北川美雪の「良い服」は人生を変える
Good Clothing Can Change Your Life

VESTAのスーツコンサルタント、北川美雪氏が、「パワーオブスーツ」をキーワードに、スーツを単なる服ではなく「人生を変える武器」として捉え、その魅力をお伝えしていく。

【第6回】世界を舞台に活躍するインベストメント・バンカー、伊藤遼子さん:装いがキャリアと人生に与える力 


Saturday, July 19th, 2025

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伊藤遼子さん

 

 

「服は、私にとって単なる外側の飾りではないんです。それは自分を奮い立たせる武器であり、相手に敬意を示し相手との距離を縮める道具であり、そして私自身のためのものだと思っています」

 

 こう穏やかに微笑んで語ってくださったのは、世界有数の金融機関の投資銀行部門でエグゼクティブ・ディレクターを務める伊藤遼子さん。資本市場、投資銀行といった日本でも特に男性比率の高い業界で、彼女は着実にキャリアを重ね、世界中のクライアントや同僚たちから厚い信頼を得ています。

 

 そんな彼女のもうひとつの大きな武器は——装い。それは単なる「服好き」という域を超えた、戦略的で文化的な感覚の融合です。インタビューでは、彼女がどのように装いをキャリアの武器として活用し、人生を彩ってきたのか、じっくりと話を伺うことができました。

 

 

構築的なテーラードスーツに、凛とした女性らしさがにじむ佇まい。装いに内なる強さと優しさを宿す、伊藤さんらしいVESTAで仕立てた一着。

 

 

 

男性社会の中で、自分らしさを見つめ直す

 

 金融の世界では、いまだに男性が多数を占めています。

 

「確かに女性も増えてきていますけれど、やはり全体の比率で見ると男性が多いですね。しかもコロナ以降はクールビズやリモートワークの影響で、男性もポロシャツや T シャツ姿が許されるようになりました。でも、お客様と直接お会いする場では、やはりスーツやジャケットを着るのが基本です」

 

 女性の場合はどうでしょうか?

 

「女性はそもそもジャケットを常に着る文化ではないので、ブラウスにスカートやパンツ、ワンピースが多いと思います。必要な時だけジャケットを羽織る、という人の方が揃いのスーツを着る方よりも多い気がしますね」

 

 そんな中で、伊藤さんはあえてダブルブレストのジャケットをオーダーで仕立て、構築的な英国生地を選ぶことを好みます。「男性のように見せたいわけではないんです。むしろ、きちんと構築されたジャケットを羽織ることで、逆に女性らしさが際立つと感じています」その言葉の通り、彼女の装いはマニッシュさとフェミニンさが絶妙なバランスで混ざり合い、見た人に強い印象を与えるのです。

 

 

装いに内なる強さと優しさを宿す、伊藤さんらしいスーツ。勝負どきには、迷わず袖を通せる一張羅があるという安心感があるとのこと。

 

 

 

装いは信頼感を生む“勝負服”

 

 特に大事な提案やミーティングの前、彼女は必ず身だしなみを確認します。

 

「直接会うのは限られた時間ですが、やはりリレーションを作る上ではとても重要な場面です。だからこそ、ちゃんとしていて信頼できそうだと思われる装い、自分がビシッと気持ちを引き締められる装いを選びます」

 

 出張の際は、一張羅のスーツを一着、そこに合わせられるスカートやインナー、もう一本のパンツを用意し、靴も 2 足持参。限られた荷物の中で最大限のバリエーションを出し、連日の訪問先で印象を新鮮に保ち続ける工夫を欠かしません。

 

「正直、靴は何足にしようとか、インナーは何を持っていこうなど、迷います。でも、会う人や場所によりイメージを変えたいし、私にとって大切な準備です」

 

 そんな小さな悩みさえ、彼女にとってはキャリアを支える大事な一部なのです。

 

 

TABIOで購入した、ストッキング感のあるパンプス用ソックス。上質な装いにカジュアルな遊び心を添える、伊藤さんらしい感性のミックスが光る一足。

 

 

 

色の力——オランダのナショナルカラーのパンプスのエピソード

 

 装いにおける色の力も、伊藤さんはよく理解しています。

 

「以前オランダのお客様の集まりに参加したとき、オランダのナショナルカラーであるオレンジを意識して、オレンジ色のパンプスを履いていきました。すると、やっぱり少し嬉しそうな表情を見せてくださったんです」

 

 相手の国や文化、企業カラーをさりげなく装いに取り入れる——それは小さなことのようでいて、強い印象を残し、場の空気を和ませるアイスブレイクの力を持っています。

 

「毎回ではないですけれど、ここぞという場面では色を使うこともあります。派手すぎない範囲で、自分なりの工夫をしています」

 

 

装いのルーツ——母から受け継いだ美意識

 

 では、こうした鋭いファッション感覚はどこから来たのでしょうか。

 

「小さい頃の私は、ファッションに興味のない子供だったと思います。でも母がわりとおしゃれで、昔着ていた服やベルト、バッグなどを“おさがり”としてもらっていました。昔の物って、時間を経ても素敵なものが多いんですよね」

 

