Exclusive Interview: THE RIGHTS OF BILL

【独占インタビュー】俳優ビル・ナイ:ビルの真相

July 2024

「偏執的になって自分を卑下したい人は、俳優を目指すといい」。半世紀もの得難い経験から語られたその言葉に、ビル・ナイが謙虚で親しみやすい存在である理由があるのかもしれない。
text tom chamberlin
photography charlie gray
fashion direction grace gilfeather
art direction brandon hinton
special thanks to the savoy

Bill Nighy / ビル・ナイ1949年、イングランド・サリー州生まれ。名門ギルフォード演劇学校で学んだ後、舞台俳優としてキャリアをスタート。70年代からテレビや映画の脇役で活躍。2003年の『ラブ・アクチュアリー』で落ちぶれロックシンガーを演じ、第57回英国アカデミー賞助演男優賞など多くの映画賞を獲得。その後も多数のメジャー作品で活躍の幅を広げる。

スーツ 参考商品 Lanvin(コロネット Tel.03-5216-6518) シャツ NN07 タイ Donna Karan メガネ ¥68,200 Cutler and Gross(サンライズエージェント Tel.03-6427-2676) シューズ「ハドソン」¥88,000 Joseph Cheaney(ブリティッシュ メイド 青山本店 Tel.03-5466-3445) 時計「クラシック 7147」自動巻き、18KRGケース、40mm ¥3,729,000 Breguet(ブレゲ ブティック銀座 Tel.03-6254-7211)

 ビル・ナイは物事をシンプルに考えるのを好む人物のようだ。私はその姿勢を支持する。世の中をやたら複雑に見ようとする人といると不安になるし、それは避けたいと思うから。ナイはこの日も、実にシンプルに取材場所にやってきた。ホテル「ザ・サヴォイ」まで歩いてきたのだ。もちろん帰りも徒歩。彼の寛いだ空気は、周囲の緊張を解いてくれる。

「時間はありますから。心配しないで」

 確かに時間をかけたい取材だった。長いキャリアの大半を注目されずに過ごした彼が、映画『ラブ・アクチュアリー』(2003年)の出演で一躍脚光を浴びたことはよく知られている。その人生は、まるで小説のような軌跡を辿ってきた。

 情熱的だが外にはほとんど見せない。ナイは熱弁を振るうのではなく、静かに熟考して繊細な語り口で自分を表現するタイプだ。1949年に生まれ、ロンドンの南方の緑豊かな郊外ノース・ダウンズで育った。ここは今でこそロンドンの通勤エリアだが、50年代初めの状況はかなり違った。まだ終戦からさほど経っておらず、戦勝ムードはあっても食料の配給は続いており、国は再建途上にあった。国民の生活はまだまだ厳しかった。

 学校を卒業した15歳のナイは、新聞配達やメッセンジャーボーイの仕事を始める。尊敬する兄マーティンは、テーラリングの世界を知るきっかけをくれた。

「スーツを着る必要のある仕事をしていて、数着持っていました。触ることは禁じられていましたが、兄が家を出た途端にワードローブへ直行したものです。イタリアンスタイルのスーツで、とても格好よかったしキマっていました」

スーツ 参考商品 Dior(クリスチャン ディオール Tel.0120-02-1947) シャツ 参考商品 Paul Smith(ポール・スミス リミテッド Tel.03-3478-5600) メガネ ¥68,200 Cutler and Gross(サンライズエージェント Tel.03-6427-2676)

 家族からの影響というのは避けようとしてもあるものだ。マーティンとビルの兄弟関係においてのそれは、ファッションであり、音楽であり、モッズとしてのアイデンティティにおいて顕著だった。

 ナイのクラシックスタイルの流儀は、独自のスタイルを求めたモダニズム運動の視点で見るべきだろう。若くしてダブルプリーツのパンツとストレートチップのオックスフォードシューズを身に着けたのには、皮肉が込められていた。特定の社会階級に合わせるためでなく、彼が身に着けるべきではない服装だったから。周囲の期待に対する反抗だったのだ。

「中流階級に生まれつくと基本的にホワイトカラーで、こうした人たちが俳優になるとホワイトカラーを着なくてもいいことを利用し楽しみました。一方、ブルーカラーとみなされていた者が俳優になると、必ずドレスアップしていました」

 社会階級は、ナイの青春時代とその頃の仕事に多くの影響を与えた。ギルフォード演劇学校では、ディナーでどのナイフを使うべきか教えられたという。

「労働階級の生徒がたくさん入学してきたので、学校は生徒がカトラリーの使い方で苦労するかもしれないと心配してくれたんですね。あとは、ポルカも教わりましたよ。今でも踊れるかって? まあ頼まれれば踊れるんじゃないでしょうか。でも仕事で踊ったことはありませんね」

 ナイはもちろん、観客が自分の何を見ているかを心得ている。テーラリングについて、彼とずいぶん深く話し込んでしまった。彼が身なりのいいクラシックな紳士と“カーディガンはどれも4インチほど長すぎる”いう評判を築いたのは偶然ではない。決して流行を追ってめかし込むことはしない。自身の性格や個性、ユーモアのセンス、価値観を反映したものであることを大切にする。ナイの服に対するこだわりは、我々THE RAKEのスタッフでさえも恥ずかしくなるほど微細にわたる。

「メンズのカーディガンは不満です。どれも4インチほど長すぎるんですよ」

 駆け出しの頃の彼にとって、服は単なる衣装以上のものだった。

「スーツを着る仕事だったとき、衣装デザイナーがよく半額で売ってくれました。ときには『持って帰っていいよ』と言われることも。なので、私が持っていた服は仕事で着たものばかりでした」

ジャケット P. Johnson ニットポロ ¥55,000 John Smedley(リーミルズ エージェンシー Tel.03-5784-1238) トラウザーズ Scott Fraser Simpson シューズ 参考商品 Paraboot(パラブーツ青山店 Tel.03-5766-6688) メガネ ¥68,200 Cutler and Gross(サンライズエージェント Tel.03-6427-2676)

謙虚な姿勢 ナイは自信を持ったことがない。成功してもなお、成し遂げたことへの確信や誇りで満たされることはなかった。

「私には逆に働く才能があるんです。自分を卑下する才能。これが非常に秀でている。思うに、偏執的になって自分を卑下したい人は、俳優を目指すといい」

 ビルは幸運にも、50代半ばに出演した『ラブ・アクチュアリー』で大ブレイクした。おかげで、俳優生活の大部分を占めていたオーディションから解放された。私たちは、例えば就職に失敗しても何を取り逃がしたのかわからないままで済む。しかし俳優は、自分が逃した仕事について他の俳優がチャンスを摑み成功する姿を見せつけられることがしばしばある。それはさぞ苦い経験に違いない。

FASHION DIRECTION GRACE GILFEATHER
PHOTO TEAM: GARTH MCKEE AND JOSHUA HIPPOLYTE
GROOMING: CHAD MAXWELL AT STELLA CREATIVE USING AUGUSTINUS BADER
PRODUCTION: SAM SHANE AT JJ MEDIA
FASHION ASSISTANT: HELLY PRINGLE

本記事は2024年7月25日発売号にて掲載されたものです。
価格等が変更になっている場合がございます。あらかじめご了承ください。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 59