GOLD MAN SACHS
最後のプレイボーイ:ギュンター・ザックス
November 2022
女優ブリジット・バルドーとギュンター・ザックスが、1966年7月16日、2週間の予定でタヒチのパペーテへ出発するところ。ロサンゼルス国際空港にて。
バルドーとの運命の出会い 彼のエネルギーは、もちろん女性そのものにも注がれた。60年代初頭、彼はイラン国王の元妻ソラヤー・エスファンディアリーと付き合った。その後、女優ブリット・エクランド、海運王オナシスの元妻ティナ・オナシス、富豪にして水上スキーヤーだったマリーナ・ドリアなどと浮名を流した。しかし、極めつきはバルドーである。
1966年5月、サン・トロペの郊外にあるガッサン村のバーでふたりは初めて会った。ザックスは「彼女を見た瞬間、結婚しようと思った」と語り、バルドーは「催眠術にかけられた」と回想している。ふたりはロールス・ロイスの趣味で意気投合したという。しかし、最初のプロポーズは断られている。そこで彼はヘリコプターで彼女の家の上を飛び、大量の赤いバラを空から振らせたのだ。これにはバルドーも「1トンものバラを裏庭に振らせることができる男はめったにいない」と認めざるを得なかった。
結婚式は2カ月後にラスベガスで行われたが、たった8分間で終わった。新婚旅行先はタヒチだった。パパラッチを避けるため、テッド・ケネディのプライベート“リアジェット”を使った。
数週間のうちに、彼らはそれぞれもとの生活に戻っていた。「3カ月も一緒にいなかったと思う」とバルドーは思い出す。ふたりは別々にパリに住み、別の相手と浮気を繰り返した。有名なのはバルドーと歌手のセルジュ・ゲンズブールの交際だろう。彼らはセクシーな喘ぎ声が入ったヒット曲、『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1969年)をレコーディングした。ザックスは曲のリリースにストップをかけたが、結局ザックスとバルドーは1969年に離婚している。
しかし「バルドーとの1年は、他の女との10年の価値がある」というのが彼の評で、離婚後もふたりは良好な関係を保った。