THE NEW DRESS WATCHES
飛田直哉氏が語るドレスウォッチ進化論
October 2025
photography natsuko okada
Naoya Hida / 飛田 直哉NH WATCH代表取締役。1990年から複数の外資系商社で時計のセールスとマーケティングを担当。その後F.P.ジュルヌ、ラルフ ローレン ウォッチ&ジュエリーの日本法人代表を経て、2018年に自身が理想とする時計を製作するため、NHWATCHを設立。翌年NAOYA HIDA & CO.銘でオリジナルウォッチの販売を開始。マーク・チョーとコラボレーションするなど、世界中の時計愛好家から注目を集める。
名だたる時計ブランドにかかわり、ヴィンテージウォッチの収集家でもある飛田直哉氏の時計に対する知見は、極めて深い。自身のブランドの時計も、世界の著名ファッショニスタたちが絶賛する。そんな飛田氏から、時計のドレスコードの変遷の歴史を学ぶ。
THE RAKE:スーツにスポーツウォッチを合わせる風潮は、映画『007/ゴールドフィンガー』で、紳士の国イギリスの諜報部員ジェームズ・ボンドが、タキシードにロレックスの「サブマリーナー」を着けているシーンがきっかけだったと言われていますが、真偽のほどはどうなのでしょうか?
飛田直哉氏
THE RAKE:映画の公開は、1964年。でも実際には最近まで、スーツにはドレスウォッチというのがお決まりでした。
『007/ゴールドフィンガー』のワンシーン。ボンドの腕にはNATOストラップに付け替えた「サブマリーナー」があり、大きく写るシーンもあった。
飛田:私が1990年に時計業界に入ったばかりの頃、諸先輩や有名テーラーの方々から“フォーマルなシーンで身に着ける時計は、ケースは小さくて薄く銀色、つまりホワイトゴールドかプラチナ製で、ダイヤルは黒、日付表示も秒針もない2針で、ワニ革ストラップ”だと教えられました。時計が目立ってはいけないと。当時の腕時計は、今ほど 大きくなくてシチズンだと32mmがメンズの標準サイズでした。ブレスレットが好まれていましたが、“冠婚葬祭用に”と、薄くてシンプルなストラップ式の腕時計を時計店はすすめていましたね。
THE RAKE:その頃の、典型的なドレスウォッチは、どんなモデルでしたか?
飛田:オーデマ ピゲの「エクストラフラット」やジャガー・ルクルトの「ウルトラスリム」、ヴァシュロン・コンスタンタンの「エクストラフラット」ですね。他社にも薄いモデルがいくつもありましたが、非防水が当たり前で日常使いには向かない。だから、ここぞというときに着ける特別な時計でした。
THE RAKE:どれも小ぶりなモデルばかりですね。そうした中で2004年にヴァシュロン・コンスタンタンから薄型2針でありながらケース径が40mmという「パトリモニー・ラージサイズ」が登場したことで、ドレスウォッチの流れが変わったように感じます。現行のモデル名は「パトリモニー・マニュアルワインディング」です。
飛田:小径のCal.1400を大ぶりなケースに収めての登場でしたね。その5年後の2009年にラルフ ローレンから登場した2針の「スリムクラシック」には、42mmケースがラインナップされていました。この頃から大きくて薄く、防水性も担保された日常使いできるドレスウォッチが当たり前になっていったように思います。
THE RAKE:飛田さんのブランドの時計も、ドレスウォッチと称していますよね。
飛田:我々の時計は、今の基準と比べれば小径ではありますが、最も薄いモデルでも9.8mm厚ですから薄型とは言えません。どんな素性の時計であるかを市場にわかりやすく説明するため、スポーツウォッチの対極にあり、“海やプールに入れません”という意味合いも込めてドレスウォッチと自称しているのです。
NAOYA HIDA & CO.の新作からの3作。左が昨年登場したレクタンギュラーの新装「NH TYPE 5A-1」。カーブした風防は、強化アクリル製となった。手巻き、SSケース、33×26mm。¥3,520,000。中央はブランド初の永久カレンダー「NH TYPE 6A」。オーストリアの実力派小メゾン、ハブリング2 との共作で実現。手巻き、SSケース、37mm。¥8,250,000。右がムーンフェイズ搭載機にYGケースを採用した「NH TYPE 3B-3」。手巻き、18KYGケース、37mm。¥8,250,000 すべて完売。all by Naoya Hida & Co.
