THE MOST STYLISH FILMS THAT DEFINED MEN'S FASHION
映画に学ぶメンズファッション — スタイルはこうして生まれた
April 2024
本記事ではメンズファッションを根底から変えた映画を取り上げたい。ケーリー・グラントのアイコニックなテーラリングからアメリカン・サイコの殺人スーツまで、スタイルは多岐にわたる。
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translation shuntaro takai
最も優れた映画作品に最後の審判を下すオスカーの舞台。しかし、レッドカーペットが敷かれるずっと前から、アイコニックな映画に見られるスタイルを決定づけるのはオスカーの審査員ではないことを映画ファンなら誰もが知っている。むしろ、スクリーンの向こうからストリートまで、メンズウェアに革命をもたらしたのは衣装デザイナー、監督、そして独特な視点を持つサルトリア・トレンドセッターの方が多い。
ケーリー・グラントの粋な個人主義から、『レザボア・ドッグス』の犯罪者一味の残忍なミニマリズムに至るまで、映画は常に、男性的な振る舞いや服装におけるスタイルの移り変わりを表してきた。これらの映画を単なる映画としてではなく、男性の装いや自己との向き合い方を映したショーと捉えたい。
今年は『オッペンハイマー』や『哀れなるものたち』など多様な映画がオスカーを受賞したが、映画の時代背景を捉えただけでなく、その後数十年にわたる普遍的なスタイルの新たな定義を生み出したこれらの映画は、振り返る価値があるだろう。それはつまり「あの人のような服が着たい」と観客に言わせ、トレンドを作り出すような映画だ。マルチェロ・マストロヤンニのシンプルだが力強いスタイル、『アメリカン・サイコ』の資本主義を落とし込んだスタイル、これらを世に送り出したのはメンズファッションの殿堂入りに値する最もスタイリッシュな映画である。
『8 1⁄2』 (1963年)
映画監督の実存的危機を描いたフェデリコ・フェリーニの画期的な映画は、最もアイコニックなイメージを世界に送り出した。マルチェロ・マストロヤンニがシンプルだが完璧な黒のスーツに身を包んでいて、その姿は非の打ちどころがない。マストロヤンニが演じたグイド・アンセルミは、イタリアの共通認識である「清く正しく」の哲学を体現していた。
マストロヤンニは、舞台裏がどんなにあわただしくとも、エレガントなスーツとネクタイで演出することで知られていたフェリーニ自身を直接手本にした。彼のテーラード・ツーピース、黒いネクタイ、白いシャツは、地中海の美意識の手本であり続けたが、オーバーサイズの黒いフレームは、それ自体が芸術的なシンボルマークとなっていた。現代的でありながら、少し学者風でもあるこのアイウェアは、彼の洒落たドレスと同様に、マストロヤンニの人格と切り離せないものとなった。
『北北西に進路を取れ』(1959年)
1950年代後半、アメリカにおける男性の洗練されたイメージといえば、ケーリー・グラント演じる広告マン、ロジャー・ソーンヒルの右に出る者はない。ヒッチコックのスリラー映画のために、サヴィル・ロウのキルガー社の英国人テーラーが、6着のグレーのスーツを仕立てた。多用途に使えるベントレス・ジャケットの完璧にフィットしたカッティングは、着心地がよく、十全の構築的なシルエットを生み出している。
白いシャツにチャコールグレーのネクタイを合わせ、いたずらっぽい笑みを浮かべたグラントは、上流階級の道楽さと企業家としての自信を見事に融合させた。飛行機の攻撃や、ラシュモア山に刻まれた大統領の顔にしがみつく姿と同じくらい記憶に残るこのアンサンブルは、「それらしく見えること」を定義する私たちの潜在意識に刻み込まれている。
『アメリカン・ジゴロ』(1980年)
