北川美雪の「良い服」は人生を変える
Good Clothing Can Change Your Life

VESTAのスーツコンサルタント、北川美雪氏が、「パワーオブスーツ」をキーワードに、スーツを単なる服ではなく「人生を変える武器」として捉え、その魅力をお伝えしていく。

【第12回】ナポリの海が育てた“装いの教養”

Saturday, March 28th, 2026

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MSCクルーズ ジャパン 日本・韓国・東南アジア

代表取締役社長 オリビエロ・モレリ  

 

Instagram: @afamok

Instagram (His Winery):@lamolarawines

 

 

ナポリの血統、東京の感性

ナポリのダンディズムを骨格に持ち、東京で磨かれたディテールへの感度を纏う紳士。伝統をそのまま守るのではなく、都市を越えて再解釈する。それが、オリビエロ・モレリという存在の現在地を深堀していく。

 

 

「ナポリを見て死ね(Vedi Napoli e poi muori)」という言葉があります。それほどまでに風光明媚で、圧倒的な美しさを誇る街。それがナポリです。

 

 しかし、ナポリは単なる観光地ではありません。大航海時代を経て、ブルボン王朝の時代には海運と交易の要所として栄え、地中海世界の玄関口として機能してきた港町です。海は景色ではなく、産業であり、外交であり、生活でした。

 

 今回のゲスト、MSCクルーズ ジャパン 日本・韓国・東南アジア 代表取締役社長 オリビエロ・モレリ氏は、そのナポリで生まれ育ちました。国際ビジネスの第一線に立ちながら、Instagramでも多くのフォロワーを持つインフルエンサーとしても知られています。けれど私にとって彼の魅力は、美味しいもの、独特で楽しい体験の発信力はさておき、“服が人生にどう作用するか”を身体で理解している、ナポリ紳士たる装いにあります。

 

 イタリアファッションと聞けば、多くの人はミラノを思い浮かべるでしょう。確かにコレクションの中心はミラノです。ですが、テーラードスタイルの聖地はナポリです。ロンドンにサヴィル・ロウがあるように、イタリアにはナポリがあります。

 

 ナポリのテーラリングについては、いつか改めて深く掘り下げてみたいテーマですが、今回はその文化を体現する一人のビジネスリーダーの姿を追っていきます。

 

 ナポリという都市の教養は、理論ではなく、まず身だしなみに現れます。取材の日、彼が纏っていたのは、ナポリのテーラーによるスーツでした。柔らかく、肩に沿う構造。

 

 過剰に主張せず、しかし確実に存在感を示すシルエット。彼はこう言います。

 

「好きだから選ぶ、というより……イタリア、ナポリの家に生まれたら当たり前のことなのです」

 

 

日本ブランドのクラッチに、10年の英国生活が重なる

 

 この日のオリビエロのスタイリングには、いくつもの“移動の履歴”がありました。手元のクラッチは、10年ほど前の日本ブランド「Mr. Gentleman」。彼がイギリスに住んでいた頃に手に入れたもので、本人いわく「とてもブリティッシュに見える」。日本で作られたものなのに、英国の気配を纏っている――その感覚が、彼の今の立ち位置を象徴しているようでした。

 

 スーツはナポリのテーラー、ソリート(Solito)。「好きだから選ぶ、というより……イタリアの家に生まれたら“そうなる”」と、半ば運命のように語ります。祖父も父も、同じようにスーツを着てきた。肩の張りや体格の特徴まで、家族の物語として語られていく。スーツが“家の言語”になっている人の言葉でした。

 

 

ナポリの教養を纏う

柔らかなナポリ仕立てのスーツに、祖父から受け継いだノット。装いは、誇示ではなく継承であることを静かに語る。

 

 

 

8歳で仕立て服。祖父の世代から続く“テーラーは家族史”

 

 彼は、初めてスーツを着た年齢を「たぶん8歳、初聖体拝領(First Communion)の頃」と振り返りました。ナポリでは、特別な節目に“仕立て服”が用意される。それは贅沢ではなく、家族の礼節であり、人生の通過儀礼なのです。そして彼は言います。

