From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

ダンディズム界のサラブレッド
林信朗さん

Monday, December 25th, 2017

林信朗さん

 編集者、執筆家

text kentaro matsuo  photography shinsuke matsukawa

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ファッション編集の世界における大先輩、林信朗さんのご登場です。かつては婦人画報社にて、女性誌『mcシスター』、『25ans』、男性誌『メンズクラブ』、『Dorso』、『Gentry』など、多くの雑誌の編集長を歴任されました。その後は、フリーの編集者・執筆家として、さまざまな媒体で活躍されています。

林さんは生粋のサラブレッドでもあります。お父様は林邦雄さんという有名なファッション評論家で、メンズクラブや、かつて私が在籍した『男子専科』でも、長く連載をされていました。著作も多数あります。親子二代にわたって、ファッション評論の世界で活躍されているのですから、私のような“ぽっと出”とは、まさに月とスッポンといえます。

「幼い頃は、父親の書斎が遊び場だった。とにかく家中本だらけでね。毎号メンクラやダンセンが送られてきていたから、小学生の頃からメンズ・ファッション誌を読み漁っていたな。アイビーが大好きで、VANのノベルティのクシやソックスが手に入ると、嬉しくて抱えて寝ていたよ(笑)」

 

その後、大学時代にシアトルへ3年間留学され、本場のアメリカン・ファッションに出会います。

「初めてエディ・バウアーのショップへ行った時は、本当に感激した。アウトドアズ・マンのためのギアとウェアが数え切れないほどあってね。なんとカヌーまで売っていたんだ。1970年代の日本では、そんな店は考えられなかった」

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ジャケットはアンダーソン・リトルというかつてアメリカ東海岸にあったブランドのもの。購入されたのは、なんと40年前だそうです。

「これは学生時代にボストンへ行った時に買ったもの。確かボイルストン通りの店だったと思う。シアトルは西海岸だったから、アイビースタイルはぜんぜん見かけなくて、東側まで本物のアイビーを見に行ったんだ」

 

ボウタイは、シカゴの老舗デパート、マーシャルフィールドでご購入。これも30年前くらいのものだとか。

「昔のアメリカものは、本当に丈夫で長持ちする。今でも普通に使っているよ」

 

シャツはヤマナカシャツ。こちらは打って変わって、つい最近ネットでオーダーしたものだそう。

「インターネットでショッピングするのは大好きなんだ。原稿を書いているときはネットを見ることが多いけれど、ついつい余計なものを買ってしまう」

林さんがeコマース愛好者だとは、ちょっと意外です。

 

トレードマークのパイプは、アイルランドのピーターソン。林さんといえば、かつてパーティなどでは、流暢な英語を操りつつ、いつもパイプを燻らせていることで有名で、若い頃の私もその姿に憧れたものです。

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 ベルトはフェリージ。ジーンズは、なんと無印良品。

「無印、大好きだよ」とさらりと仰っていましたが、新旧取り混ぜたコーディネイトに脱帽です。

そして靴はクラークス。

 

「ファッションには、何か面白いことがないとね。定番を、定番通りの組み合わせで着るのは好きじゃない。例えば、今日はブレザーにジーンズ、そして黒いボウタイに茶のクラークス。男のファッションのセオリーからすると、ヘンなコーディネイトだけれども、あえてそうしている。ドレスダウンを楽しんでいるんだ」

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林さんと私には、大きな共通点があります。それはかつて二人とも西新橋で働いていたことがある、ということです。もう25年も前になりますが、私の在籍していた男子専科編集部から、林さんのいた婦人画報社は目と鼻の先で、同じ頃に、同じ店に通っていました。新橋は今でこそ“オヤジの原宿”になってしまいましたが、当時はファッション編集者や業界人が闊歩する、お洒落な街だったのです。

「ここも知っている! あそこも通っていた!」と大いに話が盛り上がりました。

 

「ランチが終わったら、必ず喫茶店に寄ってコーヒーを飲んだし、仕事が終わったら、毎晩のようにバーへ行った。そのまま会社に泊まってしまうことも、しょっちゅうだったな。今とは時代が違うね・・。昔の編集者は荒っぽくて、酔っぱらって飲み屋の客とよく喧嘩をしていたよ。僕はジェントルマンだったから、そんなことはしませんでしたけれど(笑)」

 

私にも一風変わった先輩がたくさんいて、いろいろな店に連れて行ってくれました。新橋界隈には、ウエスタンとか、トニーズバーとか、いくつか溜まり場があって、行くと必ず知り合いがいて、夜遅くまで語り合ったものです。四半世紀ほど前は、編集者というものは、まだまだ“酔狂”とか“無頼”という、今ではすっかり死語となってしまった言葉が似合う職業だったのです。

林さんからは、そういった往事の、自由闊達たるマスコミ業界のニオイがプンプンします。これからは“林先輩”と呼ばせて頂き、男のファッションの何たるかを学んでいきたいと思います。