Exclusive Interview: LEYENDA VIVIENTE
生ける伝説、俳優アントニオ・バンデラス
May 2025
photography david ruano
fashion direction grace gilfeather
creative direction brandon hinton

Antonio Banderas/アントニオ・バンデラス1960年、スペイン・マラガ生まれ。ペドロ・アルモドバル監督の『セクシリア』(1982年)で映画デビュー。スペイン映画界で頭角を現した後、ハリウッドに進出。『フィラデルフィア』(1993年)で注目を集め、『デスペラード』(1995年)でトップスターの仲間入りを果たす。以降、『エビータ』(1996年)、『マスク・オブ・ゾロ』(1998年)などに出演。『ペイン・アンド・グローリー』(2019年)でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。その演技力には定評がある。
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バーでグラスを傾ける客が、それまでの人生に思いを巡らせ、感慨にふけるときがある。アントニオ・バンデラスも、この撮影の合間の休憩中にそのような瞬間に打たれていた。スペイン南部、マラガにあるソーホー・カイシャバンク劇場で、彼は照明装置を見上げながらゆっくりと歩き、誰かに聞かれているとも知らずに長いため息をついて、こうつぶやいた。
「64(歳)か……くそっ!」
撮影でバンデラスが着た白いシャツが、『デスペラード』(1995年)で着ていたものと似ていることをスタッフが指摘すると、彼が圧倒的な色気を放ったあの作品からもう30年もの年月が流れたことに気づき、そこにいた全員が驚愕した。本当にそんなに時間が経ったのか?
バンデラスはすごいスピードで俳優というキャリアを走り抜けたように見えるが、彼は2017年のある日を境に、意識的にペースを落とすようになった。その日、バンデラスは運動中に胸の痛みを訴えて病院へ緊急搬送され、心臓の冠動脈に3つのステントを埋め込む手術を受けたのだ。この恐ろしい体験から、彼は人生で最も大切なことに気づくことになる。そしてその出来事がなかったら、彼の生まれ故郷にあるこの劇場でインタビューすることにはならなかっただろう。
撮影が終わると、バンデラスは劇場の3列目の席に座り、こう話し始めた。
「心臓発作のおかげで、自分の中でさほど重要でなかったものは完全に消え、本当に大事なものだけが残った。それで、マラガに帰って劇場を買おうと思った。やりたいことを、やりたいように、やりたい人とやる。そこに幸せや成功があると気づいたんだ。たくさんの人が『マラガのために多くのことをしてくれた』と言ってくれるよ。確かにマラガのためになるのなら素晴らしいと思う。でもね」
彼は言葉を区切り、拳で胸を叩いた。
「これは、自分のためにやってるんだ」

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デニムシャツ Budd Shirtmakers
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彼と話していると、彼の名を世に知らしめた輝かしいキャリアは、真の天職から外れた脇道だったように思えてくる。
「映画が大好きだし、これだけのことをやれるのも映画のおかげだと思ってる。でも映画において俳優は、製作全体の中の中間物に過ぎない。全力を尽くすけど、スーパーに並ぶ食材のようなものだよ。そこへ監督がやってきて一番ふさわしいと思う俳優を選び、編集室に持ち込んで料理をするんだ。演じていたときには聞こえなかった音楽を挿入したり、流れを速めるためにセリフを削ったり、逆に時間を引き伸ばしたりする。でも劇場では、俳優は製作過程の最後に位置している。観客と一体になって、どんな舞台にするか一緒に決めていくんだよ」
健康危機後のバンデラスがとりわけ情熱を注ぐのが、ミュージカル劇である。
「僕を俳優たらしめたのはミュージカル。音楽マニアだからね。音楽を愛している。日々の食べ物と同じくらい必要なものだよ。最新のヒットソングから、モーツァルト、プログレッシブ・ロックまで、ジャンルはかなり広い。一番好きなのはジャズ。でも、劇場で流れる音楽には若い頃から興味を持っていたよ」
230万ユーロをかけて修復したマラガの劇場を、バンデラスは「僕のハーレー、僕のプライベート機、僕のボート」と呼ぶ。ここで彼が初めて演出した作品は、ブロードウェイ・ミュージカル『コーラスライン』のスペイン語版だ。その次は、1970年初演のミュージカルでトニー賞を受賞した『カンパニー』。さらに、新約聖書マタイ伝を題材にした『ゴッドスペル』が続いた。そして4作目が、実在したストリッパー、ジプシー・ローズ・リーの1957年の回顧録から作られたミュージカル『ジプシー』だ。『ゴッドスペル』のカウンターカルチャー的要素と『ジプシー』の官能的要素は、バンデラスの経歴と母国スペインの歴史がいかに彼を形作ったかに通ずる。

