PARTY ANIMALS: THE ROTHSCHILD SURREALIST BALL

ロスチャイルド家のシュールな舞踏会

February 2021

THE RAKEは、マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人と夫のギーが、仏フェリエール城で開催した1972年のシュール・レアリスム舞踏会を再訪する。

 

by ed cripps

 

 

 

 

 もしあなたの一族が歴史上最大の財産を持っているならば、フランスで最も豪華なシャトーでパーティを開くことくらいは朝飯前だろう。サルバドール・ダリがデザインした衣装、鳥かごの帽子をかぶったオードリー・ヘップバーン、猫のふりをした執事でいっぱいの迷路などなど……そこはお楽しみでいっぱいだ。

 

 それを実現したのがロスチャイルド家だ。

 

 マリー=エレーヌ・ネイラ・ステファニー・ジョシーナ・ファン・ズイレン・ファン・ナイヴェルト・ファン・デ・ハール男爵夫人は、馬の繁殖家であったフランソワ・ド・ニコライ伯爵との短い1回目の結婚の後、1957年、従兄弟であるロスチャイルド・フレール銀行の頭取、ギー・ド・ロスチャイルドと結婚した。

 

 ふたりのロマンスはさまざまな壁を打ち破った。

 

 ロスチャイルドの有力者がユダヤ人以外の配偶者と結婚したのは初めてのことだったため、ギーはフランスのユダヤ人コミュニティの会長を辞任せざるを得ず、カトリック教徒であるマリー=エレーヌは教皇から特別な許可を受けなければならなかった。ふたりの社会生活には、同じような自由主義が見られた。

 

 彼らの家であり、今では伝説となっているシュール・レアリスムをテーマにした舞踏会の会場となったフェリエール城は、フランスで最も大きく、最も豪華な 19 世紀のシャトーと言われている。

 

 

 

 

 ギーの先祖であるジェームズ・ド・ロスチャイルド男爵は、彼の従兄弟が英国バッキンガムシャー州に建設した城、メントモア・タワーズを見て、その建築家ジョセフ・パクストンに「メントモアと同じものを建ててくれ、ただし大きさは倍で」と言った。

 

 フェリエールは、80の部屋、30平方キロメートルの敷地を誇り、120フィートの中央ホール、シャルル・コルディエが彫刻した柱群、8000冊以上の蔵書を持つ図書館、ネオ・ルネッサンス様式のイタリア庭園などを擁している。

 

 普仏戦争中に占領され、第二次世界大戦中もドイツ軍に占有されたフェリエール城は、1959年にマリー=エレーヌが改装するまで空家のままだった。

 

 このシャトーはすぐに、ヨーロッパにおけるハイ・ソサエティの快楽主義の中心地となった。貴族、ハリウッド・スター、アーティスト、ミュージシャン、ファッション・デザイナーなどが集まった。イヴ・サンローランがブリジット・バルドーやグレース・ケリーと頬を寄せ合っていた。

 

 その人気は、ある著名な社交婦人が「次のパーティに招待されなければ自殺してやる」と脅しをかけたほどだった。

 

 

 

 

 

 そして1972年12月12日、ルイス・ブニュエルの映画『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』が公開されたのと同じ年に、マリー=エレーヌが主催した、シュール・レアリスムの記念碑的パーティが開かれた。

 

 招待状は鏡文字で印刷されていたため、受け取った人は、いちいち鏡に写して読まなければならなかった。そこには“ドレスコード=ブラックタイ、ロングドレス、そしてシュールレアリスムの被り物”とあった。

 

 到着したゲストたちは、シャトーの正面に照らされた、まるで火事のように明るい照明で迎えられた。大階段では猫の格好をした召使たちが、お互いになで合ったり、眠ったふりをしていた。

 

 入場すると、ゲストは巨大な迷路に導かれ、驚きに満ちたクモの巣のような森の中で、ひたすらさまようのであった。しかしすっかり迷子になったら、“猫”を呼んで助けてもらうこともできた。

 

 

 

 

 やがて猫の執事は、ディナーの席へと案内してくれた。皿は毛皮で覆われていて、テーブルには剥製にされた亀が置かれ、バラで飾られたベッドの上にマネキンの死体があり、食事はその上で供された。フォークの代わりに、死んだ魚が置かれていた。メニューには人を食ったようなダジャレが散りばめられていた。

 

 人々が着ていたコスチュームもすごかった。マリー=エレーヌ自身が身につけていたのは、ダイヤモンド(本物)の涙をちりばめた巨大な牡鹿の頭だった。

 

 女優オードリー・ヘップバーンは、小鳥で埋め尽くされた鳥かごを被っていた。耽美主義者の男爵アレクシス・ド・ルドは、コガネ虫の羽根が散りばめられた、まるでティツィアーノの絵画のような、驚くべき4重構造のマスクを身につけていた。

 

 

 

 

 サルバドール・ダリはこれらのコスチュームのいくつかをデザインしたが、自分では着なかった。調香師のエレーヌ・ロシャスは蓄音機を頭につけていた。

 

 アートからインスパイアされたコスチュームが多かった。あるゲストは顔の前にリンゴを置いていたが、これはマグリットの作品『人の子』にちなんだものだった。別のゲストはモナリザのコラージュを顔面中に貼り付けていた。

 

 この二度と開催不可能なシュール・レアリスムの舞踏会から3年後、ロスチャイルド家はシャトーをパリの大学を管轄する官庁に寄贈し(現在はラグジュアリー・ホテルやレストランで働きたい人のための学校となっている)、同じ森の中に建てた家に引っ越した。

 

 

 

 

 本物の“芸術作品”と呼べるようなパーティはほとんどないが、1972年に行われたロスチャイルド家の舞踏会は、それに近いものだった。

 

 シュール・レアリスムの創始者によってキュレーションされ、当時のトップ・セレブリティたちによって演じられたこの舞踏会は、(ブニュエルの70年代の映画のように)陶酔的な社交界の迷宮であり、この世に現出したヒエロニム・ボスの絵画『快楽の園』であり、果てしなく続く前衛演劇だった。

 

 これらの写真を撮影してくれた“誰か”に、心から感謝したい。

 

 

 

 

Images courtesy of Legendary Parties by Prince Jean-Louis De Faucigny-Lucinge.