大学時代には下北沢の古着屋に通い、予算に制限がある中で、人と被らない個性を服で出す楽しみを覚えました。社会人になってから、代官山でヨーロッパのデザイナーズブランドのヴィンテージに出会い、時々購入するようになりました。

 

「新品ではとても買えないような高価なものが、古着ながら状態も良く、手が届く、しかも人と被らない。そんなところに魅力を感じたんです」

 

 その延長線上に、今の伊藤さんのスタイルがあります。ヴィンテージのボタンを使ったハンドメイドのピアス、祖父のコレクションのひとつだった時計、国内外のデザイナーのリング——彼女の装いは一点一点がストーリーを持ち、決して大量消費の流行品では埋め尽くされていません。

 

 

祖父から受け継いだシンプルな時計と、お気に入りの作家ものリング。時を超えて受け継がれる想いと、自分らしさを重ねて。

 

 

 

世界のキャリア女性から学んだこと

 

 これまで多くの女性リーダーたちと出会ってきた中で、特に印象に残っているのは、まだ若いころに仕事を通じて出会ったドイツの50代の女性だといいます。

 

「背が高くてショートカットで、ダブルカフスの真っ白なシャツに柔らかいレザーのブラックジャケット、タイトスカートを合わせ、赤いスカーフをさらっと巻いていらして、とても洗練された雰囲気でした。年齢を重ねても、女性性を大事にしながら堂々と立っている姿が本当にかっこよかったんです」

 

 ヨーロッパでは、トップの女性ほど色や個性を装いに取り入れる傾向が強いですが、日本ではまだ同じようにやるのは難しいと感じるそうです。

 

「日本だとどうしても派手な人、目立ちたがり屋だと思われがちな気がします。だからこそ、私も勇気をもらえます。もっと自由でいいんだって」

 

 

お気に入りの神田〈Co-〉で出会った、アンティークボタンをリメイクした一点ものピアス。袖口の赤いボタンホールと響き合う、さりげない美意識のマッチング。

 

 

 

若い世代へのメッセージ——仕立て服のすすめ

 

 若い後輩たちからファッションの相談を受けることはほとんどありませんが、それでも心の中では思うことがあります。

 

「良いジャケットは 1着は持っていたほうがいいと思います。予算もありますし、必ずしも全身をオーダーで作る必要はないですが、顔周りにきちんとしたものがあるだけで、印象はぐっと変わるし、投資の価値があると思います。男性の場合は特に、仕立て服を着ると男ぶりが3割増しになると思うので、セミオーダーでも是非作ってみたらいいと思います」

 

 自分の経験から、安い既製服を何着も買うより、良いものをひとつ選ぶ価値を伝えたい。そう感じているそうです。

 

「私自身も、昔は ZARA のスーツを着ていましたし、ユニクロも着ますし、高価なものばかりが正解だとは思いません。でも、きちんとした一張羅の力はすごいです。きちんとしたスーツやジャケットがあるだけで、自分の気持ちが引き締まり、自然と所作や言葉遣いまで変わってくる。そういうことを、若い人たちにも伝えたいですね」

 

 

 

次の挑戦——ロングスカートの構築的スーツ

 

 最後に、これから挑戦してみたいファッションについて尋ねると、少し笑いながらこう答えてくださいました。

 

「実は、構築的なロングスカートのスーツを作ってみたいんです。ちょっと難しいオーダーなんですけれど、いつか挑戦してみたいなって」

 

 その言葉の奥には、年齢を重ねても学びや挑戦をやめない姿勢が感じられます。彼女にとってファッションは、過去の自分の延長ではなく、未来の自分を形作るものでもあるのでしょう。

 

 

自分を奮い立たせる一着こそ、キャリアを支える確かな味方。理路整然と、時にはチャーミングな笑顔を見せつつインタビューに応じてくださった伊藤さん。ソフトなシフォンシャツと辛口のダブルブレストスーツのコンビネーションが、彼女のキャリアと感性を鮮やかに映し出す。

 

 

 

装いは、自分を支える静かな力

 

 伊藤さんと話していて強く感じたのは、装いが決して外向きだけのものではないということ。それは、自分を守り、勇気づけ、気持ちを引き上げる“静かな力”です。世界を舞台に仕事をし、多様な文化や価値観と交わる彼女だからこそ、服に込める意味の深さは計り知れません。

 

 日本のキャリア女性たちにとって、伊藤さんはきっとひとつのロールモデルです。装いを通じて自分らしさを表現し、仕事と人生を前向きに切り拓いていく——そんな生き方に、これからも多くの人が勇気をもらうことでしょう。

 

 

Author: 北川美雪(きたがわ みゆき)

東京・銀座のテーラー「VESTA by John Ford」のゼネラルマネージャー。英語、イタリア語、フランス語に堪能、メンズファッションのエキスパートとして25年のキャリアを持つ。確かな素材選びとセンスの良い仕立てに定評があり、国内外のトップ経営者、政治家、各国の要人・大使らが顧客として名を連ねる。歴代の駐日イタリア大使にも絶賛された。ファッションに関する深い造詣を持ち、多くの雑誌などで記事を執筆している。好きな食べ物は「てっさ」である。https://johnford.co.jp/