草分け度ナンバー1、伝説的なプレスの一人
阿部浩さん
Friday, May 10th, 2019
阿部浩さん
レガーレ代表取締役 マーチャンダイザー/プランニングディレクター
text kentaro matsuo photography natsuko okada
元祖“アタッシュ・ド・プレス”、阿部浩さんのご登場です。
四半世紀前に初めて、アタッシュ・ド・プレスと聞いた時には、いったいどんな意味なのだろうと思いました。『アタッシェ・ケースの親戚かなぁ』くらいの感じですかね(笑)。
これは、フランス語で“プレスと繋ぐもの”といった意味で、PRの代行業なのですが、私の知る限り、メンズ・ファッション業界で、この言葉を使ったのは、阿部さんが始めてだったと思います。今ではファッションの世界では、当たり前の言葉になりました。
阿部さんは、この世界に何人かいる伝説的なプレスの一人です。その“草分け度”において、かつて当ブログにもご登場頂いた、シップスの故・中澤芳之さんと双璧でしょう。あと、当時有名だったプレスは、ビームスのKさん、ユナイテッド アローズのYさんあたりでしょうか? 当時、1990年代はセレクトショップの成長期で、セレクトとその周りにいる人たちにとっては、何もかもが右肩上がりでした。
そんな“セレクト文化”を牽引していた雑誌といえば、何といっても、私の古巣でもある世界文化社の『Begin』(ビギン)です。それまでデザイナーズもしくはトラディショナル一辺倒だったファッション誌の世界に、“モノ・カルチャー”の概念を持ち込んだ本です。
「当時はエディフィスの渋谷店にいたのですが、ずっと売り上げがゼロだったのです。全く客が来ない(笑)。『どうしたら、いいのだろう』と悩んでいたら、代理店の人が『この人に会いなさい』とBeginのO編集長を紹介してくれました。それから毎晩のように飲みに行くようになりました」
そのOさんは、私の元上司でもあります。厳しい人でしたが、仕事はピカイチで、彼が阿部さんの扱っている商品を雑誌に載せ始めました。そしてそれらがどんどん売れ始めたそうです。雑誌とショップが、公私ともに一心同体だった時代です。
私が「Oさんと飲んでいて、死にかけたことがあります」といったら、「ああ、そうそう。私も死にかけた」と膝を打っていました(詳しいことは書けませんが)。兎にも角にも、昔の“業界”は激しかったのですね・・。
そのお陰もあって、売り上げはあれあれよという間にうなぎ上りで、エディフィスは、“四大セレクトショップ”の一角となったのです。
スーツは“タイ・ユア・タイ フローレンス”のオリジナル。作っているのはアレッサンドロ・グエッラだそうです。フィレンツェのタイ・ユア・タイについては、ご存知の方も多いと思いますが、フランコ・ミヌッチという、多分イタリアで一時期、間違いなく一番お洒落だった人がやっていた、伝説のセレクトショップです。
「初めて(一見として)タイ・ユア・タイに行ったとき、いきなりネクタイを『外せ!』と言われたのです。そして『これをしろ!』と1本のタイを渡されました。その場で締めて、お金を払って出てきたのですが、気がついたら、自分のしていたタイは、店に忘れていた(笑)」
タイはアット・ヴァンヌッチ/セブン・フォールド社。前出ミヌッチ氏が経営していたタイ・ファクトリーです。世界中の洒落者が夢中になっているタイ・メーカーで、ウチの天才バカボン・ファッション・ディレクター、フジタもここのタイばかりしめています。
「毎シーズン、150種類もの異なった構造・柄のタイをリリースしているのは、世界中でもここだけでしょう」
シャツは、ボローニャのマロル。これまた、最注目のシャツ・メーカーです。
「1センチに13針ものステッチが入っています。実際に工房に行って、その縫製を見ましたが、カタカタと一生懸命縫っているのに、全然進まないのですよ(笑)。いかに縫い目が細かいかということです」
ブレスは、30年前に渋谷で入手した、トゥアレグ・シルバー。
「当時、渋谷の一部で流行ってて、これは確か先輩からもらったものです。今見ると、シルバーの質がよくて、またいいな、と」
クラッチはフィレンツェの深谷秀隆さん率いる、イル・ミーチョ。新作の編み込みです。
シューズはエドワード・グリーン。
「ずっと808ラストばかり履いています。イギリスの靴はトゥがぽっこりしているものが多いのですが、808はちょっとスクエアでモダンに見える。そんなところが気に入っています」
なるほど、どことなくスクエアな感じがする阿部さんに、808はぴったりな気がします。
さて1967年生まれの阿部さんには、驚くべき趣味(というか年中行事)があります。
それは“修行”です。
「年に一度、8月に、奈良の山へ1泊2日で修行へ行きます。役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修験道の本場で、いまだに女人禁制の山があるのです。行者宿と呼ばれる旅荘へ泊まり、白装束で凍えるほど冷たい湧き水池へ入ったのち、朝1時に起きて、山頂を目指します。真っ暗闇の中、岩肌を登ったり、“西の岩覗き”と言われる断崖絶壁から身一つで下を覗くといった荒業をするのです。“もう死ぬかもしれない”といつも思います。実際に亡くなったり大怪我をする人もいます。そういった“非日常”を味わうことによって“生”を実感するのです。ファッション業界の人も多く来ていますよ」
そうさらりと言ってのける阿部さんに、仰天した次第です。
しかし、考えてみると、ファッションという煩悩渦巻く世界にいるからこそ、こういった“リセット”が必要なのかもしれません。私も四半世紀以上ファッションをやってきて、いつか一切の厄を落としたいと思っています。今度連れて行ってもらおうかな・・と本気で考えている、今日この頃です。
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