THE ULTIMATE NATIONAL TREASURE?
英国の宝、アン王女とは?
April 2023
英国の有名人といえば、芸能人かスポーツ選手のどちらかであることが多い。しかし、この国で最も称えられるべき著名人はアン王女である。彼女は芸能とスポーツの両方を兼ね備えている。しかも、王族であるというボーナスポイントまでついているのだ。
by scott harper
1971年、公式婚約発表におけるアン王女。
かつてマハトマ・ガンジーは、「女性を“弱い”とすることは中傷であり、女性蔑視である」と言った。確かに、女性は決して弱い存在ではない。例えば、痛みに耐える力と寿命の点において明らかに男性より強い。
歴史を紐解けば、ゼノピア、クレオパトラ、ラクシュミー・バーイ―、テオドーラ、ジャンヌ・ダルク、西太后など、男顔負けの強靭さを持つ女性たちがいる。ポピュラー音楽の世界でいえば、デボラ・ハリー、パティ・スミス、スージー・スー、クリッシー・ハインドらが挙げられる。彼女たちがいなければ、現在の音楽シーンは大きく違ったものになっていただろう。ハリウッドにおいては、精神を極度に病みながらも映画『お熱いのがお好き』(1959年)で名演技を見せたマリリン・モンローがいる。
さらに挙げるなら、エリザベス2世とエディンバラ公フィリップ夫妻の第2子(第1王女)であるプリンセス・ロイヤル・アンだろう。1974年に起きた誘拐未遂事件における彼女の対応は、素晴らしく勇気溢れるものだった。
アン王女は、当時の夫マーク・フィリップス大尉とチャリティイベントを終えてロールス・ロイスで帰宅していた。すると、イアン・ボールという名の男が彼女のクルマを止め、発砲したのだ。犯人と護衛の警察官の間で銃撃戦が繰り広げられ、後部座席の窓ガラスは粉々になった。
運転手や新聞記者は被弾し、ボールはアン王女に近づいて「200万ポンドの身代金を要求する。今すぐクルマを降りろ」と叫んだ。しかし彼女は「ありえないわ!」と言い放ち、必死にドアを押さえて襲撃犯を車内に入れなかったのである。ボールはその後、駆けつけた警官によって逮捕された。
幸いなことに、銃撃を受けた全員が命を取り留めた。彼女はあるインタビューで若干のユーモアを交えて、こう語っている。
「犯人と私は押し問答になりました。乱暴な態度をとるとどうなるかわからなかったので、その時点では細心の注意を払ってあくまで礼儀正しく、冷静に応対しました。『どこにも行くつもりはないし、あなたがどこかに行ってくれるならすべてを忘れましょう』と」
しかし犯人はアン王女を強引に引きずり出そうとした。彼女はクルマの床に仰向けになった状態でドアハンドルにしがみついて抵抗した。
「ドレスの背中を裂かれてしまって、肩が全部出てしまいました。警察が現場に到着したとき、私は犯人に言いました。『行くのよ。今がチャンス』と。すると彼は公園に向かって走り出したのですが、警官たちに取り押さえられました。まるでラグビーチームにもみくちゃにされるみたいに」
1987年から在位のアン王女は今年73歳になる。デイリー・テレグラフ紙の王室担当記者カミラ・トミニーは、2020年の記事の中で、彼女の存在を“苦悩する王室の輝ける光”とし、次のように書いている。
「かつて、アン王女は高慢で堅苦しいと思われていたが、今では偉大でエキセントリックな英国人として賞賛されている」
「世界的なパンデミックに見舞われながら、ハリ―王子とメーガン妃の王室脱退や、怪死した実業家ジェフリー・エプスタインとアンドルー王子の関係に頭を悩ませている王室にとって、アン王女の古風なアプローチはかつてないほど求められている。彼女は自らを“退屈なお調子者の年寄り”と評しつつ、若い王族に作法を教え込んでいる。常に義務を第一に考えてきたアン王女は、ようやく相応の評価を受けるようになった」
