。

 

 時計は、カルティエのタンク。1967年製です。

「これも父が持っていたものです。5年ほど前に父のコレクションを見せてもらって、とても気に入り『いいなー』と言い続けていたら、高校を卒業したときにプレゼントしてくれました(笑)。私は手首が細いので、ちょうどいいサイズ感です。この頃のタンクはフランス製で、ジャガールクルトのムーブメントを搭載しているんです」

  そしてシューズは、もちろんガジアーノ&ガーリング。お父様とお揃いです。

「これはチャールズ皇太子がオーダーなさったものと同じデザインのモデルです。ダークマルゴーというカラーがきれいでしょう? しかし、メダリオンの模様など細かいところは変えてあるのです」

 そういって見せてくれた本物の皇太子の靴の写真には、トゥ部分に紋章である三本羽根のメダリオンが入っていました。さすがにこれはマネできないですよね・・。皇太子はガジアーノの履き心地を、とても気に入っておられるそうです。

 さて、欧米には“ギャップ・イヤー”という習慣があるそうです。これは高校や大学などの卒業と入学のあいだに休みをとることで、その間にさまざまな体験をすることが推奨されています。以世理さんがチョイスしたのは、ガジアーノ&ガーリングにおけるインターンシップでした。

「アジア・ディレクターである父について、台湾、香港、シンガポール、オーストラリアなどを回りました。それまでも靴は好きでしたが、靴ビジネスには興味がありませんでした。でも、トランクショーやフィッティングなどに携わるうち、レザーシューズの仕事が大好きになってしまった! 例えばスニーカーだったら、トレンドは時代によって変わりますよね。しかし革靴はタイムレスで孫子の代にまで伝えることが出来ます。そこに魅力を感じたのです。父とは違うジェネレーションだからこそ、次の世代へのバトンタッチ役になりたいと思っています」

 では、卒業後はガジアーノで働くのですね? と聞くと

「・・それはまだ決めていません。悩んでいる最中です」と。

 私としても、彼のような若者がクラシックの世界に入って来てくれるのは、心から嬉しいことです。どうかよく考えて決めてくださいね。

 

 ところで・・、私が父上に、以世理(いより)というお名前は素敵ですね、どうしてつけたのですか? と伺うと、

「最初は私の名前“まさいち”と妻の“よりこ”を合わせて“まさより”としたかったのですが、画数を見たら、あまり良くなくて・・それで以世理としたのです」とのお答え。

 超インターナショナルな長谷川家ですが、子供の名前の画数を気になさるのは、やはりニッポンの親ですね。(ちなみに、私の息子“俊汰”も、最初は“俊太”でした)

 

お父様の(そしてお母様も)愛情溢れる、本当に素敵なファミリーでした。

 

 

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