From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

西新橋がファッションの街だった頃
小暮昌弘さん

Sunday, January 24th, 2016

小暮昌弘さん

株式会社LOST & FOUND代表

interview kentaro matsuo photography tatsuya ozawa

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エディター&ライターとして、幅広くご活躍されている小暮昌弘さんのご登場です。小暮さんといえば、私の中では、メンズ・ファッション誌の草分けである『メンズクラブ』の印象が強いですね。版元である西新橋の婦人画報社に入社されてから、25年間に亘って同誌に在籍され、最終的に編集長も務められました。

今のトガッチがやっているメンクラもなかなかですが、私としては、往年のアメトラを標榜していたメンクラに、やはり親しみを感じます。

 

「昔の雑誌業界には、まだ徒弟制度のようなものが残っていて、とにかく先輩たちが怖かった。いつも怒られてばかりいましたね」

 

実は私のキャリアのスタートも、『男子専科』という古いメンズ誌で、編集部は西新橋にあり、メンズクラブの編集部は目と鼻の先でした。

昔の新橋界隈の話をしてみると、通っていた喫茶店まで一緒で、懐かしい気分になりました。会社は違えど、小暮さんは私にとって、同じ土地、同じ業界で生きてきた、よき先輩といえます。

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ジャケットは、リングヂャケットのオーダーメイド。

「10年ほど前に、当時リングの専務だった緒方さんに作ってもらったものです。一見、三ツ釦段返り、センターフックベントといった典型的なアイビースタイルですが、フロントダーツや飾りステッチも入っています。使われている生地は、打ち込みのしっかりした英国製です」

 

シャツはブルックス ブラザーズ。

「UAの鴨志田さんが、昔のブルックスのボタンダウンをリメイクさせたものです。今のものと比べると、フロントボタンの数が少なく、胸ポケットがありません。ポール・キアーズという服飾評論家によると、ブルックスのBDにポケットが付いたのは、1960年代だそうですから、これはそれ以前のスタイルということになりますね」

さすがに、ファッションに対する造詣は、ハンパじゃありません。私のようなエセ・ファッション・エディターは、ついて行くのがやっとです。

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メガネはオプティシアン・ロイド。レンズが跳ね上げ式となっており、遠近両方を見るのに便利だとか。この手のデザインで、跳ね上げ式は珍しいですね。

 

タイはドレイクスがダニエル・クレミュのために作ったもの。

 

時計もダニエル・クレミュが別注した、特製のロレックス。これはダニエル・クレミュ本人からプレゼントされたものだそうです。デイト表示の文字色が、黒→赤→黒→赤と、交互に変わるようになっています。

「初めてフランスへ行って、最初に取材したのが、ダニエル・クレミュだったのです。以来今でも親交が続いています」

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ブラックのパンツはプラダ。私が

「トラッドばかりではなく、モード系ブランドもお召しになるのですね」と聞くと、

「プラダは大好きで、よく買っていました。最近では、コム デ ギャルソンやkolorが多いですね」とのお答え。

 

シューズはオールデンの990。

「オールデンは20足ほど持っています」

 

「ネイビーブレザーには、普通グレイのパンツを合わせますが、今日のポイントは真っ黒のパンツを合わせたところです。トラッドばかりではつまらない。編集者なんだから、どこかに遊び心がないと」

なるほど、編集者として勉強になります。

 

小暮さんの息子さんは、お二人ともすでに成人され、どちらもファッション関係の仕事に就かれています。

「家では息子たちと、ファッションの話ばかりしています。実はkolorは、息子に薦められたんですよ」

 

親子で共通の趣味・仕事があるなんて、羨ましい限りです。ファッションのみならず、成功する子育てについても、お教え願いたいと思いました。