April 2024

IT’S MILLER TIME

スタイリッシュな知性、アーサー・ミラー物語

ナショナリズム、ポピュリズムが台頭するアメリカで、作家アーサー・ミラーが示した道徳的な物語は、再び光を放っている。
text ed clips

Arthur Miller / アーサー・ミラー1915年、ニューヨークのハーレム生まれ。38年、ミシガン大学を卒業。47年『みんな我が子』がヒットし、ニューヨーク劇評家賞受賞。49年『セールスマンの死』にてピュリッツァー賞受賞。53年『るつぼ』でトニー賞を受賞。劇作家として不動の地位を確立した。56年マリリン・モンローと結婚(離婚後マリリンは62年に死亡)。2005年89歳にて没。

 アメリカの劇作家アーサー・ミラーの評価は、近年かつてないほど高まっている。彼の代表的な戯曲『るつぼ』の初演から70年が経つが、最近、この戯曲が再上演された。場所はロンドンのナショナル・シアター、主演は『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』の女優ミリー・オールコックであった。

 2022年に公開されたマリリン・モンローの伝記映画『ブロンド』では、俳優エイドリアン・ブロディがエレガントにミラーを演じた。

 2017年には、アーサー・ミラーの娘レベッカが、父親についてのドキュメンタリー『Arthur Miller: Writer』を製作した。この番組はミラーの新たな深みと複雑さを明らかにした。

 ミラー自身の定義によれば、彼は「空気中にあるもの」について書いたという。彼の話は多くの場合、寓話的であり、それは作品に特別な先見性を与えた。

 アーサー・アッシャー・ミラーは1915年10月、ニューヨークのハーレムでユダヤ系ポーランド人の家庭に生まれた。父親のイシドールは婦人服のビジネスで成功し、ミラー家に富と2軒の家、運転手付きのクルマをもたらしたが、1929年のウォール街の大暴落でほとんどすべてを失った。

 家計を助けるために、10代のアーサーは毎朝学校に行く前にパンの配達をしていた。ガーディアン紙の追悼記事によると、ミラーは父親に降りかかった災難を見て、破局は前触れもなく訪れるという生涯のモチーフを得たという。

 ミシガン大学では当初ジャーナリズムを専攻し、その後英文学に転向して最初の戯曲『悪役のできそこない』を書いた。1938年に卒業すると、20世紀フォックスの脚本家という好条件の就職を断り、フェデラル・シアター・プロジェクト(連邦劇場計画/ 米政府が不況下における俳優・劇作家支援を目的として立ち上げた)に参加した。しかし翌年、連邦議会は共産主義者の侵入を恐れてこれを閉鎖した(これは来るべきトラブルの前兆であった)。

 CBSのラジオドラマを書くかたわら、ミラーはブルックリン海軍工廠で取り付け工として働いた。高校時代にフットボールで左膝を負傷していたため、第二次世界大戦への徴兵は免除された。

映画『荒馬と女』の撮影現場で、新聞を読むアーサー・ミラーにしゃがみこんで話しかける俳優モンゴメリー・クリフト(1961年)。

 1940年に最初の妻メアリー・グレース・スラッテリーと結婚し、ふたりの子供をもうけた。かつてジャーナリスト、マイク・ウォレスによるインタビューでふたりの仲を聞かれ、ミラーはこう答えた。

「お互いにミステリアスな存在だった。彼女は知識人、ユダヤ人、芸術家を求めた。そして私はアメリカを求めた」

 彼の最初の舞台『すべての幸運をつかんだ男』(1944年)は、酷評のため4回の上演で幕を閉じた。しかし、次の作品『みんな我が子』(1947年)は大成功をおさめた。戦後の楽観ムードに対する痛烈な一撃となり、ミラーに初めてのトニー賞をもたらした。ニューヨーク・タイムズ紙は、「人の心に対する並外れた理解力を持つ、本物の新しい才能」と彼を讃えた。

 次に発表した戯曲がミラーの代表作となった。『セールスマンの死』(1948年)である。年老いた63歳のセールスマン、ウイリー・ローマンとその家族の物語で、フラッシュバックの手法を多用した実験的かつ古典的な悲劇である。

 初演の演出はエリア・カザンによってなされ、トニー賞最優秀演劇賞、ピューリッツァー賞演劇部門を受賞し、その後742回上演された。ある男性はこの演劇を観た後、ひと晩中涙が止まらず、終いには医者が駆けつけたという。

 ミラーは1951年、映画『素晴らしき哉、定年!』(1951年)の撮影現場を訪れたときに、秘書役で出演していた女優マリリン・モンローに出会った。ミラーに出会ったとき、彼女は泣いていたという。

 ふたりはすぐに不倫関係に陥った。そして1956年、ミラーはマリリンと結婚するために最初の妻メアリーと離婚し、彼女の4番目の夫となった。

 ふたりは奇妙なほど相性がよかった。

「彼女は悪気がなく、まったく正直だった。猜疑心が強く、何にでも批判的な私のいた世界とは大違いだった。彼女はキュートであると同時に、キュートであることを嘲笑の対象にしていた」

アーサー・ミラーと妻のマリリン・モンロー。マリリンがローレンス・オリビエと共演した映画『王子と踊子』のロンドンにおけるプレミアにて(1957年)。

アーサー・ミラーとマリリン・モンローの結婚式。コネチカット州にて(1956年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 56

Contents