彼女の功績は、寛容さとユーモアのレベルにとどまらない。コート・サーキュラー(王室公務記録)のデータによると、2022年の彼女は王室の中で最も働き者で、214件の公務を行っている(2021年は387件で、チャールズ皇太子より2件多かった)。
アン王女は、1970年以来、セーブ・ザ・チルドレンU.K.の総裁を務めるだけでなく、300以上の慈善団体や軍連隊と関わりを持っている。パンデミックの後もすぐに公務に戻り、2021年11月にセント・ジェームズ宮殿でチャリティ・フォーラムを主催した。
英国ファッション&テキスタイル協会の会長でもある彼女は、サヴィル・ロウの雄、ヘンリー・プールのマネージング・ディレクター、サイモン・カンディとも付き合いがある。THE RAKEコミュニティとも無縁ではないのだ。カンディがアン王女と初めて会ったのは、彼がジュニアカッターだった1996年のことだ。カンディは次のように回想する。
「私はオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブにマスターズで有名なグリーンジャケットを作りにいくところでした。一方、アン王女はアトランタ・オリンピックに向かおうとしていました。お互い英国のために大西洋を渡ることを誇りに思っていました」
アン王女のヘンリー・プールへの訪問は、その後数年にわたり何度か行われた。2019年には、ヘンリー・プールがクーツ(王室御用達のプライベートバンク)とビジネスを営んでから200周年を記念するイベントに、主賓として参加している。カンディはこう語る。
「いつも驚かされるのは、何十年も前に会った人を覚えている彼女の能力です。ヘンリー・プールでかつて見習いをしていた者がシニアコートメーカーやシニアカッターになっていると、彼女はすぐに気付きます。普通、王族が来ると、上級管理職やマネージング・ディレクターは紹介を受けますが、彼女はもっと若いスタッフにも丁寧に対応します。そして何年か後に戻ってくると、ずっと前にその者に会ったことを覚えているのです。彼女が持つ気品と、人に対して心から興味を示し学ぶ姿勢には心から頭が下がります。彼女の会話にエリート意識はありません。どのような技術が使われているのか、スタッフがなぜこの業界に入ったのか、何が楽しいのか、何が大変なのか、何に熱中しているのか、会社でどんな役割を果たしているのか。そういったことを知りたがるのです」
アン王女について忘れてはならないのが、馬術競技の成績だ。彼女の父であるフィリップ王配は、彼女が若い頃にこんな冗談を言っていた。「彼女は、おならをしたり、干し草を食べたりしないものには興味がないんだ」。
1976年のモントリオール・オリンピックには、英国代表として出場している。特に男女の選手が競い合うスリーデイ・イベント競技を好んでいた。晩年にはセーリングを趣味としている。
カミラ・トミニーは、ミニスカートを履いた最初の王族である彼女をこう書いている。「彼女は10代の頃、王室の反逆者と見なされていた。自分自身が王位継承権や称号を持っているにもかかわらず、子供たちには称号を与えないことを選んだ」。
アン王女には、ちょっと常人には理解できないところがある。規則を厳守すると同時に、時にルールブレイカーであり、矛盾に満ちた人間なのだ。王女をよく知る関係者はこう述べている。「笑ってジョークを言ったかと思うと、次の瞬間には規則に絶対的なこだわりを持つようになる」。おそらく彼女は淑女的な態度と獰猛な精神のどちらも併せ持っているのだろう。
冒頭のガンジーは次のようにも言っている。
「強さが肉体的な強さを意味するなら、確かに女性は男性より弱い。だが、強さが精神的な力を意味するなら、女性は男性より計り知れないほど優れている」
これが本当のことかどうかは、半世紀前の誘拐未遂事件で逮捕され、その後統合失調症と診断されて今もブロードムーア病院に入院している男性に尋ねてみるといいだろう。