A TIMELESS LEGACY

オーデマ ピゲ、時を超えて受け継がれるもの

December 2025

ブランドの創業150周年を、クロノグラフの新作で寿ぐ。オーデマ ピゲのヘリテージ&ミュージアム ディレクター、セバスチャン・ヴィヴァスが、時計を巡る数々の驚くべき物語とそれを舞台裏で支えてきた人々の存在について語ってくれた。

 

 

text nick scott

 

 


ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)
創業150周年を記念して発表された、フライングトゥールビヨンとフライバッククロノグラフを統合した革新的モデル。新キャリバー8100は、従来のハンマーとハートカムの代替として開発されたラック&ピニオン機構による瞬時リセットや、スマートフォンのサイドボタンに着想を得たプッシュボタンなど、クロノグラフの操作性を根本から刷新。チタンとBMG(バルクメタリックガラス)を融合させたケース構造が、軽量性・剛性・美観をかなえる。機構美と人間工学が完璧に調和した、150年の技術革新の結晶である。世界限定150本。自動巻き、Ti×BMGケース、39mm 価格は要問い合わせ Audemars Piguet

 

 

 

 ジュウ渓谷のル・ブラッシュにあるミュゼ アトリエ オーデマ ピゲで、訪れる人がまず対面するのは、見習い期間を終えたジョセフ・ピゲが1769年に製作したシルバーの懐中時計だ。マニュファクチュールの創業はそこから100年以上先だから、これはオーデマ ピゲの歴史の始まりを示すものではないが、活気に満ちた黎明期の物語の扉を開く作品といえる。この物語を存分に味わうため、しばし目を閉じて想像してほしい。ときはヨーロッパの小氷期後期、駆け出しの職人たちが集い、冬の農閑期の作業としてすごく精密な部品━━輪列、テンプ、脱進機など━━を作っている姿を。

 

「この作品は、会社の礎を築いたのがどんな人々だったか、果てしなく続く冬の間、人里離れた土地に閉じこめられた彼らが、生き抜くために何をなさねばならなかったかを、雄弁に語ってくれます」と、オーデマピゲのヘリテージ&ミュージアム ディレクター、セバスチャン・ヴィヴァスは語る。「1年の半分は平均気温が氷点下でした。彼らはそんな環境で時計作りを学び、時計作りを教え、そして時計の販路を見つけなければならなかったのです」

 

 それから時計の針を1世紀ほど進めよう。ジョセフの直系の子孫、エドワール=オーギュスト・ピゲが、幼なじみのジュール=ルイ・オーデマとともに立ち上げた会社は、ほかの時計メーカーでは類を見ないほど豊富で多彩なモデルを取り揃えることに成功した。創業から24年後の1899年に登場したグランドコンプリケーションの懐中時計(ミニッツリピーター、アラーム、パーペチュアルカレンダー、ジャンピングセコンドとスプリットセコンドの両方を備えたクロノグラフを含む7つの複雑機構を搭載)を皮切りに、会社はひたすら情熱を捧げ、限界を次々に乗り越え、歴史に残る時計を世に送り出してきた。いくつか例を挙げてみよう。世界初のジャンピングアワー機構を搭載したアールデコの腕時計(1921年)、初のスケルトンウォッチ(1934年)、当時最薄の1.6mm厚のムーブメント(1946年)、初めて自動巻きグランドコンプリケーションを搭載した腕時計(1996年)、初めてカーボン製のケースとムーブメントを備えた腕時計(2007年)、そしてその後者ふたつに至るまでの間には、このブランド史上最も有名な時計が存在する(後述)。

 

 ヴィヴァスによれば、ブランドは若きジョセフ・ピゲが初期の傑作を生んだ際の過酷な気象条件を語り伝え、それをよりどころに、逆境こそが発明を生むことを何度も証明してみせたのだという。オーデマ ピゲ創業の頃、この逆境は天候とは異なる形でやってきた。

 

「19世紀後半は、ジュウ渓谷にあるスイスの時計メーカーにとって受難の時期でした。というのも、かなり質の高い懐中時計を機械で安く大量生産していたアメリカの時計業界との競争にさらされ、大半の工房が廃業してしまったからです」

 

 