 

「スーツでいちばん大事なのは、“スーツがあなたのもの”であることです」

 

 例えば少しお腹が出ているならば、「タイトすぎると居心地が悪い」と。スーツは見せるための鎧ではなく、自分の身体が安心して呼吸できる“第二の皮膚”なのだと、彼は知っています。

 

 

結び目に宿る継承

祖父から受け継いだラルフ ローレンのタイ。そして祖父から教わったノット。クラシックな装いは、世代を超えてなお生き生きと受け継がれていくのです。

 

 

 ネクタイの結び方にも、彼の継承は表れています。オリビエロは祖父に教わったひとつの結び方しかできないと言います。「他のノットを頼まれてもできない」と笑います。ナポリでは少し厚みのある結びを好み、彼もダブルノットで結びます。それは技術というより、祖父から受け継いだ手の動きそのものなのです。

 

 

受け継がれるネクタイ

取材当日、オリビエロは父や祖父から受け継いだ数々のネクタイを携えて現れました。丁寧に並べられたそれらは、単なるシルクではなく、ナポリの男たちが代々継承してきた服飾文化の断片。その静かな重みを物語るワンシーンでした。

 

 

 

ナポリでは、誰もが自分のテーラーを持っている

 

「ナポリ人は、みんな自分の好きなテーラーを持っています」

 

 友人同士で集まれば、まるで“好きなピザ”や“好きなモッツァレラ”を語るように、テーラー自慢が始まります(これも実にナポリ人らしい美しい表現です)。

 

「俺のテーラーが一番だ。いや、お前の肩はいいけど、俺のラペルの返りはもっと美しい」

 

 それは競争ではなく、誇り。テーラーは身体だけでなく、人生の時間を知っている存在だからです。一年ぶりに訪れれば、体型の変化を一目で見抜く。「少し増えましたね」「少し痩せましたか。大丈夫ですか」━━彼が口にした「テーラーは医者みたいなもの」という比喩は、決して大げさではありません。誰にでも、ホームドクターがいるのです。

 

 

旬のグリーンもダンディーに

友人のテーラーCOPPIAで仕立てたのは、モスグリーンという旬のカラー。ネクタイはヴィンテージのマリネッラ。ナポリで培った装いの基礎に、日本で目覚めたアクセサリー使いを重ねていく。

 

 

 

“一番偉い人を真似しなさい”━━父がくれた、社会の読み方

 

 彼の装いの哲学には、父の教えが深く根を下ろしています。

 

「エレガントなディナーに行くと、カトラリーがたくさんある。どれを使えばいいか分からなかったら、いちばん偉い人を見て、そのままコピーしなさい」

 

 最悪の場合でも、“偉い人と同じ間違い”をするだけ。だから誰にも責められない。これはテーブルマナーの話であると同時に、場の権力構造を読み、敬意を外さないための処世術でもあります。この教えは、ネクタイを外すタイミングにも繋がっていました。

 

 

 

ネクタイを外すのは、親密さの合図

 

 日本にはクールビズという独自のプロトコルがあります。彼はそれを理解し、尊重しています。けれど、会食が一次会、二次会と進み、距離が変わっていくとき、装いは“関係性の速度”に合わせて調整されるべきだと彼は言います。

 

「もしボスが会食などのミーティングでネクタイを外したら、それは“もうビジネスの話じゃない。友人として話そう”というサインです。だから僕も外します」

 

 そして部下から「日本のドレスコード的に、いつ外すべきですか」と聞かれたら、こう返す。「まず、いちばん偉い人を見なさい」。装いは自己表現である前に、敬意の言語です。“外す/外さない”という小さな動作の中に、関係性のグラデーションが表れる。ビジネスリーダーほど、その微細な合図を読み取っています。

 

 

リペアができないネクタイ

長年愛用してきたマリネッラのネクタイは、決して直さない。コルネットは、修理してはならないものだからだ。友人であるアレッサンドロ・マリネッラが修復を申し出ても、オリビエロは首を横に振る。ナポリのコルネットの伝統にかけて、これに手を加えることはできないのだという。

