THE ELEGANT JURIST

世界のファッショニスタに学べ:
フレデリック・ブラン

June 2021

政治の世界に身を置いたあと、フランス人のフレデリック・ブランは本来のパッションである、シガーや時計、シネマやモーターリングについて筆を執った。

 

 

text benedict browne

translation wosanai

photography kim lang

special thanks to Mark’s Club

 

 

Frédéric Brun/フレデリック・ブラン

2007年にパリのテーラー「アーサー フォックス」で仕立てたピンストライプのスーツを纏ったフレデリック。チーフは生前に父親が使っていたもの。タイはRobert Kerrでのビスポーク。タイにおける彼の好みは、幅広のニットタイと大きめのノット。「ダークブルーのタイをする機会が多いので、ポケットチーフには色を取り入れるようにしています」。

 

 

 

 もしあなたが時計やモーターリング関係の業界の集まりに足繁く出入りするようになれば、確実にフレデリック・ブランというウェルドレッサーと顔を合わせることになるだろう。彼のスタイルは古きよき時代のハリウッドやフレンチシネマを思い起こさせるほどに秀逸であり、図らずもあなたの目は彼を追ってしまうだろう。

 

 彼のキャリアは政治の世界から始まった。かの有名なフランス外交の顔でもあった故ジャン=ベルナール・レイモンと知り合う頃には、ブランはすでに名の通った外交官となっていた。しかしそれは彼の本来の姿ではなかった。ブランは、昔から好きだったシガーや時計、シネマやモーターリングについて執筆を始めたのだ。

 

 

左から右に:ジャガー・ルクルトのレベルソ(2002年購入)、カルティエのタンク バスキュラント(2003年購入)、エテルナ1935は1995年に20歳の誕生日プレゼントで、クロコダイルスキンのケースに入ったモバード エルメトの懐中時計は祖父から。「夏の間、または暑いところでは腕時計は極力したくありません。その代わりにポケットウォッチを携帯します。これは開閉が少々トリッキーではありますが」。

 

 

 

 彼の最初の出版は2006年で、アストン・マーティンについてであった。その後タイトルは増え、ケーリー・グラント、スティーブ・マックイーン、フランク・シナトラなどについての書籍も成功を収め、数々の言語にも翻訳されている。しかも出版に加え、彼自身もクラシックカーレースに参加し、オートモビルクラブの委員も務めているほど。スイスで開催されるコンクール・デレガンスでは審査員を任されている。

 

 今回彼と再会を果たしたのはロンドンのMark’s Club。思う存分、彼の所有する愛すべきアイテムたちのことを語ってもらった。

 

 

「基本的にはシガースモーカーですが、パイプも好きです」。左のパイプは東フランス、サン=クロードのブランド、シャコムのもの。スティックはバンブー製、S.T.デュポンのライターは父親が以前所有していたため、BGという父親のイニシャルが刻印されている。

 

 

カフリンクスはすべてヴィンテージで、ブシュロン、ヴァンクリーフ&アーペル、フレッドのもの。一番右はジャン=ベルナール・レイモンからのプレゼント。本べっ甲のカラーステイはDaniel Lévyのビスポーク。「このカラーステイは私の愛してやまない女性がプレゼントしてくれたものです。常に最も身近なところに彼女を感じられるのですが、それを知っているのは無論私だけです」。

 

 

常に携帯しているアイテムが3つある。ポール・モラン著の『Londres』、謙虚な気持ちを忘れず、助けが必要な人には手をさしのべるという気持ちを再確認させてくれるロザリオ、そしてラッキーチャームである貝殻だ。貝殻は彼のルーツであるマルセイユで見つけたという。

 

 

時計回りに上部左から:パスポートホルダー、エルメスのポケットノートブック、デュオホールドの万年筆はパーカー、クロスのシャープペンシル、エルメスのくし、ゴヤールのカードホルダー。「万年筆は大好きです。特にアールデコや30’sスタイルのものがいいですね。パスポートホルダーの上にあるバッジはオートモビルクラブのもので、いつもは1962年製アルヴィスTD21、または1967年製モーリス・ミニ850のフロントグリルに付けています。このくしは、本当は馬のたてがみ用なのですが、自分で使用するために購入しました」。

 

 

 

 

 

THE RAKE JAPAN EDITION issue29