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バンデラスはフランシスコ・フランコ将軍による独裁政権下に生まれ育った。バンデラスが15歳のとき、この政権はフランコの死によって終焉を迎えた。
「当時のスペインの政権は、芸術の自由にそれほど寛容じゃなかった。やがて国が独裁体制から民主主義へと移り変わる時期に、大人へと成長したんだ。フランコ政権下のスペインを覚えてるよ。麻酔をかけられた状態で生きているようだった。道を歩いているだけで酷い目に遭うことはないけど、何とも不気味だった。朝4時に襲われる人は誰もいないし、犯罪とかそういうことは一切ない。でも、その代償はものすごく強い抑圧だった」
そんな幼少の経験から、今の社会に存在する民主主義への脅威に対して敏感になった。
「たまに、僕たちはポスト民主主義の世界に生きているんじゃないかと思うことがある。こういうものがあるおかげで」
そう言うと、肘かけの上にあった私のスマートフォンを顎で指した。
「民主主義は今までとは違うものになってしまった。僕たちはもう、このデバイスにすっかり影響されてしまっている。これは人を操る装置。真実ではないメッセージを社会にばら撒くこともできる。今、民主主義がどこにあるのかさえまったくわからなくなってしまった」
デジタル革命によって大量のデマがき交うようになった現代社会の現状に、演劇は太刀打ちできない。しかしバンデラスに言わせると、フランコ政権が終わったとき、演劇は抑圧から人々を解放させるという役割を果たしたという。
「1976年にアメリカの劇団がスペインにやってきて、ミュージカルの『ヘアー』を上演したんだ。フランコが死んだ翌年。度肝を抜かれたよ。観客との距離感がまるで違う。僕の人生は一変した」

『ジプシー』について、彼はこう話す。
「ミュージカルの中のミュージカル。力強くて、深みがある。人間について、そして成功や栄光とどうつき合うのかについて、考えさせられる物語だよ。アメリカ社会には、成功しなきゃと人に思わせる特殊な一面があるけれど、そうした成功にまつわる弊害について考えさせる」
『ジプシー』は、舞台美術にも音楽にもこだわり、出費を惜しまなかった。
「可能な限り純粋なやり方にしたい。予め録音した音は使わないよ。すべてがライブ。どんなにテクノロジーが発展しても、舞台に立つ人間が目の前にいる観客に向かって物語を伝えることは約3000年も続いてきたコミュニケーションで、これからもずっと変わらない。ある意味、僕は俳優として最も純粋なコミュニケーションの形に立ち返っている。それがこの舞台という魔法のような空間なんだ」
ふたつのタイムライン ネット界隈でまことしやかに語られている説がある。90年代にマドンナがバンデラスに好意を抱いていたことはよく知られているが、その彼女がバンデラスをハリウッドに紹介したというのだ。しかしバンデラスは、マドンナとの出会いが人生を変えた経験だとは思っていない。
「ペドロ・アルモドバル監督の関係者たちとスペインで夕食をとったときに、彼女と会ったことは確か。でもそのとき僕はもうハリウッドデビューしていた。マドンナと特別な関係になったことは一切ないよ。僕のエージェントは賢かった。『もうアメリカでキャリアを築いているんだから、彼女に深入りしないように。メシに誘われたら行ってもいい。でも、それ以上は関わるな。じゃないと、これから何が起こっても“彼女のおかげだ”と皆から言われるようになるぞ』ってね。確かにマドンナとは『エビータ』の共演で友人になった。でもそれだけ。それ以上のことはないよ。最後に会ったのはもう10年くらい前じゃないかな」
GROOMING: ALMUDENA AT TEN AGENCY
FASHION ASSISTANT: BETH LEWIS
本記事は2025年5月26日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 64