GOLD MAN SACHS

最後のプレイボーイ:ギュンター・ザックス

November 2022

スポーツマン、ダンディ、アーティスト、フィルムメーカー、女たらし……。ギュンター・ザックスは“ゴールデン・ジェネレーション”を代表するプレイボーイだ。
莫大な遺産を相続し、自分の興味や情熱を自由に追求することができた。
これは人生そのものがレジャーだった、うらやましい男の物語である。
text james medd

Gunter Sachs / ギュンター・ザックス1932年生まれ、2011年没。ドイツの写真家、作家、実業家。オペル創業家とドイツ有数の部品メーカーの子孫として生まれ、膨大な財産を受け継ぐ。若い頃はスポーツマンとして活躍し、その後、写真家、ドキュメンタリー映画の制作者となる。ブリジット・バルドーの3番目の夫として国際的に名を馳せた。後にアートコレクターとなり、占星術研究所の代表なども務めた。最後はスイスの避暑地、グシュタードにて自殺した。

 “プレイボーイ”という言葉は、もう1世紀近くも使われ、濫用されてきた。しかし、本来はごく限られた人たち、つまり20世紀初中期のゴールデン・ジェネレーションにしか当てはまらない。ある者は王子であり、ある者は大統領であり、またある者は映画スターであった。その中で、ドイツ人実業家はひとりしかいなかったが、ギュンター・ザックスは、彼らを代表する存在といっていいだろう。

「プレイボーイだって? 僕が?」

 かつてザックスは記者に聞き返したことがある。

「僕は自分自身を“ジェントルマン”と呼びたいね」

 確かに彼は、1日たりとも金のために働いたことがないという意味でジェントルマンだった。母方の曽祖父がアダム・オペル(オペルの創業者)、父親がウィリー・ザックス(ドイツ有数の部品メーカーの経営者)という富豪一族の出身で、莫大な遺産を相続し、働く必要がなかったのだ。彼は偉大なアマチュアだった。スポーツマン、アーティスト、フィルムメーカー、鑑定家、学者で、それぞれの分野に真剣に取り組み、精力的に活動していた。そして間違いなく最後のプレイボーイであった。

 サン・トロペ、サン・モリッツ、ロンドン、パリ、パーム・スプリングスを行き来し、この時代最高のセックスシンボルであるブリジット・バルドーと結婚した。そして彼に憧れる人たちが今でも採用している、ラフでありながら洗練されたカジュアル・スタイルを確立した。彼はファッションとライフスタイルの手本となり、さらには戦後ドイツ復興のシンボルともなった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 47
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