不完全なる魅力

Wednesday, January 26th, 2022

text shige oshiro

 

 

 

ピアノの傍でポーズを決めるウラディミール・ホロヴィッツ。イギリスにて(1933年)。© Aflo

 

 

 

 ウラディミール・ホロヴィッツが奏でるピアノ・ソナタ第8番ハ短調 作品13「悲愴」を聴きながら、ふと“完全であること自体が、不完全なのだ”という彼の言葉を思い出した。そして、彼と同時代を生きた、作家スコット・フィッツジェラルドの未完の小説(遺作)『ラスト・タイクーン』を無性にもう一度読み返したくなった。

 

 彼の代表作といえば20世紀のアメリカを代表する傑作と称される『グレート・ギャッツビー』があまりにも有名だが、『ラスト・タイクーン』を彼の生涯と重ねて(自分なりの解釈と想像によるものであるのだが) 読み進めていくと、彼自身が終焉を予見していたのか否かは定かではないが、もう一度、傑作を書くのだという強い意志と情熱、ひたむきさ、そして弱ささえも感じられるのだ。多くの評論家たちが、同作を絶賛するのも頷ける。これも未完故なのだろうか、完成されたものにはない“不安定さ”が、より一層緊張感をもたらし、読み手の想像力を掻き立たせてくれるのかもしれない。

 

 未完といえば、文学以外にも数多く思い浮かぶが、僅か35歳でこの世を去ったモーツァルトの『レクイエム』も、その欠けた部分を弟子のジュスマイヤーが補筆して、楽譜を完成させた傑作であり、他の作品にはみられない、壮大で、ミステリアス、そして緊張感に満ち溢れている楽曲である。

 

 また21世紀の未完の大傑作といえば、1882年の着工から約140年、天才建築家アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアだろう。先日、ついに聖母マリアの塔が完成した。彼が描いた世界が完成という現実に徐々に近づき、嬉しい反面、心のどこかで今暫く、未完の大傑作を、未完であるからこその生命力と想像力を存分に楽しみたいとさえも思ってしまうのである。

 

 そんなことをぼんやり考えていた時に、自宅のワードローブに吊るしてある先日届いたばかりのオーダースーツがふと目に入った。縫製の多少の乱れがどこか人間味に溢れ、機械的に完璧に仕上げられたものにはない温かみがあった。一種の“不完全さ”が、魅力や美しさを加えるのではないかと、改めて感じたのである。

 

 今夜は、いつにも増して三日月が綺麗である。人間(人生)もどこかちょっと欠けていたほうが魅力的なのかもしれない。

 

 

 

 

Letter from the President とは?

ザ・レイク・ジャパン代表取締役の大城が出合ってきたもののなかで、特に彼自身の心を大きく動かしたコト・モノを紹介する。