GOLD MAN SACHS
最後のプレイボーイ:ギュンター・ザックス
November 2022
スペインの有名リゾート、マルベーリャクラブのシャンパーニュルームにて。
彼はナイトクラブのソファーでくつろぎ、1日中寝そべっているような輩ではなかった。ザックスは行動派であった。ボブスレーに熱中し、1959年にはジュニア・ヨーロッパ・チャンピオンになった。サン・モリッツで多くの冬を過ごし、会員制のドラキュラ・クラブを結成し、1969年から亡くなるまでサン・モリッツ・ボブスレー・クラブの会長を務めた。
サン・モリッツ・セレリナ・オリンピック・ボブスレー・コースのターン13は、彼の名前にちなみ“ギュンター・ザックス・コーナー”と名づけられた。また、伝説的なスケルトンコース、クレスタ・ランの副会長でもあった。彼は、サン・モリッツの知名度を上げることに貢献した。そのため夜、凍った湖の上でカーレースをすることが警察に許可されたほどだ。
彼は飛行機、レーシングカー、オートバイ、豪華クルーザー“ジ・アマゾン”号、スピードボートのリーヴァ・スーパー・アリストン“ドラキュラⅢ”を所有していた。芸術への取り組みもダイナミックだった。写真撮影を始めた頃、水から上がってくるカバを撮影するよう依頼された。
「それには何日もかかった。それ以来、僕は女性を撮影することにしたんだ」
女性のポートレイトを撮る際は、被写体に絵の具をかけたり、風になびくケープや飛び散る水滴の動きを止めたりして、ヴィヴィッドな作品として仕上げた。1973年にフランス版『ヴォーグ』に掲載されたファッション撮影のほか、シュールレアリスム的なヌードや風景写真も手がけた。