物議を醸したこの映画は、ビバリーヒルズの男娼の生活を覗き見するようなダークな内容だったが、ファッションファンの脳裏にはひとつの名前が永遠に焼きついた。ジョルジオ・アルマーニである。リチャード・ギアが演じた高給取りのジゴロ、ジュリアン・ケイは、リラックスしたラグジュアリーとさりげない洗練という、アルマーニのブランド哲学を世界に知らしめた。
ソフトショルダーでノンシャランなリネンのスーツから、ニットウェア、ゆったりとしたシルクのシャツ、リッチなローブまで、現代における高給取りのオンにも、快適にくつろぐオフにも着られる服装を再定義した。もちろん、夜の街でのギアの黒のアルマーニ・スーツは、一大ブームを巻き起こし、当時の都会に住まう若者の究極のステータス・シンボルとなった。アルマーニの、控えめかつエレガントという独特のスタイルは、メンズウェアの歴史に革命をもたらした。
『レザボア・ドッグス』(1992年)
クエンティン・タランティーノの監督デビュー作は、その小気味よいセリフ回しと容赦のない残虐な暴力で、クライム映画を確立した。この作品はまた、スクリーンの悪役の服装の概念を塗り替えた。コスチューム・デザイナーのベッツィ・ハイマンは、典型的なシャープなスーツを着たマフィアとは正反対のアプローチを意図的に取り、宝石泥棒一味にセールで買った安物の既製品のスーツ、シャツ、ネクタイを着せた。
しかし、だらしなく見えるどころか、シンプルな黒のジャケットとパンツに白いボタンダウン、そしてスキニーな黒のネクタイを用いて、危険な雰囲気を纏わせることに成功した。フェリーニのような巨匠のモノトーンのスタイリングを彷彿とさせながらも、現代のLAの犯罪者を思い起こさせるような象徴的なルックだ。モノトーンでミニマルなスタイルは、暴力性を表現するだけでなく、彼らがスタイリッシュであることもまた示している。
『アメリカン・サイコ』(2000年)
『アメリカン・サイコ』の衣装デザインは、1980年代のウォール街の過熱ぶりを煽る女性差別的な男たちを風刺する一方で、この時代のステータスやイメージへのグロテスクな執着も捉えている。パトリック・ベイトマンがドーシアにふさわしいデザイナーズ・スーツの一針一針にこだわる朝のルーティンから、洗練されたピンストライプとサスペンダーを使った立会場のシーンまで、この映画のサルトリアのディテールへのこだわりは生半可ではなかった。
各デザイナーブランドがステータス・シンボルとして特集されることで、この映画の主に白人男性のエリートたちが、ラグジュアリーな仕立てのテーラードウェアを纏っている反面、いかにステータスに身を包むようになったかを浮き彫りにした。ダークなコメディとして誇張されているとはいえ、この映画の衣装の解釈が現在のメンズウェアのトレンドに与えた影響は否定できない。
『リプリー』(1999年)
勤勉なトム・リプリーと浪費家のアイドル、ディッキー・グリーンリーフの人生を対比させることで、1950年代後半のアメリカの2つの異なるメンズファッションの美学を浮き彫りにしている。ジュード・ロウ演じるグリーンリーフは、海辺のイタリアで暮らすおだやかな遺産相続人として、ビスポークのポロシャツ、リネンシャツ、完璧な仕立てのショートパンツに身を包み、「裸足の紳士」スタイルを確立した。伝説的なニューヨークのテーラー、ジョン・チューダーが仕立てたこの服装は、遺産をあてにレジャーに興じる人物の、うらやましいほどの道楽さを映し出していた。
一方、マット・デイモン演じる反社会的なリプリーは、キャンパス内で幅を利かせている学生や上流階級のアイビーリーガーに影響を受けた、カーキ、薄手のニット、普遍的なネイビーのブレザーで、細部までこだわったプレッピールックを作り上げた。この二項対立は、ディッキーの怠惰な生活が続かないことを、リプリーのどうにもできない渇望と対比し、リプリーが理想的なライフスタイルを送ろうとする姿を露わにしている。
『ウォール街』(1987年)
『アメリカン・ジゴロ』がアルマーニのラグジュアリーかつミニマルなスタイルを取り入れた一方で、オリバー・ストーンが時代の潮流を捉えたこの映画は立会場でのパワフルなユニフォームを印象付けるものだった。マイケル・ダグラスは、反道徳的な投資家ゴードン・ゲッコーを演じ、強欲な投資家のイメージを作り上げた。
