YORE STORIES

ジェットセットの飛行機雲

January 2026

text nick foulkes

エオリア諸島を巡るクルーズ中、ラウドミア・エルコラーニ王女(青い服)と友人たち(1954年)。

 欧州における大戦は、貴族、芸術家、実業家たちのディアスポラ(離散)を生み出し、その多くがニューヨークに移り住んだ。ニューヨークは粉々になった大陸の破片を溶かし、新たな形に鋳造する「るつぼ」となった。

 1941年、パリ出身のレストラン経営者アンリ・スーレは、ドイツのフランス侵攻を受けアメリカに亡命した。そしてニューヨークのイースト55丁目に〈ル・パヴィヨン〉を開いた。

〈ル・パヴィヨン〉の登場は、のちに〈ラ・コート・バスク〉〈ラ・キャラヴェル〉〈ラ・グルヌイユ〉〈ル・プライエ〉〈ル・シーニュ〉と続く、「ル」と「ラ」で始まるフランス料理店ブームの先駆けとなった。同年、ジェットセットの象徴的人物、ザ・ザ・ガボールが亡命者としてアメリカに到着した。彼女はお騒がせセレブの元祖であり、その血は姪孫であるパリス・ヒルトンに受け継がれている。

 1957年、パン・アメリカン航空がパリへの大西洋横断便を就航させ、本格的にジェット時代が始まった。ギギの兄でファッションデザイナーのオレグ・カッシーニはこう語っている。

「大西洋をまたぐロマンスが初めて現実となった。飛行機によって、恋愛の可能性は飛躍的に広がったんだ。『週末にカンヌで会おう』とか、『チケットを送るからグシュタードに来ない?』なんて台詞が言える時代になったんだ。世界中のロマンチックな場所で、恋の駆け引きが繰り広げられた」

CBSの創始者ウィリアム・ペイリー夫妻。ジャマイカにて(1953年)。

 船で1週間もかけて大西洋を渡る必要はなくなり、アメリカ人が憧れる都、パリで恋を育むのに、わずか数時間で済む時代がやってきた。ギリシアの富豪にして作家のタキ・テオドラコプロスは次のように述べている。

「1950年代のパリは本当に素晴らしかった。当時は誰もがパリにいた。街は活気に満ちていた。今のパリはとても排他的だ。でもあの頃は、ブラジル人もアルゼンチン人もアメリカ人も、皆がまだパリにいたのだ」

 パリ、グシュタード、カンヌ、カプリ、サン・モリッツ、ローマ、ポルトフィーノ、モンテカルロ。少し遅れてマルベーリャ、ミコノス、サントロペ、ポルト・エルコレ、コスタ・スメラルダ、アカプルコ……。世界はまるで万華鏡の中で形を変える色ガラスの破片のようだった。季節に合わせて同じ顔ぶれが集まり、また去っていく。それが彼らの儀式だった。

 ギギ・カッシーニは、この新たな「社交動物」についてこう記している。

「没落した欧州貴族、成り上がり、外交官、社交界に憧れる目立ちたがりの妻に無理やり引っ張り出された退屈な実業家、長髪のアーティスト、作家、俳優、完璧な脚線美を持つカバーガール、さらにはポケットにペセタを詰め込んで美女を追いまわす南米人まで、さまざまな人々が入り交じっている」

サン・モリッツでの大晦日、クルマに乗り込もうとする海運王スタヴロス・ニアルコス(1961年)。

寝室での争いも熾烈だった 特に目立っていたのは、ギリシア生まれのふたりの海運王だった。アリストテレス・オナシスとスタヴロス・ニアルコスである。彼らはロドス島の巨神像すら小さく見えるほどのスケールで生きた男たちだった。時に無頓着とも思えるほど大胆に金をまき散らした。

 彼らは対照的なキャラクターだった。ダブルのスーツと太縁の眼鏡で知られるオナシスは、人生の快楽や贅沢品への欲望に満ちていた。1964年の『タウン&カントリー』誌に掲げられた言葉が、彼のことを端的に表している。

「オナシスが欲するものは、オナシスが手にする」

 一方、ニアルコスは貴族を気取っており、その口調はいつも気だるげだった。彼は「感じのいい男」ではなかった。ニアルコスのヨットでクルーズ中だった俳優ノエル・カワードはこう書き残している。

「彼はまさに独裁者だ。誰もが彼を恐れている」

 とはいえ、ニアルコスの審美眼は誰も否定できなかった。彼は卓越した趣味の持ち主で、美術館級ともいえるコレクションを築き上げた。本人は認めないだろうが、ニアルコスはライバルであるオナシスに強く影響されていた。その背中を追うかのように、彼
の動向を常に意識していた。

 オナシスが世界初のスーパータンカーを建造すれば、ニアルコスは同じような船を2隻造った。オナシスが航空会社を買収して「オリンピック航空」と名づければ、ニアルコスは造船所を買い取り「ヘレニック造船所」と命名した。

地中海クルーズ中のジャクリーン・オナシスと夫アリストテレス・オナシス(1969年)。

 会議室での争いがそうであったように、寝室での争いもまた熾烈だった。オナシスが海運界の名門リバノス家の娘アシーナと結婚すれば、翌年にはニアルコスがその妹ユージニアを妻として迎えた。やがてユージニアが、ニアルコスの私有島スペツォプラで不可解な死を遂げると、ニアルコスはすでにオナシスと離婚していたアシーナと再婚した。一方、オナシスは『ファースト・ウィドウ』ことジャクリーン・ケネディへと関心を移しており、彼女との結婚式は自らの島スコルピオスで盛大に行われた。

 そして海運王らしく、ふたりは豪華なヨットを所有していたが、その違いには彼らの性格が如実に表れていた。

 ニアルコスは、シックな三本マストの帆船〈クレオール〉を好んだ。この船はまるで海に浮かぶルーヴル美術館で、船内にはルノワールやゴッホの名画が飾られていた。彼が完全な静寂の中で作品を鑑賞できるよう、航海中の乗組員には手話での会話が義務づけられていた。

 一方オナシスのヨットは、娘の名を冠した〈クリスティナ〉だった。その華やかさはクレオールの静けさとは真逆だった。モザイクが敷き詰められたプールの床は昇降し、ダンスフロアに早変わり。魚の形をした蛇口、クレタの闘牛やクノッソス宮殿のフレスコ画、ラピスラズリの暖炉、X線装置付きの簡易病院など、豪奢ぶりは度を超えていた。セレブ御用達のインテリアデコレーター、ビリー・ボールドウィンはルイ15世風の悪趣味な内装に舌打ちしつつ、こう評した。

「今まで見た中で一番ひどかったよ。しかし、どれだけ下品であっても、あの部屋はとんでもなく快適だったがね」

 中でも有名だったのが、船内のバーに設置されたスツールだった。足置きにはクジラの歯が使われ、座面には白いクジラのペニスの革が張られていた。オナシスは、乗船していたグレタ・ガルボにこう言い放ったという。

「マダム、あなたは今、世界最大のペニスの上に座っているのですよ」

 こうした口説き文句は彼女たちに効果的だったようで、オナシスは二股、三股をかけた恋愛を楽しんでいた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 66
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