Exclusive Interview: John Lithgow / CARDINAL RULES
俳優:ジョン・リスゴー、役を生きる掟
November 2025
photography kim lang
fashion direction grace gilfeather
special thanks to claridge’s
John Lithgow
ジョン・リスゴー1945年、ニューヨーク州ロチェスター生まれ。舞台俳優としてキャリアを積み、ブロードウェーで高い評価を得た後、映画界へ進出。『ガープの世界』(1982年)と『愛と追憶の日々』(1983年)でアカデミー賞助演男優賞に連続ノミネート。以降、『フットルース』(1984年)、『クリフハンガー』(1993年)などで印象的な演技を披露。知性とユーモアを併せ持つ名優として知られる。
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俳優のインタビュー記事を書く仕事は、ときに厄介である。例えばこんなことがある。相手が好感度のかなり低い人物だと、会ってからわかる。言葉を勝手に切り取られて書かれるのを恐れるあまり、心にがっちりと鍵をかけている。あとは、キャリアがあまりに膨大で実績が山ほどあるために、記事で網羅するのが無理なケース。ジョン・リスゴーはまさにこの部類である。彼の活躍ぶりを目にしたいなら、彼が主演の舞台『Giant(原題)』へ足を運んでほしい。主格決定論(名前がその人の仕事や運命に影響を与えるという考え)の典型例というべきか、リスゴーは巨人である。実際、彼は背丈もある(193センチ)のだが、同時に風格も持っている。その圧巻の風格をゆったりと纏い、今回の撮影に臨んだ。
リーダー的立場の人間には重い責任がつきまとうものだが、リスゴーはそんな重圧を微塵も感じさせない。キャリアは常に順風満帆。出演映画は60本を超え、ブロードウェーやウエスト・エンドの数々の舞台で人気を博してきた。ストリーミング配信に比重が傾く昨今も、キャスティングディレクターやプロデューサーが我先にと彼を起用したがる。もっとも、引っ張りだこなのは今に始まったことではない。過去のインタビュー記事から察するに、彼は大方の場合、口説かれて出演を引き受けたのだとわかる。
ハーバードからブロードウェーへそんなリスゴーにも、駆け出しの時代があった。ただそれは、彼が別の芸術に対する夢―画家―を諦めてからの話だ。
「(*レパートリー劇団を主宰する父の周りから)念仏のように言われていました。『役者にだけはなるなよ』と。厳しい人生だから。でもだからといって俳優を考えなかったわけではありません。画家を目指していたんです。かなり本気でしたし、周りも応援してくれていました」
結局、彼は絵筆を置いた。しかし再び手に取るときも来るかもしれない。上で触れたように、リスゴーの父親はレパートリー劇団を率いて、オハイオ州やニュージャージー州、ニューヨーク州など各地を巡回する演劇プロデューサーだった。そうした環境の中で、リスゴーの役者としての素地は自然と養われた。
「演じることが、いつの間にか身体になじんでいました。舞台袖にいて、シェークスピア劇の野外公演のリハーサルを眺めている、なんてことが普通だったんです。11、12歳までそんな日々でした」
彼はハーバード大学に進学し、優秀な成績で卒業しているが、入学してすぐさま大学の演劇活動に引き込まれていた。舞台に立つことが身体に染み込んでいた彼は、既にほかの同級生とは違った。
「たちまち演劇仲間に引き寄せられ、あれよあれよという間にメインキャストに抜擢されました。ハーバードでは、成功がすべての土台にあります。もし成功していることがあるなら、その流れに乗るべきだ、と。私は大役を次々と演じて拍手喝采をもらい、背中を押してもらいました。卒業する頃には役者になると決めていました。それで、本格的に芝居を勉強しようとロンドンへ行ったのです」
フルブライト奨学金と航空券を手にリスゴーは大西洋を渡り、ロンドン音楽演劇アカデミーで勉学に励んだ。そして帰国後は、ニュージャージー州プリンストンにある父親の劇団に入った。本人はそれで満足だった。自分が育った環境であり、俳優として一歩を踏み出すには申し分のない場所だと考えていた。今振り返ると控えめな野心だったが、演出や舞台芸術など劇団のさまざまな仕事にも関わり、充実した日々を送る。そうして演劇のことなら何でもできるようになった。
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ほどなくして、リスゴーはより大きなスポットライトの下へと呼び寄せられる。彼は父親に「これ以上親の世話になることはできない」と告げ、ニューヨークへ向かった。そこで演出の仕事を数年経験し、舞台『The Changing Room(原題)』(1973年)でブロードウェーデビューを飾る。その演技は高く評価され、彼にとって最初のトニー賞を受賞した。
それからの数十年は、とにかくあらゆるジャンルの役をこなした。映画『ガープの世界』(1982年)では、トランスジェンダー女性のロバータ・マルドゥーンに扮し、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。不朽の名作『フットルース』(1984年)では押し出しの強い牧師、『サンタクロース』(1985年)では悪徳商人、『ハリーとヘンダスン一家』(1987年)では温かみのある父親、第二次世界大戦を描いた傑作『メンフィス・ベル』(1990年)では厚顔の中佐を演じた。スタジオばかりが仕事場ではない。「最高のロケ地」だった『クリフハンガー』(1993年)は特に思い出深いという。自宅の棚にはエミー賞のトロフィーが飾られて、リスゴーは変幻自在のキャラクター俳優としての地位を確立した。
FASHION ASSISTANT: ELENA GARCIA
DIGITAL TECHNICIAN: DERRICK KAKEMBO
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本記事は2025年11月25日発売号にて掲載されたものです。
価格等が変更になっている場合がございます。あらかじめご了承ください。
THE RAKE JAPAN EDITION issue 67







