THE LEADER OF THE PACK: WOOLF BARNATO

ベントレー・ボーイズのリーダー:
ウォールフ・バルナート

December 2019

 

 バルナートの生涯は、タトラーやザ・スフィアなどのソサエティ・マガジンを通して知ることができる。1926年5月、バルナ―トがベントレー・モーターズを倒産の危機から救ったとき、当時を代表するプレイボーイとなっていた彼の名を、大勢が知ることになった。

 

 バルナートが会社を引き継いだと同時に、同じ年のゼネストによって国は大混乱に陥った。ロシア革命がわずか9年前に起こったことを鑑み、多くの人は共産主義革命と内戦を恐れていた。

 

 しかし、事態が明らかになるにつれて、それは非常に英国的な出来事だとわかってきた。1926年のゼネストは、国家の崩壊からはほど遠く、その効果はせいぜいチェルシー・フラワー・ショーを1週間ほど遅らせただけで、国家的には何事もなく過ぎ去った。それは部分的にせよ、“ブルックランズ・スクワッド”と名付けられた金持ちのドライバー集団の活躍によるものであった。そこにはウォールフ・バルナ―トも名を連ねていた。

 

 

 

「すべての“ブルックランズ・スクワッド”は警察に協力し、いくつかの偉業が達成された。ウォールフ・バルナート大尉は、ロンドンからバーミンガムに緊急メッセージを送った。距離は約106マイル、これを2時間11分で走破した。彼の走行時間は平均的な急行列車を11分上回っていた」とデイリー・メール紙は報じた。

 

 バルナートの庇護のもと、資金不足だった英国の自動車メーカーは、ジャズ・エイジの“ブライト・ヤング・シングス”を代表する最高のブランドとなった。彼はベントレーのレース活動に金を注ぎ込み、ドライバーとしてのスキルと絶大な財力、その両方のおかげで、ベントレーのトレードマーク“フライングB”は、有名なル・マン24時間レースで表彰台を独占するようになった。このせいで、フランスの北西に位置するこの目立たない街は、少しだけ、しかし永遠に英国の一部とみなされるようになった。

 

 

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