Azabu Kappo To-o

ひと皿の向こうまで、おもしろい。 麻布十番の割烹「十」

October 2026

神戸牛を使った料理が次々と登場するのに、食後は驚くほどすっきりしている。麻布十番の「十」には、肉割烹の豊かさと、日本料理らしい節度が共存する。しかも、そのカウンターで過ごす時間が実に楽しい。

 
 

text Nobuhiko Takagi

 
 

 

麻布十番のパティオ通り沿い、ビルの2階にある「麻布割烹 十(とお)」。2025年4月に開いたこの店は、神戸牛を主役に、季節の魚介や野菜を織り交ぜたコースを供する。サーロインからリブロース、フィレまで、さまざまな部位が登場するが、濃厚な肉料理を畳みかけるような構成ではない。旨味はしっかりとあるのに、味付けは穏やか。最後には満腹になっているはずなのに、重さがいつまでも残らない。その食べ心地が、まず印象的だった。

客席と調理場のあいだに高い仕切りを設けないカウンターでは、食材を切る手元や料理を仕上げる所作が自然と目に入る。ここで腕を振るうのが、店主を務める料理人、新宅裕之氏。22歳のときに音楽の世界から転身した異例の経歴の持ち主で、神戸・大阪などで和食、鮨、肉割烹に携わってきた。かつてはギターなどの楽器製作や修理も学んでいた。客から「なぜこの食材なのか」と問われたとき、自分なりの理由を語れることが大切だと考える。そんな新宅氏の姿勢は、料理を食べ進めるうちに伝わってくる。

 

調理場を間近に臨むカウンター。調理の所作を眺めながら、落ち着いて食事に向き合える。

神戸牛の部位ごとに、異なる答えがある

牛肉の仕入れ先は、兵庫県の神戸うすなが牧場。新宅氏が大阪で勤務していた頃に出合い、実際に牧場まで足を運んだ。以来、同牧場の但馬牛、神戸牛を選び続けている。神戸牛という名前だけに頼るのではなく、育てる人と直接話し、自分の舌で納得できるものを扱う。その関係が、この店の料理の土台になっている。

取材中、新宅氏が大きなリブロースの塊を見せてくれた。炭焼きに向く中心部の「芯」、その周囲にある「フカヒレ」、外側の「かぶり」。ひとつの塊の中でも、脂の入り方や繊維の質感は異なる。火を通すと繊維感が強くなるフカヒレは生で、歯ごたえの強いかぶりは低温でしっとりと仕上げるなど、部位ごとに調理法を変える。目の前の塊肉から、まったく異なる料理が生まれていく。

とりわけ記憶に残ったのが、サーロインと無花果「とよみつ姫」の一皿。皮の薄い無花果を皮ごと揚げ、神戸牛と出汁を合わせる。肉の旨味と果実の甘味を、出汁がすっとひとつにまとめている。食材の組み合わせには意外性があるのに、味わいは決して奇をてらわない。鉄板焼きの印象が強かった神戸牛も、部位と調理法でこうも違う表情を見せるのか。素直に驚かされた。

 

神戸牛サーロインと無花果「とよみつ姫」の揚げ出し。果実の甘味と牛肉の旨味が、出汁の中で自然に重なる。

 

ほかにも、リブロースをカツにしてイタリア産オータムトリュフと合わせ、フィレは炭火で焼き上げる。後者に添える塩は、スペインの産地を新宅氏自身が訪ね、使うことを決めたものだ。肉の味を濃いソースで覆わず、部位の持ち味や火入れの違いを食べさせる。神戸牛というひとつの主役に、これだけの変化をつけられるのは、日本料理を土台にしているからこそだ。

 

神戸牛フィレの炭焼き。肉の焼き加減に加え、添える塩の選び方にも新宅氏の目利きが生きる。

肉を引き立てる、季節の魚介と出汁

とはいえ、肉ばかりを食べるわけではない。コースの序盤には、山口県萩産の黒鮑と佐土原茄子が登場した。香ばしく焼いた茄子に柔らかく煮た鮑を合わせ、餡には鮑の煮汁を使う。鰹出汁で補強することなく、鮑から出た旨味をそのまま生かす仕立てだ。何を味わっているのかが明瞭で、余分な味が口に残らない。

 

萩産の黒鮑と佐土原茄子。餡の旨味は、鮑を煮たときに出る煮汁から引き出している。

 

