日本に「パンタロナイオ」を根付かせた
尾作隼人さん
Saturday, December 10th, 2016
尾作隼人さん
パンタロナイオ
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
パンタロナイオの尾作隼人さんのご登場です。この“パンタロナイオ”という言葉は、尾作さんによって世に広まりました。もとはイタリア語で、日本語だと“パンツ職人”の意味です。
多くのテーラーでは、ジャケットのみを製作し、パンツは下請けに出すのが習わしです。ですから昔からパンツ職人はいたのですが、あくまでも“縁の下の力持ち”的存在であり、十年ほど前までは、パンツ職人そのものにスポットが当たることは、ほとんどありませんでした。
「もともとは、普通のテーラーを志していましたが、パンツ職人になろうと決めたのは、テーラーの上木規至さんに出会ったからです。ナポリ仕込みの彼の作るジャケットを見て、『これは、敵わないな』と素直に思いました。その瞬間、『それなら私は、パンツ一本で行こう』と閃いたのです」
しかし先達のいない試みだったので、すべてが手探りでした。この道で食べて行けるのか、不安の中でのスタートだったそうです。
「下請けの仕事を続けながら、自分なりに工夫を重ねました。私のパンツの特徴は、ベルト下を作り込んで腰回りにボリュームを出し、後ろ身頃を長く取って、裾が跳ねないよう落ち着かせることです。しかし一歩間違うと、カッコ悪いシルエットになってしまう。ずっと試行錯誤の連続でした」
その努力が実り、受注は少しずつ増えて行って、今では日本中、いや世界中のファッショニスタが彼のパンツを欲しがるまでになりました。
「ありがたいことに50本以上のバックオーダーを抱えています。納期が延びてしまって、ご迷惑をかけています」と嬉しい悲鳴を上げています。
ジャケットは、リベラーノ&リベラーノ。タイは昔のブルックス ブラザーズ(こちらはヤフオクで手に入れたそうです)。シャツは南シャツで作ってもらったビスポーク。南さんとは、お互いに品物を購い合っているそうです。
シューズは昔のマスタ—ロイド、「もう10年以上も愛用している」重厚なダレスバッグもロイド製です。
「こういうものは若いうちに買って、使い込んでいくのがいいと思って」
いまだにピカピカの革鞄に食指が動いてしまう私には、耳の痛い言葉です。
そしてトレードマークでもあるウールのグレイパンツはもちろん自分で作ったもの、と思いきや、縫ったのは見習いで、練習用だったとか。
「自分が着る服って、本当に持っていないんですよ。パンツですら、ウールとコットン合わせても、10本もありません。お客さんをお待たせしているのに、自分のものを作るわけにはいかないじゃないですか」
尾作さんのパンツはすべて手作りですので、1本作るのに30時間もかかるそうです。月産はどうがんばっても8本が限界だとか。
「毎日夜遅くまで仕事をしています。週に100時間働くこともあります。しんどいけれど、でも辛くはないですよ。パンツを作るのが好きだし、お客さんの喜ぶ顔を見るのが、一番嬉しいですから。パンツ作りは私にとって、コミュニケーションの手段なんです」
そのがんばりをきちんと見てくれているのは、今年6歳になるお嬢ちゃん。
父親の仕事は、服を作ることというのは理解していて、先日、
「パパって、ウデがいいから人気者なんだね!」と言ってくれたそうです。
「これは嬉しかったですね〜」と尾作さんもデレデレです。
私にも同じ年の息子がいるので、彼の気持ちはわかります。親って子供にホメられるのが、一番嬉しいんですよね(ウチの子も先日、私のことをホメてくれましたが、その理由は「パパはカメを触れるから」というものでした・・・)
「一生パンタロナイオとして生きて行こうと決めています!」
そんなお父さんの背中が、お嬢ちゃんには、ひときわ頼もしく見えていることでしょう。
※撮影協力=コラボレーションスタイルTEL.03-5579-9403(尾作さんのパンツは、ここでオーダー可能です)