「画伯」の名前で親しまれるイラストの巨匠
綿谷寛さん
Sunday, December 25th, 2016
綿谷寛さん
イラストレーター
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
イラストレーターの綿谷寛さんのご登場です。業界では親しみを込めて“画伯”と呼ばれています。
「とにかく幼い頃から、絵を描くこと、そしてお洒落をすることが好きでした。しかしお金がないから、実際に洋服を買うことはできなかった。そこで兄が持っていたメンズクラブを横において、いろいろなコーディネイトを考えながら、ひたすらファッション画を描いていました。あの時の経験が、今でも役に立っています」
その後、一時はマンガ家を志したこともあったそうです。
「実家が池袋にあって、近くには手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生などのスタジオが集まっていました。そこで彼らのところへ、自分の作品を持ち込んだりしていましたね。懸賞へも応募しましたが、いつも“佳作”止まり。どうも自分には、ストーリーテラーの才能はないのだと気付かされました」
しかし「一枚絵なら勝負できる」と考えて、イラストレーターの道を選んだそうです。
「穂積和夫さんや小林泰彦さんのようになりたいと思い、セツ・モードセミナーへ入学しました。穂積さんには、よく絵を見てもらったものです」
そして21歳のときに、当時創刊したてだったポパイへ売り込みに行って、見事採用。それからはずっと、メンズ・ファッッション・イラストレーター一筋だそうです。
スーツは、バタクの中寺さんに作ってもらったもの。
「私はどうしてもアメトラのイメージがあるのですが、職業柄いろいろなものも試すんですよ。これも一見アメトラですが、サイドベンツだったり、ベルトレスだったり、ちょっとウエストを絞ったりして、“大人っぽい感じ”にしてもらいました」
ベストもバタク。
「白蝶貝のボタンが、タッタ—ソールに似合うでしょう? 往年のブルックス ブラザーズのカタログなどを見ると、昔は皆、この組み合わせだったようですね」
シャツはスキャッティオーク。
「ラウンドカラーのシャツが欲しかったのですが、ちょっと前まで、なかなか売っていなくて。これはネットで探して買いました」
ニットタイはフェアファクスコレクティブ。
チーフは大好きなラルフ ローレン。
「彼も私も末っ子だし、彼の父はペンキ職人で私の父は左官屋、それに彼の生まれたブロンクスって、なんとなく池袋に似ていませんか?」
いや画伯、それは全然違うような・・・
時計はジャガー・ルクルトのレベルソ。奥様が「家のローンが終わって、ご苦労さん」と買ってくれたそうです。
「でも裏に自分のイニシャルを彫ろうかと思ったら、『あなたに何かあったとき、売れなくなるから止めて』と言われました(笑)」
シューズはオールデンのサドル。素材はコードバンです。
さて綿谷画伯と言えば、雑誌Beginなどでおなじみの、マンガのようなコミカルなタッチと、正統的なファッション・イラスト=自称“マジタッチ”の二つを使い分けることで知られています。
「デザイナーズ・ブランドに人気が集まるようになってから、日本独自のファッションが増えてきました。それらを表現するには、海外をお手本とせず、むしろ日本ならではの、マンガチックなタッチのほうが相応しいと思ったのです。仕事は、それぞれ半々くらいですが、景気がよくなると、なぜかマジタッチの注文が増える。今またマジタッチの注文が増えてきているので、日本の景気は上向いているのかもしれません」
そういう綿谷さんご自身の景気も、相当よさそうです。
ご自宅にて、画伯自らサーブした英国風ミルクティーを頂きながら、お話を拝聴するのはとても楽しかったのですが、「きっとこの瞬間にも、イラストのアガリを、今か今かと待っている、かつての私のような編集者が大勢いるに違いない」と気付いて、早々に退散したわけでした。