愛媛県産チョウザメの昆布締めには、同じ愛媛の「法皇キャビア」を合わせる。この店では、キャビアも豪華さを飾るための食材として扱われていない。新宅氏が評価するのは、塩味の穏やかさだ。塩気が強すぎるものでは、繊細なチョウザメの身を生かせない。塩分を抑え、卵そのものの旨味も感じられる国産キャビアだからこそ、この組み合わせが成立する。軽く昆布で締めた身の食感も、よく知る白身魚とはひと味違っていた。

 

新宅氏が使い続ける国産の「法皇キャビア」。塩味が穏やかで、合わせる食材の繊細な風味を覆わない。写真は取材時とは別の料理。

 

さらに印象的だったのが、肉料理の合間に供された、しじみ出汁の煮麺である。使われるのは宮城県石巻、北上川河口付近で採れる「べっこうしじみ」。一般にしじみの旬といえば夏や冬だが、新宅氏によれば、このしじみは秋に旬を迎える珍しいものだ。鰹出汁を効かせすぎると、せっかくのしじみの旨味が薄まってしまう。そこで出汁の約9割をしじみ、鰹出汁は残りの1割ほどにとどめる。柚子のように香りの強いものも加えない。湯気からはしじみの香りが豊かに立ち上るのに、口に含むと押しつけがましさがない。前後の肉料理をつなぐ箸休めであると同時に、ひと椀としての存在感も十分だった。

新宅氏は、かつて料理にさまざまな要素を重ねることにも面白さを感じていた。しかし経験を重ねるにつれ、濃い味付けや複雑な組み合わせを好まなくなり、余計なものを引く方向へ変わってきた。素材を放っておくのではない。その食材を最もおいしく味わうために、何を加え、何を加えないかを判断する。鮑の餡にも、キャビアにも、しじみの出汁にも、同じ考え方が通っている。新宅氏は、好評だった料理でも翌年に同じ仕立てを安易に繰り返さない。素材が変われば献立も変わる。

話が弾むのは、料理に理由があるから

もうひとつ、この店の楽しさをよく表すのが、神戸牛サーロインの「とろたく巻き」だ。目の前で肉とたくあんを海苔で巻き、仕上がったところをそのまま手渡してくれる。受け取ってすぐ口に運ぶ。作る人と食べる人の距離の近さが、そのままおいしさになるような一品だ。新宅氏は、前年の料理をそのまま繰り返すことを好まないが、このとろたく巻きだけは看板メニューとして提供し続けている。目の前で仕上げられ、手渡され、すぐに頬張る。その一連の体験が強く記憶に残る。

 
 

神戸牛サーロインを使った「とろたく巻き」。カウンターの目の前で仕上げられ、手渡しで供される。

 

新宅氏は、こちらが尋ねれば肉の部位から野菜の品種、酒の造り、器の作家に至るまで、実にざっくばらんに話してくれる。かといって、話を聞かせようと身構えている様子はない。興味の広さと深さが、自然な会話の中で伝わってくる。目を見てこちらの反応を受け取って、次の話へ進む。その間合いが気持ちいい。

例えば、松茸ご飯を炊く土鍋も既製品ではない。新宅氏が考案した形を伝え、淡路島の作家に特注したものだ。蓋を開けたとき、ご飯がきれいに見えるよう、内側に段差を設けている。作家との縁は、大阪の料理店で隣り合わせに座ったことから始まった。ひとりで食事に出かける際も、相手の店にあらかじめ連絡し、料理人同士として自然に交流を深める。食材の仕入れにも、器選びにも、こうした人とのつながりが生きている。

唎酒師でもある新宅氏の日本酒ペアリングも、その時間を豊かにする。サーロインと無花果には熊本の「産土」、炭焼きのフィレには石川・農口尚彦研究所の「観音下」など、料理と酒の組み合わせにも理由がある。少量ずつグラスで供されるので、食べ進めながら香りや味の違いを楽しめる。

食事の締めくくりは松茸ご飯と利平栗の甘味。これだけ食べたのだから、もちろんお腹はいっぱいだ。それでも肉の脂や濃い味付けがいつまでも居座ることはない。帰り際に思い返していたのは、どの部位を食べたかだけではなく、なぜこの素材なのか、どうしてこの器なのかと、新宅氏に尋ねた数々の話だった。次の季節には、どんなものが届き、どんな料理になるのか。食事を終えたばかりなのに、もうそれが気になる。

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