 

 

 

Corno(コルノ)——幸運は、贈られて初めて効力を持つ

 

 彼のネクタイには、小さな赤いサンゴの角が織り込まれています。ナポリのラッキーチャーム、Cornoコルノ(あるいはCornetto)です。オリビエロはナポリ人らしい身振りを交えて、こう説明します。本来コルノは珊瑚でできている小さな角です。この角を、爪の下に擦るようにしてまずは“自分のものにする”儀式を行います。そこには「爪と指の間でこすり、細胞の感覚に触れさせて一体化させる」という言い伝えがあるそうです。幸運とは、外側に飾るものではなく、身体の内側に“馴染ませる”ものだという考え方なのでしょうか。

 

 このナポリ伝統のコルノについて、更にふたつのルールを教えてくれました。ひとつ目。自分で買ってはいけない。人から贈られたものでなければ、幸運の効力は生まれない。ふたつ目。壊れたら、直してはいけない。壊れるということは、本来起こるはずだった悪い出来事を、コルノが代わりに引き受けたという意味だからです。だから修理はしない。新しいものを、また誰かに贈ってもらう。

 

 彼の愛用するこのマリネッラのネクタイは、長年の摩耗で毛羽立ち、角も少し擦れていました。オリビエロの友人である、マリネッラ4代目社長のアレッサンドロは、このネクタイを見て何度もこう言うそうです。「直してあげようか?」。けれど彼は、首を振ります。

 

「直してはいけないんです。それがコルノの伝統だから」

 

 装いの中にあるのは、合理性ではありません。信仰でもありません。それは“継承”です。幸運とは、修復するものではなく、受け継ぐもの。その哲学が、このネクタイと、彼が手にする小さなサンゴの角に宿っています。

 

 

思い出を仕立てる一着

Wisdom Toolで仕立てたジャケット。 裏地には自身の結婚式の日付が刺繍されている。 装いとは、単なる衣服ではなく、人生の瞬間を記憶する器でもある。  

 

 

 

Marinellaと三世代の友情、そして記念のワイン

 

 このオリビエロのネクタイは、ナポリ発祥で最も有名なネクタイブランドであるE. Marinella。そして彼とマリネッラ家との関係は、三世代にわたる友情です。

 

 祖父の店は、ナポリ本店の隣にありました。毎朝6時、マリネッラが店を開ける。祖父も店を開ける。「おはよう」という挨拶が、やがて家族ぐるみの付き合いになります。父の代では、マウリツィオ・マリネッラと親交が深まり、そして現在は、4代目社長アレッサンドロ・マリネッラとオリビエロへと続いています。

*アレッサンドロ氏には、実は私の連載「Good Clothing Can Change Life」第4回にもご登場いただきました。

 

 ナポリのエレガンスとは何か。ネクタイとは何か。“継ぐ”とは何か。それを語ってくださった人物です。さらに2人の間には、心温まるエピソードがあります。

 

 オリビエロの父が造るナポリ・アヴェリーノの希少なワインが、マリネッラの110周年記念イベントで特別ラベルとして振る舞われたのです。しかも、ボトルごとに異なる美しいラベル。それはアレッサンドロのアイデアでした。オリビエロの父のワインは、日本の限られた特別なレストランで味わうことができます。三世代にわたる友情は、ワインのように醸成され、装いの中に静かに織り込まれています。

 

 

 

クルーズを彩る、MSCクルーズのガラ・ナイトという“装いの祝祭”

 

 MSCはカーゴ(海運)で世界的に知られ、そのクルーズ部門で彼は日本·韓国の開発を担っています。来年でオリビエロは在籍20年になるとも語りました。船の上での装いの話になったとき、彼の言葉は少し弾みました。MSCクルーズにはGala Night(ガラ・ナイト)があります。豪華客船の旅は年々人気が増すばかり。中にはフォーマルナイトと呼ぶクルーズ会社もありますが、MSCでは「フォーマル」ではなく、「ガラ・ナイト」と呼びます。そこで人はドレスアップし、空気が華やかなものに変わります。料理も特別になり、ロブスターやフィレ、ワインも出る。船全体が“祝祭のスイッチ”を入れる夜です。