オーデマ ピゲのアーカイブに収蔵されている傑作の数々。左から時計回りに:1983年製のオープンワークのパーペチュアルカレンダー「5564PT」/1996年、ジュール オーデマ コレクションで発表したブランド初のグランドコンプリケーション腕時計/アベンチュリンダイヤルの「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ パーペチュアルカレンダー」/1978年に登場したイエローゴールド製のパーペチュアルカレンダーモデル「5548」/1986年に登場した世界初の自動巻きトゥールビヨン腕時計、キャリバー2870。

 

 

 

 創業者たちは、たとえばマサチューセッツ州のウォルサム・ウォッチ・カンパニーや、イリノイ州のスプリングフィールド・ウォッチ・カンパニーといった会社に追随して、交換可能な部品や機械化された生産方式を取り入れることもできたかもしれないが、伝統へのこだわりと職人魂がそれを退けたのだと、ヴィヴァスは語る。

 

「彼らは、機械生産とは正反対の道を選んだのです。伝統的な手作業での複雑機構に自信を持っていました。その頃、製作した時計の半分以上がミニッツリピーターでしたから。これがどれほど複雑な機構かはいうまでもないでしょう」

 

「こうした自信は、彼らの父親、祖父、曾祖父、おじ、隣人、友人━━みんながル・ブラッシュで最高級の時計を作り続け、それを人生の一部としてきたことから生まれました。蒸気機関を使った大量生産に関わる人生など、想像もできませんでした――彼らにとっては世界の終わりに等しいものだったのでしょう。最新の時計は作りたいけど、最新のやり方でではない、そう望んでいたのです」

 

 およそ半世紀後、新たな苦難がまたしても大西洋の向こう側からやってきた。

 

「1930年代は、世界中が経済危機を味わった時代でした。オーデマ ピゲは多額の負債を抱えることになりました。取引の半分を占めていたニューヨークの販売代理店メトリック・ウォッチが、過去数年間に販売した時計の代金を支払えなかったからです。一番の得意先を失い、もはや誰にも高級時計を買う余裕などなく、毎年赤字ばかり積み重なっていくだけというときに、なすべきことは何か? 一族の決断は、続けることでした。なんとか持ちこたえて自分たちのノウハウを次の世代に伝えることだったのです」

 

 ただ歯を食いしばって頑張るだけに飽き足らず、オーデマ ピゲは独創的な新機軸を打ち出した。

 

「仕事がないときは時間がある。つまり、イノベーションを生み出すための時間ができるというわけです。彼らが手をつけたのは、超薄型でオープンワークのムーブメント、それから小型の複雑機構を搭載した腕時計で、これは生産がさらに難しいものです――その頃登場したリピーターやクロノグラフと同じように。そう、解決策は『自分たちの信念を貫き、生き残るためにできることをしようじゃないか。何も変えるな。歩み続け、信じ、道を見つけよう』だったんです」

 

 

1899年に製造された、「ユニヴェルセル」と呼ばれる懐中時計。316本のネジを含む1168個の部品で構成され、19種類の複雑機構を含む26種類の機能を備えている。

 

 

 

 オーデマ ピゲが困難に際して、最も大胆で勇気ある行動を取ったのは、クオーツ時計が登場した1970年代のことで、『WatchTime』誌によればスイスの時計製造者は1970年から1988年までの間に90,000人から28,000人へと減少したという。時計業界の神話の中でも、ひときわ有名な物語だ。そんな中、ジェラルド・ジェンタが古い潜水用ヘルメットを模した八角形にインスピレーションを得て、業界の慣習も会社の慣習も顧みず、それまでに類を見ないステンレススティール製のラグジュアリースポーツウォッチを生み出したのだ。

 

「新しい挑戦には必ず失敗のリスクが伴いますが、自分のしていることに信念があれば、成功の道は開けます。『ロイヤル オーク』がその好例でしょう。(当時の社長である)ジョルジュ・ゴレイはこう答えることもできたはずです。『とんでもない――うちの時計はゴールドという素材でこそ輝くんだ。ステンレススティールに手を出すつもりはないし、ましてや1,000本も製造するなんて。ひとつのモデルの製造は100本までに抑えるんだ』。しかし、ここでも答えはこうでした。『いいだろう。やってみたらいい』。うちは常に『ともかくやってみよう』という精神の会社なんです」

 