THE RAKE:なるほど。先ほどおっしゃった90年代のドレスウォッチの基準であった小さく薄いブラックダイヤルの2針というモデルを、現行で見つけるのは困難です。時計のドレスコードも、時代とともに移り変わっているなと実感します。
飛田:ファッションのカジュアル化が進んだことに伴って、腕時計のドレスコードも曖昧になっていったのでしょう。うちのお客様には、ビスポークのスーツをビシッと着こなしている方もいらっしゃいますが、半数はTシャツにスニーカーといったカジュアルな装いです。そうしたライフスタイルの変化にリンクして、ドレスウォッチのあり方も変わっていくのは当然です。
THE RAKE:ラグジュアリー・スポーツウォッチがもてはやされたのも、高級機の場合は薄くエレガントだからスーツにも合わせやすくオールマイティに使えるというのが、理由のひとつだと思います。オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク“ジャンボ”エクストラシン」は、日付はありますが2針ですし、ケースは薄くてダイヤルもダークカラーですから、かつてのドレスウォッチの基準のいくつかを満たしています。
飛田:確かに薄型のラグスポは、今ではドレスウォッチの範疇なのかもしれません。ただ、薄い=ドレッシーとも言い切れない。ブルガリやリシャール・ミル、ピアジェ、コンスタンチン・チャイキンによる世界最薄を争ったモデルは、ドレッシーな路線とは少し違う気もしますから。また冒頭のジェームズ・ボンドと似た話ですが、2022年に、英国国王に即位したチャールズ3世が、王位継承評議会での即位宣言式で着けていた時計がパルミジャーニ・フルリエのクロノグラフだったんです。しかもケースは、イエローゴールド製でした。英国王室のドレスコードすらそうであるなら、もうフォーマルな場での時計は何でもありだな、という気がしてきますね。
2022年9月、王位継承評議会で即位を宣誓するチャールズ国王の身に着けていた時計が、時計愛好家たちの間で話題となった。
上写真の時計の正体は、パルミジャーニ・フルリエの「トリック・クロノグラフ」。見た目は古典的だが、径40mmで12.30mm厚と大ぶりである。
THE RAKE:英国王室も、時代とともに変化しているわけですね。となれば、フォーマルな場でラグスポを着けるのもありでしょう。ただ一方で、新作時計はクラシックに回帰しているように感じます。
飛田:ラグスポは投資的な意味合いでももてはやされていましたから、まっとうな時計市場に戻ったとも言えます。
THE RAKE:昨秋ショパールの共同社長であるカール‐フリードリッヒ・ショイフレ氏にインタビューした際、「今の市場はヴィンテージスタイルを求めている」と語っていました。実際に今年各社が発表した新作は、クラシカルで小ぶりなモデルが多かった。A.ランゲ&ゾーネの「1815」が、その典型例。ケース径は34mmで、厚さは6.4mm、ダイヤルは濃厚なブルーで、スモールセコンドは付いていますが、日付表示のないタイムオンリーウォッチです。
飛田:かつてのルールにかなり見合った、現代のドレスウォッチの好例ですね。
THE RAKE:小さくて薄いですが、90年代とは違い3気圧防水が担保されているので、日常使いできますね。
飛田:スーパーラグジュアリーなブランドがジャージースーツをラインナップする時代ですから、洋服も時計も扱いやすく楽ちんなものが好まれている。そうした中で時計のドレスコードが何でもありになってきた。ですからドレスウォッチを再定義するのは、難しい時代なのかもしれません。
THE RAKE:とはいえドレスウォッチとは、クラシカルで薄いタイムオンリーウォッチだとの認識は根強いですね。一方でパルミジャーニ・フルリエの「トリック パーペチュ
アルカレンダー」のような、複雑系でもドレッシーな新作が登場してきています。
飛田:「トリック」の永久カレンダーは、コンプリケーションであっても、また明るいカラーダイヤルであっても、ドレスウォッチという枠に入れられるでしょうね。ドレッシーであるかどうかは主観ですから、明らかにスポーティなルックスでなければ、ドレスウォッチと呼んでいいと思います。ブレスレットウォッチであっても、それがエレガントであればフォーマルになる。
THE RAKE:近年、メンズのジュエリーウォッチが人気ですが、それもフォーマルなシーンに合わせられますか?
飛田:90年代当時にもダイヤ入りの薄型ウォッチはありました。結婚式や式典といったおめでたい席ならダイヤモンドセッティングのダイヤルもありだと思います。また今の技術なら近い将来、極薄の300m防水が可能になるかもしれません。そうなってくると「007」シリーズの新作で、ウェットスーツに極薄のドレスウォッチを着けたジェームズ・ボンドが海から船上パーティに潜入し、タキシード姿になるというシーンが実現するかもしれませんね(笑)。
A. LANGE & SÖHNE/1815創業者の誕生年を冠した、クラシカルなコレクションに追加された34mmケースモデルは、厚さも6.4mmと薄い。ヴィンテージスタイル、小径化という今年の時計業界の傾向を最も象徴する1本。搭載する新開発のCal.L152.1も小さく薄いが、72時間という長時間駆動を実現している。手巻き、18KWGケース、34mm。¥3,850,000 A. Lange & Söhne(A.ランゲ&ゾーネ Tel.0120-23-1845)
本記事は2025年7月25日発売号にて掲載されたものです。
価格等が変更になっている場合がございます。あらかじめご了承ください。
THE RAKE JAPAN EDITION issue 65