 

「MSCクルーズでは、個人的にイタリアと日本のガラ・ナイトが楽しいと思っています」

 

 そう茶目っけたっぷりに言う彼の表情に、装いが人の気分を変え、場を変える瞬間の確信がありました。

 

 

Sartoria Solitoのネイビー、そしてスプレッツァトゥーラ

体に馴染んだネイビースーツは、ナポリの名門サルトリア〈Solito〉による一着。ナポリの男にとって欠かせないこの色を、オリヴィエロは自然体で纏う。その佇まいを見れば、ナポリ生まれの袖付け「マニカカミーチャ」が生むスプレッツァトゥーラの本質が理解できる。

 

 

 

日本で変わったのは、“装いのディテール”への感度

 

「日本に来てから、装いが変わった?」と聞くと、彼は即答しました。

 

「もちろんです」

 

 以前は時計だけで、アクセサリーを付けなかったそうです。けれど日本に来て、ディテールがいかに重要かを理解したそう。リングやブレスレットが好きで、クラシックなスーツに、現代的で“情熱的”な要素をミックスするようになったのだとか。

 

 ただし、オリビエロはこの楽しみを、誰に会うかで調整しています。市長や知事、仕事柄行政側の人に会うことも多くは、こうした式典ではアクセサリーをポケットにしまい、最小限だけ残すようにしています。その理由には、握手を大切にしているからでもあります。装いは、自己主張ではなく、状況理解。彼はその線引きを、極めて冷静に、若い頃から行なっていました。

 

 

 

靴を切る━━“日本で靴を脱ぐ文化”への、彼の答え

 

 最後に、彼が見せてくれたのは靴でした。日本では、どこへ行っても靴を脱ぎます。紐をほどいて結び直すのが面倒、だからといって大きいサイズを履くのはナポリ人としての服飾意識が許さない。「大きい靴は醜い」と、彼ははっきり言います。だから彼は、英国の名門靴チャーチであっても、修理屋で靴の踵やサイドを切り、脱ぎ履きしやすくしています。サイズは変えずに、生活に合わせて“構造を変える”。これは、彼が言うところの「bespoke(ビスポーク)」の感覚そのものです。服だけでなく、靴の扱い方まで、自分仕様に最適化する。その徹底ぶりが、彼を彼たらしめています。

 

 

高級靴にも、あえて手を入れるという選択

名門の一足であっても、そのまま履くとは限らない。日本で靴を脱ぐ文化に合わせ、さりげなく切り込みを入れてカスタマイズする。形は守り、機能を変える。それが彼にとっての“ビスポーク”なのです。

 

 

 

Good Clothing Can Change Life

 

 オリビエロ・モレリ氏の装いには、ナポリの港町の歴史、家族の通過儀礼、祖父のネクタイ、父の教え、そして三世代の友情が織り込まれていました。さらに日本で磨かれたのは、ディテールへの感度と、相手や場に合わせて“敬意を設計する”技術です。

 

 良い服は人生を変える。それは、あなたを偉く見せるためではありません。あなたが今どこに立ち、誰と向き合い、どんな距離で話すべきか━━その判断を、装いが静かに助けてくれるということです。ナポリの海が育てた“装いの教養”は、今日も彼のスーツの内側で、呼吸を続けています。

 

Photography: レスリー・キー

 

 

 

Author: 北川美雪(きたがわ みゆき)

東京・銀座のテーラー「VESTA by John Ford」のゼネラルマネージャー。英語、イタリア語、フランス語に堪能、メンズファッションのエキスパートとして25年のキャリアを持つ。確かな素材選びとセンスの良い仕立てに定評があり、国内外のトップ経営者、政治家、各国の要人・大使らが顧客として名を連ねる。歴代の駐日イタリア大使にも絶賛された。ファッションに関する深い造詣を持ち、多くの雑誌などで記事を執筆している。好きな食べ物は「てっさ」である。https://johnford.co.jp/