 ここで、こんな疑問が湧いてくる。オーデマ ピゲがストイックに耐え忍ぶだけでなく、大胆な戦略に打って出るという形で、逆境の時代に立ち向かえた理由は(時計作りの黎明期における、スイスのアルプスの過酷な気候は別として)何だったのだろう? 彼によれば、それは少なからず、会社が4代にわたって家族経営の独立系メーカーだったことによるものだという。

 

「そのおかげで、伝統への敬意とルールを破る自由とのバランスを絶妙に保てたのです。この自由というのは、時計の機構や形のみならず、新しい素材やAPハウスのような新しい販売形態にも当てはまります。これこそが、最小のミニッツリピーターから、アーノルド・シュワルツェネッガーの『ターミネーター3』モデル、そしてハイジュエリーやクロノメーター、超薄型のパーペチュアルカレンダーに至るまで、わが社が多様なタイムピースを生み出せる原動力なのです。オーデマ ピゲが手がけなかった分野はひとつとしてありません。それは、好きなように創造できる自由があってこそです」

 

 実際、古参の時計愛好家に、これまでで一番好きなオーデマ ピゲを挙げてくれと言ったら、ちょっとした騒ぎになるかもしれない。なんとか答えを引き出してまとめたとしても、きっと結果は多岐にわたるはずだ。筆者はかつてジュネーブの夕食会の席で、1959年から1963年にかけて生産された30以上の旧式の非対称ケースモデルが、近未来的なチタン製の「ロイヤル オーク オフショア トゥールビヨン クロノグラフ」や、ローズゴールドに青いアベンチュリンガラス(金色の微粒子を混ぜたガラス)の文字盤を使った「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ パーペチュアルカレンダー」、その他多くのモデルと覇を競っているのを見たことがある。

 

 こうした論争に、新たに強力な選択肢が加わることになる。オーデマ ピゲは創業150周年を記念して、自動巻きキャリバー8100を搭載した「ロイヤルオーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)」を発表。ウォッチ コンセプション ディレクターのジュリオ・パピは、開発に5年の歳月を費やしたこのモデルについてこう語った。

 

「選りすぐりのクロノグラフの粋を結集しました。世界初のタクタイル式プッシュボタン、インスタントジャンプミニッツカウンター、驚異的な薄さ、人間工学に基づく緻密なデザインと視認性」

 

 


「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)」はケースバックから新キャリバー8100を鑑賞できる。従来のハンマーとハートカムの代替として開発されたラック&ピニオン機構による瞬時リセットや、スマートフォンのサイドボタンに着想を得たプッシュボタンなど、クロノグラフの操作性を根本から刷新。

 


チタンとBMG(バルクメタリックガラス)を融合させたケース構造が、軽量性・剛性・美観をかなえる。機構美と人間工学が完璧に調和した、150年の技術革新の結晶である。「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)」世界限定150本。自動巻き、Ti×BMGケース、39mm 価格は要問い合わせ Audemars Piguet

 

 

 

 同社のクリエイターたちは真っ先に、自分たちが巨人(=これまでの先覚者たち)の肩に乗っていることを認めるだろう。大切なのは、彼らもまた巨人であり、未来の時計作りの道を切り開く者たちが、その肩に乗るだろうということだ。来たるべき次の輝かしい150年のために、彼らの準備は怠りない。

 

 

創業150周年を記念した特別展
「ハウス オブ ワンダーズ展」開催中!


1875年の創業以来、オーデマ ピゲが150年にわたり培ってきたクラフツマンシップ、革新性、そして人々の物語に焦点を当て、ブランドの世界観を体感できる展覧会「ハウス オブ ワンダーズ展」が、2026年4月30日(木)まで東京・銀座にて開催されている。オーデマ ピゲのファンのみならず、機械式時計の歴史と魅力に触れられる貴重な機会にぜひ足を運びたい。

オーデマ ピゲ 150周年記念
ハウス オブ ワンダーズ展

開催期間: 2026年4月30日(木)まで
時間:11:30~19:30 (最終入場18:30)
住所:東京都中央区銀座6-7-12
※入場無料(予約優先)
予約方法:オーデマ ピゲウェブサイト内予約ページより
https://aplb.ch/a0968e8a-f890-4a78-be9c-58ebb3555b90

オーデマ ピゲ
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