インドのマハラジャ ーその知られざるライフスタイルー
in the land of KINGS

NAWAB OF RAMPUR
めくるめくマハラジャの世界

April 2015

首都ニューデリーの南。閑静な高級住宅街の一角にそこはあった。
カシム・アリ・カーン氏の所有する、数ある邸宅うちのひとつだ。
この日は、特別な儀礼の際のみ身に纏うという伝統衣装で出迎えてくれた。
photography takashi kobayashi
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由緒ある古城を図書館としてデリーから200km離れたラームプルのこの古城は、1774年に建てられたもの。館内には1902年のオーストリア製の巨大なシャンデリアやイタリア彫刻が数多くあり、当時の設計を維持している。インド独立後には政府のものとなり、現在は「ラームプル・ラザ・ライブラリー」として活用。この国の王族が、多くの作家や詩人、アーティストたちを育成し、支援してきたスピリッツを受け継いだ図書館である。そのため代々のマハラジャたちの資料展示も充実している。60000冊を超える蔵書の中には、貴重な他言語の書物も含まれ、多くの学生たちが国内外から集まって来る。

人々から崇められる敏腕政治家 デリーから車で3時間ほどのラームプルという街のマハラジャであるアリ・カーン氏。まずはデリーの邸宅で話を伺った。

「普段は、デリーとラームプルを2週間くらいずつ往復しています。ラームプルには宮殿が4つあります。今は政府のものですが、図書館になっている城がありますので、後日ご案内します」

 そう言って室内を丁寧に案内してくれた。とても紳士的で誠実な印象だ。普段はどんなことをしているのだろうか。

「ウッタル・プラデーシュ州の立法議会のメンバーとして政治に携わっています。1947年の独立後、王族の多くは政府関係者になりました。私の家も代々政治家。父は中央政府に携わりましたし、私も何度か大臣を経験しています」

 インドで5番目の面積を誇るウッタル・プラデーシュ州。人口はインド最大、約2億人がひしめきあっている。この州のために、勢力的に活動している。

「海外にも行きます。ビジネスもありますが、多くはこの土地の人々のため。最近は日本に農業技術を学びに行きました」

 インドの農業はまだ発展途上。だから海外で技術を学び、地元での収穫を増やし、輸出する。自身のビジネスではなく、地元の産業のために行っていることだ。

「人々の雇用を第一に考えているのです。どうしたら人々の生活レベルが上がり、安定するのか。それはマハラジャとしての私の責任です。今後は、廃業になってしまった工場を復活させたい。刺繍業などの手作業で雇用を増したいのです」

 自身が政治に関わることで人々の声を直接すくいあげることができる。確かに、地元から慕われ、信頼されているのだ。マハラジャは、単なる「お金持ち」ではなさそうだ。

What’s a Maharaja? マハラジャとは

 19世紀末、イギリス統治時代のインドには560あまりの藩王国が存在していた。イギリスはこの植民地を管理するにあたり、「マハラジャ」にそれぞれの国を治めさせた。「マハ」=偉大な、「ラジャ」=王、という意味が示す通り、彼らは広大な領土と圧倒的な権力、莫大な資産を所有し栄華を極めた。そして誰もが憧れるような、絵に描いたような生活を送っていたのだ。

 その後インドは、1947年にイギリスから独立。さらに71年の憲法改正により称号が廃止となったため、事実上、マハラジャはインドに一人もいないことになった。マハラジャたちの所有する領土や宮殿、所有物のほとんどは、中央政府に奪われた。そのため、中には没落していった王族もいるという。

 しかし今もマハラジャとその子孫たちは確かにインドに存在する。王侯の地位がなくなってもなお、その力は絶大だ。彼らの多くは、政治に携わったり、メンテナンスの目的を兼ねて、古くなった宮殿をホテルや博物館としてオープンするなどしている。彼らのライフスタイルとはいったいどんなものだろうか。6人のマハラジャのライフスタイルを探りに、インドへ向かった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 02