THE LEADER OF THE PACK: WOOLF BARNATO
ベントレー・ボーイズのリーダー:
ウルフ・バルナート
December 2019
ダイヤモンド鉱山の相続人であり、世紀の放蕩者であったウルフ“ベイブ”バルナートは、
1926年にベントレー・モーターズを買収した。
これにより彼のストーリーは“レイキッシュな神話”として永遠に語り継がれることとなった・・
by nick foulkes
英国サリー州リングフィールド近くのアーデンラン・ホールは、350エーカーの敷地を持つ邸宅で、1906年から1909年にかけて建設された。それは英国において“カントリー・ハウス”が作られた最後の時期であった。大英帝国が世界の3分の1を支配していた時代だ。
設計したのは、ビクトリア朝の巨匠リチャード・ノーマン・ショーの弟子であったアーネスト・ニュートン。建築のコンセプトは“新興成金でも貴族のように見えること”だった。
しかしアーデンランは、ウルフ・バルナートの自宅として、またハード・ドライブ、ハード・パーティーでならしたプレイボーイたち“ベントレー・ボーイズ”のホーム・グラウンドとして有名になった(「悪名高くなった」がより正確かもしれない) 彼らは美酒とパーティの時代、ローリング・トゥエンティーズを象徴する存在であった。
ウルフ・バルナートの父、バーニーは、1852年にロンドンのイーストエンド、ホワイト・チャペルのスラム街で生まれた。彼は、ダイヤモンドとゴールドラッシュに沸く南アフリカへ行って、大成功を収めた。
彼の内妻であり後に正妻となったファニー・バルナートと彼らの3人の子供たちは、裕福で伸び伸びとした生活を楽しんだ。場所は父親が住み、そして亡くなった邸宅である。ウルフが2歳のときに父が亡くなり、それから一家は、北ウェールズのコルウィン湾の家と、ロンドンのマーブルアーチ近くのコンドミニアム、ブライトンの海辺の別荘の間を行き来するようになった。