アルマーニ独特のシルエットで絶妙にカットされたピークド・ラペルのスーツから、シャープなシャツ、手入れされたサスペンダー、ストライプの太幅のネクタイに至るまで、彼のメンズウェアはあらゆる面で心理的優位に立つために仕立てられていた。ダグラスの登場は、背筋を伸ばした風格のある男性の着こなしという「ゲッコーニアン」の美学を確固たるものにした。彼のワードローブのチョイスは、彼が体現した欲望に燃えた男らしさを映し出すと同時に、若きエリートの被服費の出費を増加させた。
『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)
ウェス・アンダーソンの特徴である超現実的なプロダクション・デザインが作り上げた東欧の架空の国ズブロッカを舞台にしたこの作品は、風刺的な効果を狙い、スタイルが意図的に誇張されている。レイフ・ファインズの象徴的なベルボーイの制服である、磨き上げられた真鍮ボタンと高貴な紫色の燕尾服と完璧に折り目のついた赤いシームレスパンツから、豪華な毛皮に身を包んだホテルの派手なコンシェルジュまで、衣装デザインは「旧世界」ヨーロッパのおおげさなファッションを取り入れた。
ウィレム・デフォー演じる殺人鬼ベレンセンのような登場人物は、大げさとも革命的とも取れる、刺激的で毒々しいグリーンのような驚くほど大胆な色合いのスーツやオーバーコートを着ていた。ジェフ・ゴールドブラムのような脇役でさえも、鋭く尖ったラペルや驚くようなポケットスクエアなど、現実はおろかスクリーンを通しても大げさなスタイルだった。しかし、まさに意図的な誇張が、このような超現実的な世界観に対して、クラシックなメンズウェアの基本を逆説的に浮き彫りにしている。
『スカーフェイス』(1983年)
ブライアン・デ・パルマのコカイン中毒のクライム映画は、公開当初は各方面で酷評されたが、その独特なスタイリングによるファッションの影響が数十年にわたって反響を呼ぶにつれ、評価は高まるばかりである。冷酷無比なキングピン、トニー・モンタナが皿洗いから麻薬王へと上り詰めるとともに、彼のワードローブは鮮やかなシルクのシャツに変わり、ネオンまみれでアールデコ調のマイアミではありふれた生活を体現する。
襟はすべて立てられ、ボタンはすべて外し、成功の証として金のチェーンのネックレスと毛深い胸元が露わになる。ヤシの木がプリントされた特大の白いシャツは、数え切れないほどのサンプリング元となることでにアイコニックな地位を確立した。しかし、モンタナの海外駐在員仲間や雇われチンピラといった背景の登場人物でさえも、ファッション・ファンが「コカイン・カウボーイ」と叫ぶような、やりすぎなほど派手なチェック柄、アニマル柄、パステル調のリネンを身に付けていた。その派手なメンズウェアは、豪華さと、かろうじて抑えられた暴力性が調和したこの映画を完璧に表現している。
『シングルマン』(2009年)
ファッションデザイナーのトム・フォードは、1960年代のロサンゼルスを舞台に、ゲイの教授を描いたこの時代劇で監督デビューを飾った。細部にまで気を配り、主演俳優の着こなし方の手本を示している。学者ジョージに扮したコリン・ファースのシャープな仕立てのスーツ、シャツ、アクセサリーはどれも、その人物のキャラクターを装いの点から暗示する。
スリムな体格をさりげなく際立たせる、暗めのグレーとライトベージュのスーツから、パリッとしたスプレッドカラー、質感のあるニットタイ、ポケットチーフ、完璧なパターンのチノパンまで、ファースは東海岸のエリート大学生の洗練された知的な美学を体現していた。引き締まったボディに完璧にドレープを描くシャツでさえ、孤独と抑圧に苦しむキャラクターを引き立たせる。フォードの緻密なスタイリングは、視覚的要素のひとつひとつが示唆的で意味を持ち、超現実的な世界を作り上げているのだった。