David Arnoff ― Alchemist of Light
光の錬金術師:写真家デヴィッド・アーノフ
June 2022
text andi brooks
デヴィッド・アーノフは、その世代で最も優れたロック写真家のひとりとして知られている。1970年代半ばから80年代半ばにかけてのロサンゼルスのパンクやポストパンクの音楽シーンを、印象的なモノクロ写真で捉え、その時代の音楽とミュージシャンの興奮、危険、そしてクールなスタイルを見事に表現している。
アーノフのアイコニックな写真は世界中のレコードジャケットに使われ、また多くの新聞・雑誌に掲載されてきた。アメリカ、イギリス、日本では写真展が催され、2015年には写真集 『Shot in the Dark: The Collected Photography of David Arnoff』が出版されている。
ゴージャスで人々から絶賛されたこの写真集には、アメリカ、イギリス、ヨーロッパの伝説的なミュージシャンが勢揃いしている。ラモーンズ、ブロンディ、ダムド、ザ・クランプス、バズコックス、ニコ、パティ・スミス、ニック・ケイヴ、ザ・クラッシュ、ストレイ・キャッツ、ジョニー・サンダース、デッド・ケネディーズ、ギャング・オブ・フォー、デッド・ボーイズ、ザ・ガン・クラブ、ディーヴォ、スリッツ、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、ジョーン・ジェット、ザ・スペシャルズ、リディア・ランチ、イアン・デューリー、オンリー・ワンズなど、錚々たる顔ぶれだ。
アーノフはオハイオ州の工業都市クリーブランドに生まれた。10歳のときに家族でロサンゼルスに移り住む。ホームタウンでの公害や人種間の対立から逃れられると喜んだのも束の間、幼きアーノフはこの引っ越しでトラウマを抱えてしまった。それは自分の意思に反したショッキングな体験だったと彼はいう。クリーブランドのざらざらとした雰囲気が、アーノフの性格に合っていたのだ。
彼は砂漠のような暑さのロサンゼルスが嫌いだった。熱中症になり、気を失って倒れそうだった。当初はそんな不運を呪っていたが、写真とロックの世界にとってはありがたい土地であり、やがて新しい環境に順応していった。
写真に興味を持ったのは、高校生のときだった。父親の古いカメラを使って、ガールフレンドの写真を撮ったりして、実験を始めたのだ。1970年代初頭、モット・ザ・フープルのライブで初めてロックバンドの写真を撮影した。この最初の写真は、彼の有名な迫り来るようなクローズアップ写真とは異なり、ステージから遠く離れた場所で撮影された。バンドのダイナミックさやスピリットを捉えるというよりは、単に彼がライブに参加したことを記録するような写真だった。
アーノフはもちろん写真が好きだったのだが、本格的に撮影するようになったのは、1976年の出来事がきっかけだった。その決定的な瞬間は、ロサンゼルスのロキシーシアターで行われたパティ・スミスのライブで訪れた。彼はこのとき初めて、ステージ上のミュージシャンと真の繋がりを感じたという。また、自分の名前が雑誌にクレジットされるのも初めてのことだった。このライブの写真は、ロサンゼルスのロック・ファン向け雑誌『Back Door Man』に掲載されたのだ。
アーノフにとって、撮影するバンドやミュージシャンに親近感を持つことは重要だった。ただ有名だからといって撮影することはなかった。実際、アーノフが撮影した有名なバンドの多くは、まだ活動をスタートさせたばかりでビッグスターではなく、ブレイクするために必死だった。だからアーノフは彼らの懐に簡単に入り込むことができた。それがLAパンクシーンの重要な記録を残すことができた理由だ。
アーノフは、ステージ上のミュージシャンを間近で撮影し、演奏が終わるとバックステージに行って話を聞くことができた。その現場にいたからこそ、彼らの心の動きを写真に収めることができたのだ。
アーノフの写真の重要な要素は、“自然さ”だ。彼は瞬間を捉える魔法のような才能を持っている。その典型的な例が、酒の空き瓶が並ぶホテルの一室で、二日酔いのニック・ケイヴを撮影した1枚である。調子の狂ったギターで弾き語りをしているケイヴにカメラを向け、背後のテレビにはハープを弾くハーポ・マルクスの映像が映し出されている。
この写真は、最悪の状況から最上の美を生み出すアーノフの能力を示している。彼の豊かなモノクロ写真は、生々しいパンクシーンのミュージシャンたちに、ハリウッド黄金時代の映画スターのような輝きを与えていた。アーノフの写真の中では、華やかな映画のセットよりも、ドブの中の方が魅力的に見えるのである。
現在、アーノフはロンドンを拠点に活動している。今でもライブに行くことを楽しんでいるが、彼の興味は街の風景や小さな路地を写すことに変わっている。
これまで撮影した中で最も印象に残っているライブは何かと尋ねると、彼は迷わず1976年のロキシーでのパティ・スミスのギグを挙げた。それが彼にとってのすべての始まりだったと答えた。
(※彼のサインとシリアルナンバー入りの銀塩プリントは、彼のウェブサイトから限定版で購入することができる)